01:ゲーマーたちの夜は遅い
バーチャルリアリティ──VRの技術は、今から約12年前、突如として登場したある理論によって飛躍的に進歩し、現在の形になった。
その要となったのは、『有明理論』と呼ばれる一つの論文。発表した学者の名を冠したそれは、その時まではオカルトでしかなかった『魂』の在り処を、科学的に証明した物だった。
当時は相当な物議を醸したらしい。だが数度行われた検証により、その理論が寸分たりとも間違っていない事が明らかになると、「所詮はオカルトマニアの戯言」等と馬鹿にしていた者も、認めざるを得なくなった。
そんな経緯が有って、この理論は様々な分野に応用される様になった。そうして理論の発表から二年後、有明氏の手によって、人工の明晰夢を見せる装置が完成する。そして人工明晰夢の完成から間もなく、それを使った『VRゲーム』という物が開発され、流通し始めた。
何故彼が何よりも先に自身の理論で人工の明晰夢を作り、そしてゲームを作ったのか。その真意は未だ語られてはいない。推測出来るのは、魂の在り処を本当に証明してしまうような天才の考える事なぞ、凡人には理解出来ないのだろうという事だけだ。
最新鋭の技術を使った割にはリーズナブルな、他のコンシューマーゲーム機と然程変わらない値段で売り出されたVRゲーム機は、ゲーム業界に凄まじい波紋を呼んだ。人々は皆こぞって、この夢のようなマシンに飛びついた。
それから10年余。今や進化したVR技術は多くの先進国の生活に根付き、無くてはならない物となった。特にVRゲーム機は、今や「ゲーム好きなら一人一台」と言われる程にまで普及した。
同時にゲームソフトの方も、有料無料問わず数多のタイトルが登場して、消えて行ったり今まで生き残ったりして来た。RPG、アクション、シミュレーション、ADV、サウンドノベル、それからネトゲ──様々なジャンルがVR機にデビューし、そして多様な進化を遂げていった。
中でも、オンラインゲームの類いの盛況には目を見張る物が有った。それはVRと凄まじい親和性を発揮し、ゲーマーたちの心に有る英雄願望と自己顕示欲を今まで以上に満たしてくれる様になったのだ。
彼女──レイスこと五条あけみが《HYO》というゲームを知ったのは、友人たるヘイゼルの誘いの言葉からであった。
『ねぇ、レイスさん。オススメのネトゲが有るんだけど、一緒にやらない?』
ヘイゼルからのメッセージが来た事を知らせるSEがPCのスピーカーから飛び出して、油断していた彼女はビクリと肩を震わせる。しながら視線を画面の一点に移してその文章を読み取り、気持ち口角を引き上げた。
ゲーマーたちの夜は遅い。午後10時27分の暗く静かな部屋の中で、彼女は素早くキーボードを打ち、ヘイゼルに対する返答を書き上げる。カタカタと打鍵音が鳴り響いた。
『一体どんなゲームなんです? PC? それともVR?』
『VRだよVR。まぁ普通のハァンタジーだけど、面白いよー。レイスさんなら多分気に入るんじゃないかな。今オープンβだし』
『ふむ……ヘイゼルさんが言うなら間違いないかな』
レイスとヘイゼルはインターネットから知り合った仲だが、非常に波長が合う事がこれまでの付き合いから分かっている。そんな相手が勧めてくれているのだから、きっとそのネトゲはレイスにとっても楽しめる代物なのだろう。丁度そろそろネトゲをやりたいな、と思っていたりもしたし。
添付されてきたURLをダブルクリックすると、インターネットブラウザが立ち上がり、そのネットゲームの公式サイトを開いた。頬杖をついてページの読み込みが終わるのを待ちつつ、ブラウザ上部に出てきたサイト名を見る。
(《Hibernated Yggdrasil Online》……ひべ、じゃない、ハイバネか、これは)
単純に日本語に訳せば、『冬眠世界樹オンライン』といった具合だろうか。略して《HYO》。これだけ見ると、まぁありがちなネトゲのタイトルである。
『《HYO》……まぁ、専らヒョって呼んでるんだけど、世界設定凝ってるしグラフィックすんげぇしで凄いよ。あと魔法システムとても中二』
『中二なの。人外有る?』
『有るよ、いっぱい』
『ッシャオラ!』
