15:綴じた暗雲の匣
二時間半に及んだ会議の後、いくつかの事柄があの場に出席したギルマスたちの間で決まった。
まず、プレイヤーたちに最低限の秩序を与えるルール。とはいえ、今回出席しなかったギルド以外に浸透させるのは難しいだろうから、一先ずは出席ギルドの間のみで使おうという事になった。
『郷に入っては郷に従え』。そのたった一つの条文からなるルールは、風雲が提案した物だ。彼は下手に色々と制約を加えるより、この世界のルールを知り、それを守った方が良いと言う。
そして、守るべきルールを初め、この世界の事についてロールプレイヤーの視座から教える相談室。これに関しては、まずはその為の人員を増やす事が先決とされた。
何処何処のメンバー数は、ロールプレイヤーギルドの中では最大とはいえ、普通のギルドと合わせてみると精々中規模程度なのだ。例え全員を駆り出せたとしても、10日目を過ぎた辺りから劇的に増加すると見られる相談者たちをさばくには、全く足りないだろう。
ので、明日からは相談室の準備である。何処何処からは教師たりえる人物を、他ギルドからはやる気が有ってある程度頭の良い者を出し合い、アドバイザーを増やすのだ。
それと、キュリオスが魔法による説得を駆使してくれたので、ボールマウス愛好会はハブる事に成功した。あのギルドのメンバーもまたこのみと同様の阿呆が多く、そんな奴らを重要な役割に就かせたくなかったから、上手くいってくれて良かった、と心から安堵した。
自治組織については、今は保留という事になった。ヘイゼルは相談室の方を先に作るべきだと断じ、そちらが安定してから考えるという結論に至った。
「さて……まだまだ終わらない可能性のが高いけど、一先ずはお疲れ様でした」
「ああ、お疲れ様」
「……」
昼下がり、出席メンバーが全て帰った後──このみが何かと理由をつけて居座りたがったが、何とか追い払った──、がらんどうになった会議室にて、ヘイゼル、ナツメグ、キュリオスの三名が反省会を開いていた。
決めたい事は決められたし、スムーズに進められたとヘイゼルは思う。予想外だったのはあのラスボスの介入だが、キュリオスのお陰でそこまで邪魔にはならなかった。
「矢面になってくれてありがとう、キュリオスさん。……本当、あのラスボスには困ったものだわ……」
「……」
気にしないで、とでも言うかのように、彼女は小さく首を振った。これでこのみの取り巻きによる“報復”も、恐らくはキュリオスに集中する。
奴らはこういう時だけ息を揃え、現実世界でやられれば洒落にならない嫌がらせも数多くやってくる。だがしかし、強靭な精神を持つキュリオスは、それも意に介さない。故に、もしラスボスが登場した時にはこうする、と前もって決めておいたのだ。
「しかし、自治組織ねぇ……そんな大仰な物が必要になるのか?」
今回は保留された風雲の提案に対し、ナツメグがそんな本音を漏らす。全体的に眠たげな顔には、面倒くさいという気持ちが溢れんばかりにたたえられている。
彼とて、今回のバグを軽く見ているわけではないだろう。しかし、彼はいつも労力を最低限に抑えたがる性格なのだ。それ故に、えげつない程効率の良い戦い方や狩り方を考案したり出来るのだが。
そんな彼の言葉に対し、ふとキュリオスが口を開いた。
「きっと必要になる。何故ならば繋いでいた電磁波が途切れたから。生きた人間は必ず何かしらの罪を犯す。罪人でない人間は死んだ人間だけ」
抑揚の無い早口で、まくしたてるように言葉を紡ぐキュリオス。一見意味の分からない散文詩のような台詞だが、先ほどの文脈と組み合わせると、彼女が言いたかった事が見えて来る。
「……要するに、人間ってのは基本ろくでもないから、抑止力として自治組織は必要になる、って事か?」
ナツメグが要点を纏めて繰り返した問いかけに、キュリオスは静かに頷く。ナツメグは随分と彼女との付き合いが長いらしく、こういう意味の汲み取りにも慣れたものだ。
コミュニケーション能力が著しく低いキュリオスだが、その欠点を補って余り有る程の高い能力を持っている。魔法の詠唱を常人では考えられない程の早口でやれる事だとか、一度見た物や事を正確に記憶しずっと忘れずにいられる事等、どれもヘイゼルやナツメグには出来ない離れ業だ。
「なら……今から自治組織の骨組みだけでも考えておいた方が良さそうね。出来れば、使われないまま終わってほしいけど……」
