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早池峰山へ

 その瞬間、体がグラッとゆれたような気がした。

 何だか体の周りの空気ごと、グンニャリとゆがんでいるような、引っ張られているような、押されているような、とても変な感じ。

「メグミちゃん、大丈夫?」

 汀ちゃんの声がする。

「うん、大丈夫……だと思う。さっきもらった葉っぱ、つけといてよかったよ」

 本当にそう思う。目を閉じているから分んないけど、きっと周りの景色はグニャグニャに溶けて、グルグル回っているはず。目を開けてたら、乗り物酔いみたいになって、気分が悪くなってたと思う。汀ちゃんの言ってた通りだね。

 一度大きく体がゆれて、ガクンッという衝撃があった。

「何? もう着いたの?」

 見えないから、様子が分らない。キョロキョロと頭をふって、流と汀ちゃんにたずねてみる。

「残念だけど、ちがうんだ。ここは早池峰の女神の守護を受けた、社の一つだよ。一息には飛んで行けないけど、こうやって早池峰の力をたどって、力を分けてもらって、女神の御座所まで行くんだ。さあ、また飛ぶよ」

 流が答えてくれる。アタシは流の手をギュッと握った。

 目を閉じているアタシにとって、握った手から伝わる温度だけが、世界の全部だ。


 空気がゆがむ感覚と、体が落ちる感覚を何度かくり返しているうちに、頬に当たる冷たい風を感じた。

 すっかり慣れてしまった衝撃があって、体が止まった。

「メグミちゃん、もう目を開けてもいいよ」

 そう言われて、おそるおそる目を開けてみる。まぶたの上にあった『目隠し草』の二枚の葉っぱは、スルリとはがれて落ちた。

 最初に目に入ったのは、ゴロゴロと石が転がった地面。そして全体的に、かすんで見える風景。

「ここが──ここが早池峰の女神様の、御座所ってトコなの?」

 夏なのに、肌に触れる風、肺に流れてくる空気はとても冷たい。Tシャツのそでからのぞく腕に、鳥肌が立っている。

「御座所って言われる奥宮は、まだ上だよ。さすがに神様が直接守っている場所だからね。いきなり飛んで行く、ってワケにはいかないんだ。ここから少し歩くけど、ガマンして」

「うん、大丈夫だよ」

 そうだ。少しくらい、苦しい思いをしなくちゃいけないんだ。アタシのせいで、こんな事になったんだもん。

「早く行こう」

 立ち止まっていると、吹いてくる風に体温を持っていかれる。動いている方が、温かいかも知れない。

 歩き出そうとしたアタシは、そでを引っ張られる感覚で足を止めた。

 振り返ると、汀ちゃんがTシャツのそでをつかんでいる。

「待って、メグミちゃん。奥宮に向かう前に、いくつか確認しなきゃいけない事があるの」

「え? 確認?」

「うん。変な事聞くけど、メグミちゃんって、月のモノはあるの?」

 月のモノ? それって……。

「もしかして、生理のコト?」

 何でそんな事、聞くんだろう? 見れば、流は居心地悪そうに、どこか別の方向を見ている。

「まだ……始まってないけど。それが何か、関係あるの?」

「ごめんね、変な事聞いて。この早池峰山は、もともと『女人禁制』の山で、女の人が足を踏み入れると山が荒れるって言われてたの。今はさすがにそんな事はなくなったけど、昔は、女の人はこの山に登ってはいけない決まりになってたのよ」

「ふつうの登山客ならかまわないんだけど、今回、オレたちは早池峰の女神に会うために山頂を目指してる。女神の機嫌をそこねないように、出来るだけ作法を守った方がいいと思ってさ」

『女人禁制』とか『作法』とか、いつものアタシの生活の中には存在しない言葉。それが、この場所は『日常』とはちがう事を教えてくれる。

 アタシは確かに、「神様の土地」にいるんだ。改めてそう思うと、何だか背筋が伸びた気がしてきた。

「オレは男だし、汀は六歳だから、まだ『人』のうちに数えられない。メグミちゃんはもう七歳を過ぎてるし、もしも月のモノが始まっていた場合は、禁忌に触れる事もあるからね。だから確認させてもらったんだ」

 流ってば、本当にアタシと同じ歳なの?

 何よ、その『キンキ』って?

