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「知っているか、お前は毎日私に首を落とされているのだぞ」
凄味のある声が、高継の歩みを止めた。
「お初」
「初ではない、私はさららだ」
高継は首をうなだれた。
初と同じ容姿だが、少しずつ違う。だがこの少女は明らかに初の記憶を有していた。故に少女が初ではないという台詞を鵜呑みにすることができない。
足を踏みしめるたびに、乾いた枯葉が崩れる音がした。
相変わらず少女と自分の周囲は濃い霧に囲まれ、世界にはふたりしかいないような錯覚に陥る。
高継は勇気を出して、上目づかいに睨む少女に歩み寄った。
「私を覚えているだろう? 私を憎んでいるだろう? 逢瀬を重ねたはずだ。嫌がるお前を組み敷いたのは、紛れもなく私だ。お前を殺したのも、私のせいだ」
「そうだ、私は覚えているぞ」
強い視線に気圧されることなく、今度は素早く高継は少女を抱きとめた。細く折れそうな背に腕を回し、彼女の頭を力任せに懐に押し付ける。
「なっ」
そのまま枯葉の上に押し倒した。
高継は息荒く、少女の両腕を押さえつけて見下ろした。
「おやめください、旦那さま」
感情が込められない棒読みの台詞に、それでも高継は傷つく。
小さな口が、拒否を奏でる。初の声で。
だが高継は屈しなかった。
この少女と対峙するときは、必ず自分は若返っていた。だからだろうか、抑えが利かない。
「もう一度組み敷けば、お前は思い出してくれるだろうか」
勝手だろうか。
傲慢だろうか。
構うものか。
今度こそ手に入れるのだ。
そのまま唇を重ねる。少女は――拒否をしなかった。彼女こそ確かめたかったのかもしれない。
ひんやりとした少女の唇は少しも初を思い出すものではなかった。
角度を変えて高継は何度も少女の唇を奪った。手は少女の胸をまさぐり、襟の中に侵入した。脚を絡ませ、着物の裾を割る。
がさがさと枯葉が音を立てる。
「こんな記憶など、私にはない」
ややあって少女はぽつりとつぶやいた。される行為に好意も嫌悪も抱かず、ただありのままを述べたような抑揚のない声だった。
「ではお前は誰なのだ。私を憎むお前は、なぜお初の記憶を持っている」
「……それでも、私はお前が憎いのだよ」
私はやはり、さららだ。幼く冷たい声に、高継は吠えた。
「首を差し出せ」
下から冷ややかに見上げる少女の視線に、高継は唾を飲み込んだ。
ひやり、首の後ろに少女の小さな手が置かれる。長く鋭い爪が首に食い込んだ。
痛みはわずかだった。高継は苦痛に顔を歪ませることなく、少女を見下ろす。
「見よ、これは私がお前を憎み、そのたびに首を落とした」
視線だけ少女はずらした。高継は首をめぐらし、その先を追う。ゆっくりと。
茶色く続く地面に、やがて徐々に丸くいびつなものが浮かび上がってくる。
「ひっ」
反射的に高継は飛びのいた。だが避けた先にも、それはうず高く積まれており、高継の足は飲み込まれている。高継は真っ青になり、悲鳴を上げ、転がりまわった。だがどこにも行っても容赦なく存在を突きつけるように目の前に現れ、高継はその山にうずもれた。
累々と横たわる高継の首、首、首。気が狂いそうになるほどの、その数。目を見開き、首元に血が滴り、生々しい。切り口は鮮やかに真一文字。血はいつの間にか溢れ出し、血だまりになって高継の足元を浸す。
「わかるか」
首の山に埋もれながら、少女――さららは言い放った。
ひたひたと血の池は嵩を増し、刎ねられた首を飲み込み、高継自身も飲み込み始める。その中で、さららだけは水面の上に立ち、もがく男の様子を冷ややかに見下しているのだ。
高継は助けを求めてあえいだ。腕を伸ばし、さららの着物の裾をつかんだ。血糊はしかし、一切さららにつくことはない。
もがく中、高継の喉元に一振りの剣先が突きつけられる。
「ちょうどこれくらいの大きさだったか」
反りの深い日本刀で、太刀と呼ばれるものである。鞘は漆が塗られ、桜が彫られている。輸出に用いられた観賞用ではあるが、鈍く光る刃は本物であろう。
高継はその刃を見て、さららを見上げた。先ほどの抵抗が嘘のように高継はおとなしくなった。向けられた剣先を侮っているわけではない。けれども恐れは微塵も感じられなかった。
「懇願せぬな、いつも」
さららは顔を歪ませ苦笑した。
「気にくわぬ。少しは怖がって見せたらどうだ。苦痛にゆがむお前の顔を見せてくれ」
「お初」
さららの片眉が吊り上る。
「まだ言うか」
「では、さらら。お前はお初を真似た鬼か? 人型を真似て、憎しみを真似て、私を惑わすのか」
「鬼?」
「私は何でもいいから罰を受けたかったのかもしれないな」
何の意味も持たず、高継は微笑んだ。
まがい物でもなんでもいいから、自分はそれにすがりたかった。受ける罰は、そのまま犯した罪を浄化してくれるものだと信じている。
初を真似たというのならば、さららの根拠のない憎しみが説明できるというもの。
「憎んではおりませぬ。ただ、あなたと別れたかったのです」
不意に背後からやさしげな女の声がした。
ふたりははっとして顔を上げる。
高継はその声に、一瞬で心臓をわしづかみにされたような衝撃を受けた。
「お初」
口から漏れ出た声は弱弱しく、それでいて確信に満ちていた。
「お初っ」
高継は狂ったように叫んだ。首をめぐらし、血の池の中で再びもがく。やがて一面の赤は消え失せ、元の霧に囲まれた世界になっていた。
四つん這いになる高継と、それを見下ろすさらら。
「いいや、憎んでおるとも。この男は私の首を刎ねたのだ」
さららは声の方に首を向け、剣先は高継の喉元に突きつけたまま吐き捨てる。
「いいえ、いいえ」
泣いているようなか弱い女の声が、さららの声に重なって聞こえてきた。だが姿は見えない。高継は母を探す幼子のように泣きそうな表情になった。
「お初、お初」
さらさらと薄紅が落ちてくる。
桜の花びらだ。
よろめきながら高継は声の主を探し始める。
一歩踏み出すたび、降り積もった花びらが再び宙を舞った。
空気をかき分け、しかし雪のように重く抵抗する花びらの山に足をとられなかなか前に進まない。
「出てきておくれ」
前方にうすぼんやりと人影が現れる。
たちまち高継の頬はほころぶ。
「ああ」
ああ、こんなところにいたのか。
確信をもって高継は息を吐き出した。
もう少しだ。手が届く。姿が見える。――抱きしめられる。
すっと霧の中から生まれ出た人影。輪郭はぼんやりとしているが、楚々とした立ち振る舞いが初だとわかる。
現れた少女・初はすっと目を開き、高継を見つめた。そこにはさららと同じく、何の感情もなかった。またどうしてかさららと初はうりふたつだった。高継は動揺を隠せず、言葉を詰まらせた。
初は一度目を閉じ、息を吸い込む。しばらくの沈黙の後、鈴を転がすような凛とした声で言い放つ。
「私はただ、この方と別れたかったのです」