設定が凝っていて、魔法が中二で、人外も有る。中々に魅力的な要素が詰まっているようではないか。ヘイゼルとそんなメッセージをやり取りする傍らで、レイスは要求されるマシンスペックを確認する。
(今持ってるマシン、どのくらいだったっけ……)
椅子の上で身体を伸ばし、彼女は積みゲーの山の中から埃を被ったVRマシンを引っ張り出す。ヘッドギア型の割とずっしりとしたそれは数年前に買ったもので、今から見るとスペックは低めだ。
山からそれの説明書も何とか探り当てると、記載されているスペックと、公式サイトに書かれている推奨環境とを見比べる。何度か視線を往復させた後、彼女は驚きのあまり少し目を見開いてしまった。
(これ、10年前の初期型マッスィーンでも動くんじゃねーか)
最近始まったばかりのゲームとしては異質な程に、要求スペックが低かったのだ。こんなんで本当に大丈夫なのか、と思いたくなる。
『実はクソゲーとかじゃないよね……?』
『大丈夫だよ、ヘイゼル嘘つかない。スペック低くても普通に動くのは謎いけど、少なくとも良ゲーだよ』
『謎なのか……』
疑問は残るが、一先ずはヘイゼルの言葉を信用する事にして、ゲームのダウンロードを開始する。結構時間がかかりそうなので、その間彼女はゲーム用のアカウントを取得しつつ、公式サイトのチュートリアルを眺める事にした。
チュートリアルに一通り目を通し終えた所で、ゲームのダウンロードが完了した。それを認めたレイスは、VRマシン付属のUSBケーブルで、ヘッドギアとPCを接続する。そしてPC経由でマシンへのゲームのインストールを開始した。
『っと、レイスさんインスコ終わったらすぐやる感じです?』
『んー、じゃあやるです。キャラメイクにめっちゃ時間かかりそうだけど』
『了解でーす。なら私は先にログインしてますね。ヘイゼルって名前の、赤い髪のキャラクターが、私だ』
『お前なのか。わかりましたー、日付変わるまでには開始出来る様頑張ります』
慣れた手つきで一連の操作を行いながら、ヘイゼルがオフラインになるのを見届ける。件のゲームの中にログインしに行ったのだろう。
果たしてインストールにも中々時間がかかりそうなので、レイスはヒョの攻略wikiを検索しアクセスする。どんなキャラクターを作るか、有る程度定めておく為だ。
まだオープンβという事で、情報量は何とも貧相だ。とはいえ最低限のFAQ程度は置いてあるだろうと期待して、開かれたページを眺める。
公式サイトのチュートリアルには、このゲームに職業やジョブの概念は無く、種族とスキルの組み合わせで様々なキャラクターに成長させていく、と有った。レベルアップで種族に応じた量のSPが貰えるので、それを消費して任意のスキルを習得し、そして使い続ける事でスキルレベルを上げ、強くしてゆくのだという。
プレイヤーキャラクターとして選べる種族の数は、ヘイゼルが『いっぱい』と言うだけあって多かった。ファンタジーなら鉄板なエルフやドワーフ等から、中にはケンタウロスやラミアといったイロモノまで、バラエティ豊かな人外たちが勢揃いしていた。
スキルの方の正確な数は記載されて居なかったが、こちらもきっと数多有るのだろう。はてさてどうするかな、とこめかみを指でなぞりながら、期待通りに存在していたFAQのページを開き、『おすすめの種族は?』という質問の答を見る。
(何しても強いのは、ドロイド、半魔、竜人……物理特化ならケンタウロス、魔法ならラミアやエルフ、ねぇ)
答の文章の最後に貼られていた『種族』ページのリンクを踏み、もっと詳しい所を知ろうと試みる。FAQで挙げられていた種族の情報は流石に充実していたが、まだ専用のページが作成されてない種族もいくつか見受けられた。
(ドロイド、所謂人造人間。キャラクター作成時に能力値を一定の合計値以下で自由にカスタム出来る、唯一の種族。特化するととても強い。難点は、特化しないとそこまで強くならない事。
半魔、魔神と契約した者。能力値自体はそれほどでもないが、貰えるSPがヒューマンの二倍ととても多い。種族固有スキルも強力。難点は、設定上NPCからの風当たりが死ぬ程強い事。油断すると殺されかねない。
竜人、人の姿を取った竜。能力値の暴力。固有スキルも軒並み便利。まだ未確定だが、高レベルでドラゴンに変身するスキルが習得出来るらしいとの噂も。ただ、得られるSPが非常に少ないのが難点。
