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傷負い桜  作者: 鷹臣えり
第六章
22/24

3

「ん?」

 五条家の当主・高徳が帳簿の確認をしている深夜の出来事だった。

 ろうそくの淡い光の中に浮かぶ、丁寧に書かれた文字を目で追う。

 数字の帳尻は合っているのに、それぞれの項目に不自然な数字がちらほらと見える。

「おい」

 担当の家人を呼びつける。寝入りばなに呼びつけられたことを不満そうに、家人はのろのろと和室に入ってきた。

 三月の中ごろに入り、日夜共に過ごしやすい気候になってきていた。とくに昼間は穏やかな温かみに、とろとろとした眠気が襲ってくるほどだ。

 しかし高徳は四六時中、家人の誰もが恐れるほど目をぎらぎらさせており、声も深く鋭い。いつも家人たちは強面の主人とは視線を合わせることなく、常につむじを見せるにとどまっている。

「この薬剤の配合数と、売価が合わん。あとは反物――いや、先月と今月の納品書と、掛け売り、現金、すべての帳簿を今出せ」

 怒鳴っているわけではないが、家人はすくみ上り、そそくさと書類一式をしまう棚がある部屋に走り去ってしまった。

 高徳は家人が資料を持ってくる間に一息つこうと、机の上に用意された饅頭を頬張った。

桜の塩漬けが入ったあんであった。塩気があって、夜食にはちょうど良い甘さになっている。二つ目を手に取って、ふと高徳はこの饅頭の送り主のことを思案した。

「旦那様、昼間にこのような書類を持って、虻川家の使いがやってきましたよ」

 家人のひとりが差し出した手紙に添えるようにして、桐の箱があった。その場で手紙は開封しなかったと、机の引き出しを開けてそれを探し出す。

 封を開けて中身を読めば、すぐさま高徳の顔色が変わった。次いで気味が悪い笑みを浮かべ顔を歪ませる。してやったり、そんな心境が伺えそうだ。


 もともと手癖の悪かった佐和喜市は、七尾家の主人からもすでに厄介払いをされていた。五条家では長男に身の程もわきまえない下働きが恋をする。そのどちらも早急に片づけなければならない問題であった。

 五条家がその始末を請け負ったのは、その筋において幾度も例があったこと、またその専門家業と関係があるからである。

 印章偽造、佐和喜市が五条家で行った死刑に値する罪状である。

 事はすでに進んでおり、喜市がうまくやらかしたと思ったであろう裏の取引は、実はその筋にはすでに筒抜けであったのだ。

 丁度、初を見合わせた頃と一致する。もう少し待たなければならないと思っていたが、案外早くに動いたものだ。初が知らぬ間に佐和喜市の手先となって動いたに違いない、そういう筋書きが出来上がり、ふたりとも処分することができる。

 四月の初旬には中津家と五条家の見合いを予定している。これで高継もあきらめがつくというものだ。


 そこは初が疑った通り、違法な手段で大麻を取り扱う場所となっていた。初日には気づかなかったが、何日もその場に縛り付けられると、さすがに隠し立てするにも限界があろう。

 初は五条家の主人に報告するべく、すきを見つけて逃げ出した。しかし幸か不幸か、最初に出くわしたのは高継であった。彼は数日初を見かけなかったというだけで取り乱していた。少女は自分に対しての想いを感じ取り、うれしく思ったが同時に身の汚れを思うと、身体が自然に相手を拒むのだ。

 触れられただけで身体がこわばる。

 もし佐和喜市との関係が知られていたら。

「おやめくださいませ」

 とっさに出た険のある台詞に、自身も高継さえも驚愕した。

 奪え、奪って自身のなにもかもを捨てろ。

 初を掴む手は、所詮それほどの気持ちしかない。奪え、呼吸ができなくなるほどの強い力で抱きすくめ、もろとも命を捨てる覚悟ができるか。

 戸惑うだろう。瞬時に諾と言えるほど男は苛烈にはできてはいまい。それが口惜しい。

「初……」

 男はすがりつく幼子のように初の袖を掴んだ。しかし初が想像するありとあらゆる罵詈雑言は、一切発せられない。

 なぜ突然下働きの娘に見合いの話が持ってこられるのか。簡単だ。初が後継ぎをかどわかしているからだ。故に他の男をあてがい、当主はほんの少し口を添えるだけでいい。初には他の男がいる。それだけで充分なはずだった。

 だが彼は知らされていないのか、知ったうえで知らんふりを続けるのか、なにも言わない。ただ必死に初を逃すまいとしている。

「おやめください」

 知られて尚、求められるのはつらい。

 自身で決断をし、一刻も早く突き放さなければ。そう、彼の肩には五条家が乗っている。

「おやめくださいませ、高継様」

 少し恨みがこもった。

 これは逆恨みだ。けれどもやるせない。

「どうしたのだ。なにか困ったことでもあったのか」

 困惑の表情を浮かべる高継に、苛立ちを込めて睨みつける。

 その程度なのだ。

 初はこみ上げる感情が、突如萎えた。

「どうして……」

 事情を聞いてはくれないのか。言い訳さえ許さぬこの非道。

「離してくださいまし、高継様」

 振り払った手は、存外に大きかったのかもしれない。




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