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薄紅の嵐――、頭上を見上げ感嘆のため息を吐き出す。
四月初旬、高継は身内を引き連れて花見に出かけていた。桜を見ると過去の苦い事実が脳裏に蘇ってきそうで、それを押し留めるために必死で歯の奥をこすり合わせる。
死、だ。
桜を見て連想するのは。
愛しい女の死。満開の桜の中、まるで舞うように首が飛んだという。
薄紅に真紅が混じり、それはとても綺麗だったと嘯く父親の顔が今でも忘れられない。
手を直接下した父が、今もなお恋人に何度も刀を振り下す光景が脳裏に浮かぶ。
その父も三年前他界し、入れ替わるように息子の高由が生まれた。周囲からは「ようやく」と安堵を洩らさせた。しかし幼子のこちらを見上げてくる目は、父にそっくりであり怖気とともに憎悪を抱くこともしばしばだった。そのため高継は高由を生まれて一度も腕に抱いたことはない。
「今年は昨年よりもずいぶん遅い開花だねぇ」
自分より二十も若い妻の夏江が、ほうっと息を吐き出した。
「去年はあっちゅう間に風で散らされたしなあ」
飲み仲間の佐和喜市がおどけた声を出した。彼はいつも酒場でふらふらとしている正体の知れん男だったが、金を無心したこともなくまた困っているところを見たことがない。
「ええ匂いじゃ」
懐に隠し持っていたひょうたんを取り出し、ふたをとってぐいっと煽った。口からわずかにこぼれた透明な液体から、なんとも言えない甘い芳香が漂ってくる。
「喜市さんが言う良い匂いとは、酒のことでしょう」
すかさず夏江が笑いながら言うが、喜.市は飲み口から口をすぽんと放して心外だなあと目をぱちくり瞬いてみせた。
「いんやあ、夏江さんからも男を誘うええ匂いが漂っておりますよ。酒は飲みなれとるんで、俺はむしろ女と花の匂いはようわかるけん」
「女の匂い、ですか」
「そうじゃ、女。ええ女は身体の匂いが違ごうてきよる。夏江さんはさながら夏みかんの匂いがする。おお、前方からも女の匂いじゃ。こりゃ桜の精かの」
目を閉じて鼻をつきだし、犬のようにくんくんさせる喜市の姿に、高継も夏江も笑った。
喜市の夏江に対する無礼な修飾語は、むしろこの男特有の愛嬌でだれも咎めることはしない。
「ああ、近いな」
鼻をひくつかせ、嘘か本当かわからないが漂ってくる女の匂いを目指して喜市がふらふらと歩き出す。高継も彼の行動に興味を持ち、後ろをついていった。残された夏江と、三歳になったばかりの高由は、互いの手をぎゅっと握って本来の目的である桜を見上げながらゆっくりと歩いた。