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傷負い桜  作者: 鷹臣えり
第六章
23/24

4

 すべての過去を言葉にすることなど到底できない。高継への感情を省き、淡々と事実を述べる口調は重い。

 前方を強く見据え、そんな努力をしているのに意識は背後にいる高継に向けられている。

「いったいそれのどこが私に関係するのだ」

 聞いていた鬼が白けたように鼻で笑った。

 初はひっそりと笑う。

「旦那様は私の報告を受け、あらぬ罪を着せました。そうやって自分だけ助かるのか、と。もちろん、他の家人がそうではないと反論したところで、旦那様がそういえば、真実はそうであるのです。ですから私は反論することすらできませんでした。

 佐和喜市はおそらく死罪。そう思った私は、余計な事とは思いつつも、また私自身を守るためにも喜市に逃げるように言ったのです。なぜ、とはきかないでくださいまし。きっとだれだってそうしたでしょうから。

 ご存知の通り、私たちは五条家の裏山に逃げました。山を越えれば、隣町に出られるはずです。けれども身重の私にはそれがどんなに大変なことか、身を持って知らされました。喜市はそんな私に苛立ち、些細なことで口論になりました。彼は私を散々に殴りつけました。喜市の意識は私に向けられ、背後に迫る旦那様には気づかぬ様子でした。注意する間もなく、旦那様は喜市の後頭部を殴られたのです。逃すか、そんな乱暴な声が時折聞こえました。容赦のない仕打ちが喜市に加えられ、目の前で起こる惨事に私は見ていることしかできませんでした。目の前で行わるのは、正義のない暴力です。喜市は血にまみれ、地に伏しておりました。あまりの恐ろしさに、おやめくださいませ、旦那様。すでに事切れておりますと申したのです。

けれども私が佐和喜市をかばうことなど愚かなことで、あの時点で男は打撲による失神をしており死んではいなかった。あの時そういわなければ、男は確実に死んでいたでしょう。いえ、旦那様が人殺しになるよりなにより、私が人殺しを目撃し、またその証人になり、見殺しにしたという事実を残したくなかったのです。けれども男は目を覚まし旦那様の背後に躍り掛かり、太刀を振り上げました。私は旦那様を突き飛ばし、代わりに首を刎ねられたのでございます。すぐさま旦那様は喜市の首を刎ね飛ばしました。というのは、私の魂は肉体を離れる際、その光景を見ていたのでございます。

よって、どちらも太刀を振り上げておいででした。高継様が見られたのはその一部分のみで、倒れた喜市の姿など視界に入らなかったのでしょう。

 私は鬼の形相とも呼べるべき表情を目の前にしてすくんでおりました。太刀を向けられたのは喜市であるにも関わらず、私には旦那様のお顔が怖かった。印象が強すぎたのでございます。桜様の記憶は真実私のもので、偽りこそないもののつぎはぎ故に誤解が多く生じております。その誤解を本日、解きに来ました」

「……」

 鬼の全身がわなわなと震えている。高継は新たに聞く事実に呆然と座り込んでいた。

「桜様、私たちは望んでもいないのに多くの方を傷つけてきました。ええ、私たちです。今、お返しいたしましょう」

 優しげな声は、もろく弱い。けれども鬼に向けられた儚げな笑みは、強張った心をゆるゆると溶かす。

「すまない」

 しかし唐突に、高継の押し殺した声が聞こえた。彼は膝に握った両手を置き、顔を上げられずにいる。

 初は半分だけ振り返り、首を傾げる。

「まったくもって、気づかずに。なにもかも気づいてやれなかった。お前に子供がいたことすら」

 先ほど萎えた気持ちはそのままに、初はゆっくりと息を吐き出した。

――ああ、愚かだこの男は。

 謝罪など、必要ない。それ故に、初は高継に近づく理由を見いだせない。

「以前、申し上げました通りなのでございます。高継様にはなにひとつ謝罪される所以はありません」

「そう、拒むな」

「いいえ」

「拒むな、お初」

「――いいえ」

 語尾を強く、突き放すように言えば、目の前は一瞬で黒く染まる。

 抱きすくめられたと理解するにはしばし時間がかかった。突然の出来事に、初は言葉を失い、目を見開く。

 うれ、しい。そう紡ごうとする口は、しかし声にならなかった。

「高継、様」

「突き放すな、避けるな、私はなにもお前にしてやれない」

 嗚咽が男の声を無様にする。

「私はなにも怒ることはありません。さあおたちなさい。夏江さんが待っていますよ」

 びくり、大げさなほど男の肩が一言により動く。

 初は目を細めた。

 優しい男。

 たやすく心を動かす。大切なものが増えすぎて、そのどれもが捨てられず整理がつかない。

 初は突き放すべきだと重々承知していた。高継の想いが強すぎて、初をこの世に縛り付けているのは紛れもなくこの男なのだ。うれしい、だが現実を生きて欲しい。故に願っていたのだ。男を傷つけてまで放った一言は、結局自分をも傷つけてしまったが。

 だが初はもう一度言わなければならない。

「私のことを必要としないで、夏江さんを必要としてくださいな。私はあなたと別れたかったのです。もうお構いくださいますな。私のことなど忘れてくださいませ」

 二度と本人に言うまいと思っていた。

「そんなにも」

「ええ、そんなにもです」

 声を押し殺し、静かに告げれば、高継はぴたりと口をつぐんだ。

「それで私にどうしろと言うのだ」

 ふたりのやり取りにせせら笑う鬼が問う。

「この世界に足を二度と踏み入れないよう、また桜様も引き込まぬようお願いしたいのでございます」

「私の首を刎ねたのは高継ではないからか」

「桜様の首は一度も刎ねられたことがございません。それは私の記憶でございますから」

 記憶、薄ら笑いの中、鬼がそっとつぶやく。見せぬ涙が、初には見えた。



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