アタシへの罰
「そうです。この遠野に来てから子河童たちと出会い、わたくしの元までやって来た、その記憶を頂きます」
「それって……」
それって、流や汀ちゃんたちと過ごした時間の記憶を……、アタシの友達との想い出が、全部消えちゃうって事?
「そんな──」
「そなたが望んでいるのは、そう言う事なのです。そなたが願ったのは、天から与えられた一つの生命を、この世から消し去る事。決して許されない願いを、そなたは口にしたのですよ」
厳しい言葉がアタシにつきささる。
「許されない願いをなかった事にする。それに見合うのは、願った本人が大事に思っている『心』しかないのです」
打ちのめされた気がした。『本心』で願った事は、『本心』でなければ取り戻せない。それだけの事を、アタシは望んだんだ。
ゆっくりとふり返る。
アタシよりも大人びた目をした流。人なつっこい笑顔のカワイイ汀ちゃん。
知り合いもいないこの遠野で、アタシと仲良くしてくれた二人。真剣にアタシの話を聞いてくれた。こんな所まで、アタシをつれて来てくれた。
大事なアタシの「友達」。
なのに、その二人の事を忘れなきゃいけないなんて。
「そんなの……ヤダ……」
「でもメグミちゃん。赤ちゃんが……」
「だって!」
涙があふれてきた。二人の顔がにじんで、ゆがんで見えた。
「せっかく仲良くなれたのに! 二人はアタシの事を助けてくれたのに! それなのにアタシは、流の事も汀ちゃんも忘れちゃうんだよ!」
学校にだって、こんなに大切に思える友達はいないよ。
「忘れたくない! 忘れるなんて、ヤダ!」
しゃくり上げるアタシの手を、優しい温度が包みこんだ。
「泣かないで、メグミちゃん」
「──汀ちゃん」
「そんなにオレたちの事を、思ってくれてありがとう、メグミちゃん」
「──流」
二人がそっと、アタシの手を握ってくれている。
「大丈夫だよ。私たちは忘れないから」
「メグミちゃんが忘れても、オレたちがずっと覚えているから」
手から伝わる温度と同じ、優しくて、柔らかな笑顔。
「──あったかい」
二人の本当の姿は、カッパなんだって。アタシ、カッパの手ってもっと冷たくてヌルヌルしてて、気持ち悪いと思ってた。だけど流と汀ちゃんの手は、あったかくって、気持ちがいい。
このあったかい手を、ずっと離したくないと思った。あたしが心細くなった時に、いつも力づけてくれた優しい手。
「大丈夫だよ、メグミちゃん。一度は友達になれたんだ。次に会った時だって、オレたちはきっと友達になれるよ」
「メグミちゃんが忘れても、私とお兄ちゃんは忘れないよ。私たちが本当は『河童』だって知っても、友達だって言ってくれたメグミちゃんを、絶対に絶対に忘れないから」
「だから、メグミちゃん」
「今は迷わず、赤ちゃんをつれて帰って」
強い視線。迷わない視線。
「──ありがとう、流、汀ちゃん。二人に会えて、アタシ、本当によかったと思ってる。二人と友達になれて、本当によかったと思ってる。これで流と汀ちゃんの事を忘れちゃったとしても……」
アタシは顔をあげて、しっかりと二人を見た。ちゃんと伝えなきゃ。忘れてしまうなら、なおさらに。
「二人の事、忘れちゃったとしても、ずっとずーっと友達だからね!」
「うん!」
とびっきりの笑顔で、流と汀ちゃんがうなずいてくれた。
アタシは流と汀ちゃんと手をつないだまま、女神様の方へ向き直った。
「早池峰の女神様。決めました。アタシの記憶を差し上げます。だから、赤ちゃんを──妹の笑美を返して下さい」
赤ちゃんを……初めて『妹』って呼んだ。『笑美』って。アタシの妹。
「決めましたね。分りました。そなたの願いをかなえてあげましょう」
静かに言った女神様は、両手を空に向けて伸ばした。見ていると、空中に光の球があらわれた。うすいピンク色をした光の球は、どんどん大きくなって、ちょうど丸い形をした座布団と同じくらいの大きさになった。
おばあちゃん家にあったのと、おんなじくらいかな。よくママが、笑美のコト寝かしながら遊んでたっけ。
