5
冷静になって思い出せば、口調も表情も、仕草のひとつひとつさえ違っている。長い年月が経っているというのに、初の思い出はいつまで経っても色褪せぬ。故に気付いたのは必然とも言える。
「何かが違う」
言って初はかぶりを振った。
互いに距離をとって見つめあう。目の前の初は奥歯を噛み締め、上目遣いだった。
「誰だ」
それは同時に発した言葉だった。高継は少女に対して、少女は己に対してだったが。
「初?」
今にもうずくまりそうな少女に高継は恐る恐る近付いた。中腰になって少女の懐から顔を見上げると、先ほどまでの憎しみを込めた目はどこに行ったのか、少女は泣き出しそうな表情である。
「私は初ではない。さらら、という」
鈍器で殴られたような強い衝撃が高継の心臓を襲った。
しかしながら判然としなかった理由がそこにあるのではないか。
「鬼に……」
高継は言いかけてやめた。思い出した言葉をそのまま口にのせるほど確信がもてない。
鬼は人型を真似るという。
自身の醜い容姿を好しとせず、人間の姿をまねるが結局のところ本質は変わらず、永遠の憧れに思いを馳せる。また一方で人間は、真似られた人間以上に美しく変身する鬼に憧れを抱く。紅を塗らなくても赤く熟れた唇、陶器のように白く肌理の細かい肌。手足はすらりと伸びて動作のひとつひとつが美しくたくましい。
真似られた人間は、視線を思わずそらしてしまうほど。それを嫉妬という。
「私を憎いと思っているのだろう? 首を刎ねられたことを覚えているのだろう? ならばお前はお初だ」
言ってから高継は肩をすくめた。
「私が憎いか」もう一度、確認する。
「ああ、憎いとも。私の首を刎ねたのはお前なのだから」
「そうだな」
利害が絡む婚姻を蹴り、父親の顔に泥を塗ったのは自分だ。周囲への配慮が足らず、若さに頼り走った。父・高徳は高継や初をそれぞれ説得や恫喝した。
だがありふれた言葉で表現するなら、その刹那世界にはふたりしかいなかった。いや、ふたりが結ばれるために世界が存在した。声など、届くはずがないだろう。
「ではお前が初だ」
「だが私は初ではない」
名などどうとでもなる。
「触れてよいか」
ついっと高継は詰め寄った。以前はいちいち了解を得ていたわけではない。若さゆえの強引さで、さららを引き寄せたものだ。だが今、高継は迷っている。身体は目の前の初――自らはさららと名乗る――を思い切り抱きしめたい。だがひとつの疑問からそれができない。
「お前が初ではないのなら、その憎悪は一体どこから来るのだ」
高継の疑念を遮るように、抑揚のない声が割り込む。
「助けてください、お許しください。私はもう旦那様の前に姿を現しませんから」
「初――」
絞り出すように、思い出すように言葉を口に乗せた少女は、言った後で己の台詞の内容を考えた。
「記憶が途切れんのだ。今見てきたように、鮮明に覚えている。自身の名はこんなにもあいまいであるのに。だが私はやはりさららなのだ。お前を憎み、殺したいと思っているさららなのだ。さあ、首を差し出せ、刎ねて湖の底に沈めてやろう。二度とお前の顔が見えぬようにしてやる」
高継は深いため息を吐き出した。地面を見下ろすと、はらはらと初の足元に桜の薄紅が落ちている。それは足元を覆うほどに積もっていたが、一定以上の量は積もらず、また彼女の頭上に桜の木はない。
そもそも湖の近くにある桜の木は芽吹いたことがない。初がその桜の大木の下に埋められた時から、一度も一輪も咲いたことはないのだ。
「すれば永遠に俺はお前の傍にいることができる」
喜んで首を差し出そう。
思わず伸びた手で初の手首を握りしめる。
冷たく細い女の手だった。
この少女がもはや初でなくてもよかったのかもしれない。後悔ではなく懺悔として首を差し出すのだ。