「全くだ……ああ、面倒くさい」
「でも、このまま準備せずに過ごして、いざ何かの不祥事が起きたら、もっと面倒くさくなるわ」
「分かっている。……このバグ解決されたら、ヒョの会社訴えてやる」
訴訟する労力は惜しまないのか、とナツメグの決意の表情を見る。とはいえ、本当に現実で24時間帰れずじまいになったとしたら、ヒョの運営は訴えられ間違いなく敗訴するだろう。そうしたら、ヒョのサービスも終了してしまうかもしれない。それはちょっと嫌だな、とヘイゼルは少し目を伏せた。
何だかんだといっても、ヘイゼルはこのゲームが割と好きだ。世界設定が良く出来ているし、一見地味に思える戦闘システムも、やり込むと奥が深い。これからも飽きるまで続けるつもりだったから、こんなトラブルからサービス終了になってしまったら残念だ。
「けれど、本当……やれる事なんて限られているのよねぇ……」
あくまでもプレイヤーでしかない彼女たちには、ゲーム内のプレイヤーに働きかけて、トラブルの発生を抑える事は出来るかもしれないけれど、直接バグの解決に向かう事は出来ない。ひたすら、運営に祈る事しか。
「一本道には迷わない。重い天秤に初雪と金剛を乗せ、惑う事も無い」
「えーっと……やる事が限られてるからこそ、迷わずにいられる?」
「……そうね、そうポジティブに考えましょう」
相変わらず無表情で、その上分かり難い台詞だが、キュリオスはどうやらヘイゼルを元気づけようとしているようだった。それに応えるべく、ヘイゼルは笑顔を彼女に向ける。しかしキュリオスは、勿忘草の色をした目を中空に投げかけるのみであった。
三人でアイデアを出し合い、自治組織の骨子を作り上げた後、今日の所は解散という事にした。ゲームの中でこんなに真面目な事を考える羽目になるとは、とヘイゼルは重い頭を抱える。
(もう……さっき考えた事全部無かった事にして、どっかに逃走しちゃおうかな)
そんな魔が差すが、すぐにそれを頭の中から追い払う。そんな事をすれば彼女は信用を失うし、何より一度始めた事を途中で放棄するようなクズにはなりたくない。
とはいえ、逃げ道は何処かに用意する必要が有る。使うかどうかは別として、ずっと背水の陣でやっていると、いつか必ず潰れてしまう。いつでも苦しい立場から逃げられる、という安心感が無ければならないのだ。
(そう、ね……全部面倒くさくなっちゃったら、レイスさん──アージェンさんの所に逃げちゃいましょ。あの人なら、きっと匿ってくれるだろうし)
大親友の名前と、そのアバターの顔が脳裏に浮かぶ。彼女なら、例えヘイゼルが責任を放棄して逃げて来たとしても、嫌な顔一つせずに助けてくれるだろう。
彼女は特別な才能が有るわけでもないし、ずば抜けて頭が良かったり戦い方が上手だったりするわけでもない。けれどもヘイゼルとレイスの間には、打算だとかそういうのを抜きにした強固な信頼関係が有った。
本当に困ったら、彼女を頼ろう。そう考えると、少し頭が軽くなった気がした。
(さて……時間空いたし、何しようかしら)
キュリオスとナツメグの二人も帰り、完全にヘイゼルだけになった、だだっ広い会議室。まだ高い日が窓から差し込み、空中を漂う細かい埃をきらきらと照らし出していた。
いつもならこういう時には現実に帰り、美味しいアイスを食べて休憩をし、そのまま寝るかまた他の事をするかなのだが、今はログアウトが出来ない。今も冷凍庫で眠っている、昨日買ったアイスクリームの味を妄想しながら、ヘイゼルは涎を飲み込んだ。
(はぁ……帰りたい)
あまりの帰りたみに、この場で全裸になって机の上を反復横跳びしながら奇声を上げてやろうか、と一瞬思ったが、誰かが階下に居るかもしれないので止めておいた。代わりに自身の傍らに浮かぶ光の塊に触れ、そしてメニューを開く。
(レイスさんは大丈夫かな……変な人の言葉に乗せられてたりしないかな……)
そんな心配と共に操作し始めるのは、チャット画面。個人チャットの宛名に『アージェン』と入力しながら、その友人は今何をしているのだろう、と想いを馳せた。
色々な事を一気に詰め込みたくなったが、急に長文を飛ばした所で驚かれてしまうだろう。ぐっと堪えて、ほんの五文字の短いチャットを飛ばす。
『今会える?』
無事送信された事を確認した後、ヘイゼルはふと黒板を見る。先ほどナツメグたちと手分けして綺麗に文字を消したそれは、まっさらな深緑を静かに晒していた。