……んんー、どうしようかな)
『何しても強い』と評されていた三つの種族のページを、ざっと眺める。わざわざ弱いキャラを作ってひぃひぃ言うのは性に合わないので、なるだけやりやすいキャラクターを作るつもりだ。
魔法使いにするか、それとも物理で殴るか。細かい数値なんかと睨めっこしながらうんうんと悩んでいると、いつしかゲームのインストールが終わってしまっていた。
(……ま、後は作りながら考えますかね)
これ以上文字と数字を相手に悩んでいても、埒が明かないだろう。彼女はPCをシャットダウンすると、デスクの上からVRヘッドギアを取って装着し、その電源を入れた。
ぽぽぽぽぽ……という独特の起動音が耳元で響く。その奇妙な音が全身の神経を支配するような、そんな感覚がする。感覚が薄れ、揺らぎ、意識だけがその場でぐるぐると回転し始める。その動転に身を任せていると、やがて感覚が再構築され始めた。
目の前に、真っ黒な仮想現実が展開される。そして、始まりを予感させるピアノの音楽と共に、オープニングらしい白いテロップとナレーションが流れ始めた。
結局、黒い画面にテロップが流れ、最後にタイトルの文字が浮かび上がるだけのオープニングムービーを見終わった後、キャラクターメイクを開始して完了するまで、実に一時間と12分を要した。
元々レイスは、こういったキャラクターメイクをする時にもの凄く時間がかかるタイプなのだ。長く使うのだから外見だってこだわりたいし、名前だって適当にはしたくない。何とかヘイゼルとの約束が守れる程度の時間には収まったが、それでも待ちくたびれてしまったに違いない。
とはいえ、長い時間をかけただけあって、しっくりくるキャラクターを作る事が出来た。何かの職人のような目つきで、彼女は完成したアバターを眺める。
結局、種族は半魔にした。エルフの様に長い耳と頭部に生えている二本の小さな角、それと右手の甲に浮かび上がっている謎の紋様がその証である。肌は褐色、髪は短く白銀。そしてキツ過ぎない程度につり上がった目は琥珀色の瞳と、カラーリングだけ見ればオーソドックスなダークエルフといった具合だ。
ただし、世のダークエルフにありがちな巨乳要素は無く、体型は『ぽん・きゅっ・ぽん』程度だ。これが普通のゲームだったなら迷う事無くボインボインにしてただろうが、VRゲームではこのアバターが自分の身体の代わりになるのだ。乳がデカ過ぎると動き辛いだろう。やっかみではなく。
服装は貧相な初期装備だ。申し訳程度の防御力が設定されたシャツとズボンと、戦闘よりは他の分野で使った方が役立ちそうな小さなナイフ。まぁ、それはそれで似合っている。単に親バカの心理なのかもしれないが。
(うん、我ながら中々に可愛い子が作れたわ)
そんな角付きの少女の周囲には、このキャラクターのステータスを表す数値やら文字やらが整然と並んでいる。その中に有る、『HPボーナス』やら『回復魔法L1』やら『盾マスタリー』等といったスキルは、レイスが少女を所謂『前衛プリースト』に育てる事に決めた事を示唆していた。
パーティーを組むゲームにおいて、どんなパーティでも一定の役割が持てる、盾と回復役の兼業。バランスによっては器用貧乏になりかねない冒険だが、半魔という優秀な種族なら何とかなるだろうという楽観的な見通しだ。もしどうしても駄目だったら、キャラを作り直せば良いし。
最後に、と、ステータスたちの一番左上に浮かんでいる、白紙の名前欄に視線を移した。そしてそこへの入力画面を開き、30分くらいかけて考えた渾身のキャラクターネームを入力する。
「あんたの名は、『アージェン』だ」
そう呟きながら、レイスは軽やかにその名を入力した。誤字が無い事を確認した後確定し、次に進む。
『このキャラクターで良いですね?』というダイアログが出たので、迷い無く『はい』と答えると、再び感覚が断絶し暗転する。ついに始まる《HYO》というゲームに、彼女は年甲斐も無く胸を高鳴らせた。
(ま……精々楽しむとしますか)
感覚が再構築される。親しみ深い自身の肉体のそれではなく、仮想現実の世界における彼女のアバター『アージェン』のそれが。そして広がるリアルな夢想に、レイス──否、アージェンは頬を綻ばせた。