そんな事を思っているうちに、光の球は女神様の両手の腕の中におりて来た。
うすピンク色の光が消えるとそこには、女神様に抱かれてスヤスヤ眠る、小さなアタシの妹がいた。
「……赤ちゃん」
「さあ、メグミ。そなたの望み、そなたの妹です。しっかりと抱いて上げなさい」
そっと目の前に差し出された赤ちゃんは、本当に小さくて、ちょっとした事でコワれてしまいそうだった。
「そう、頭はこうやってヒジに乗せて。おしりを支えるんだ」
流が赤ちゃんの抱き方を教えてくれた。眠ってる赤ちゃんは、何だかグンニャリしていて、それでいてとても温かかった。小さな目、鼻、口。こんなに小さいのに、手にも足にもちゃんと、指も爪もある。この体の中では、アタシと同じように、心臓がドキドキと音を立てて動いてるんだ。
「カワイイ赤ちゃんだね。メグミちゃんの妹、笑美ちゃんって言うんだ」
「うん。この笑美ちゃんがいてくれたから私たち、メグミちゃんと友達になれたのね」
ハッとした。そうだったんだ。パパとママがあんまり赤ちゃんのコトばっかり見てるから、アタシはカッパ淵に行ったんだった。もしも赤ちゃんがいなかったら、川へ遊びに行く事はなかったかもしれない。
「そうだね。二人と仲良くなれたのは、笑美のおかげなんだね」
しっかりとした重さを感じさせる赤ちゃんは、アタシの腕の中で安心しきった様子で、静かに寝息をたてている。
「善哉」
女神様が厳かに言った。
「では約束通りそろそろ、そなたの記憶を頂きましょう」
「あ、まって。ちょっとだけ、まって下さい」
今、記憶を消されちゃったら、大事なコトが伝えられなくなっちゃうよ。
女神様がうなずいてくれたのを確かめてから、流と汀ちゃんの二人に視線を戻した。
「あの……何て言ったらいいのか……。ここまで来れたのも、妹を返してもらえたのも、流と汀ちゃんのおかげだよ。本当にありがとう」
二人の兄妹に向かって、頭を下げる。
考えてみたら、初めてかも知れない。誰かに頭を下げるほど、感謝したことなんて。きっと誰でも、心の底から感謝した時には、自然と頭が下がるんだ。だからコレが、人間の出来る一番素直な感謝の形なんだと思う。
「オレたちは、何もしてないよ。ただメグミちゃんの味方だった事と、山頂まで道案内をしただけだよ」
「がんばったのは、メグミちゃんだもの。赤ちゃんを返してもらえたのだって、メグミちゃんの力だよ。私もお兄ちゃんも、メグミちゃんのがんばりがなかったら、ここまで来ることも出来なかったと思うし」
本当にこのまま、二人の事を忘れてしまうのかな? もう二人を見かけても、何とも思わなくなっちゃうのかな?
二人の事、全部忘れてしまわないように、流の顔と汀ちゃんの顔をジッと見た。絶対に、全部忘れたりしない。きっと覚えてる。覚えておくんだ。
「アタシ、二人の事、きっと思い出すから。忘れてしまったりしないから」
「うん。オレたちも、メグミちゃんを忘れたりしないよ」
「大丈夫。きっとまた会えるから。今は赤ちゃんを、早くお母さんに返してあげて」
流と汀ちゃんの優しい笑顔をしっかりと目に焼き付けて、アタシはもう一度、深く頭を下げた。
「本当に──本当にありがとう」
頭をあげると、赤ちゃんを抱いて女神様の方へ向き直った。
「……お願いします」
「わかりました。さあ、こちらへ」
二・三歩、女神様の方へ近づく。おでこに女神様の白い手が触れた。少しヒンヤリとして、心地いい女神様の手。
「心配しなくても、そなたと赤ん坊は、ちゃんと無事に送り届けてあげます」
自然とまぶたが降りてくる。赤ちゃんを落とさないように、しっかりと抱える。
目を閉じてるんだから、視界は暗いはずなのに。なのに、まぶたの裏には光が見えていた。何だかとっても、気持ちがいいよ。
その気持ちよさに心と体をあずけて、アタシは光の中に浮かんでいった。
ふわふわと。ぷかぷかと。
腕の中で眠る赤ちゃんと一緒に、アタシは光に包まれていった。