 疑問が、まんま顔に出たみたい。アタシを見て汀ちゃんが説明してくれた。

「『禁忌』って、やってはいけないって事。女の人は早池峰山ではなく、向こうの鶏頭山に登っていたの。でも『女人禁制』もずっと前に解けたけどね。だけど、女神様を怒らせたりしないように、メグミちゃんは山頂に向かって息を吐かないように、気をつけて」

 ここはアタシの知っている世界じゃない。だから、世界を良く知っているらしい、流と汀ちゃんの言うとおりにしよう。

 分ったというしるしに、二人に向かって軽くうなずいて見せた。

 流、アタシ、汀ちゃんの順に歩き出した。

 山頂って、アタシの向かう先だよね。その方向に息を吐かないなんて、大丈夫なのかどうか不安だったけど。

 でも歩き出してみたら、それどころじゃないのが分った。

 足元は大きな石や、とんがった石がゴロゴロしていて、下を向いて注意して歩かないと危なくってしょうがない。

 しばらくの間、誰も何もしゃべらずに、ただ歩いていた。

 動いたからかな。さっきほど冷たい空気は気にならなくなってきた。……空気は気にならなくなってきたけど……。

「ねえ……」

 返事はない。

「ねえ、誰か何かしゃべってよ」

「──メグミちゃん、疲れた?」

「いや、そうじゃなくて」

 顔をあげるわけには、いかない。山頂に向かって息をしちゃいけないから。周りの景色を見る事も出来ない。

「下ばっかり見てるからさ。話でもしてないと、気分が落ち込んできちゃう」

「それも、そうか。じゃ、何を話す?」

「うーん、何って言われても……」

 転ばないように、気をつけて。顔をあげないように、注意して。

「あ、そーだ。早池峰山の女神様って、どんな人なの?」

 言ってしまってから、気がついた。『女神様』って言ってんのに、『人』って何だよ? 自分の言葉に、思わず笑っちゃう。おっと、危ない危ない。山の上に向かって、息を吐いちゃいけないんだった。

「早池峰の女神の事か。そうだね。少しは気がまぎれるかも」

 アタシの前を歩いていた流が、ちょっとだけ笑ったような気がした。見たワケじゃないから、よく分んないけど。でもきっと、まちがってないと思う。

 それから歩くテンポに合わせて、早池峰山の女神にまつわる話をしてくれた。


 ──昔むかし、姉妹の女神がいて、ずっと二人で旅をしてきた。

 ある時、遠野の小出こいでという場所にある峠に差しかかった時、早池峰山の姿を見て、「何とかしてあの美しい山の神様になりたいものだ」と話し合った。

 そこで姉妹は「枕元に清らかな霊花の降りて来た者が、早池峰山の神様になる」と決めて、床に就いた。

 姉神の方はすぐに眠ってしまったが、ずるがしこい妹神は寝たふりをしたまま、じっと様子をうかがっていた。

 やがて明け方になり、姉神の枕元に蓮華の花が降りて来ると、すぐに飛び起きて花を奪い、「私の枕元に降りて来た」と言って早池峰山に行き、そこまま山の神になってしまった。

 残された姉神は五葉山の神になったと伝えられている。──


「他にも伝わっているけど、大体は同じタイプかな。話に出て来る女神は、二人姉妹だったり三人姉妹だったりするね。で、妹が姉を出し抜いて早池峰の神様になっちゃうんだ」

 流が話してくれたのは、今まで聞いた事もないものだった。

「お姉さんのトコロに来た花を、盗んじゃうわけ? 神様なのに?」

 変なの。盗んだり、ウソついたり。ぜんぜん神様っぽくないや。

「うん、神様なのにね。でもこんな女神様だから、一生に一度ならどんな願いもかなえてくれるとか、人のモノを盗んでも許してくれるとか、言われているんだよ」

 アタシの後ろからついて来る汀ちゃんが、やっぱり少しだけ笑いながら、流の話に付け足してくれた。

 二、三十分くらい歩いたかな。石ばかりだった視界に、木で出来た道が見えてきた。

「ここから山頂までは、木道になってるんだ。少しは歩きやすいと思うよ」

 流の言葉通り、ゴロゴロと石の転がる登り道よりも歩きやすかった。やすかったけど。

「……す、すべる……」

 何人もの人が、頂上を目指して歩いただろう木の道は、ふみしめられ、けずられ、その上、山頂にかかる霧のせいか、ぬれていてよくすべる。

 それに、高い山の上って空気がうすいんだっけ? 息が苦しい。

 顔をあげずに、ずっと下を向いて歩いているから、よけいにそう感じるのかも知れない。

 立ち止まって空を見上げ、思いっきり深呼吸したくなった。

 でも、きっとダメ。一度立ち止まったら、歩き出せなくなっちゃう。だからアタシは、歩き続けなくちゃ。

 どのくらい歩いたのかな。周りの景色は、すっかり霧の中でボンヤリとしている。

「メグミちゃん、がんばって。もう少しだから」

 後ろから汀ちゃんが声をかけてくれた。アタシよりも年下なのに。アタシより、大変だと思うのに。

「うん、ありがとう、汀ちゃん」

 ちょっとだけふり返って、汀ちゃんに笑って見せた。

 歩いて、登って、いいかげんヒザがガクガクし始めた時、先を行く流の背中にぶつかった。

「ふあっ! 何? どうしたの?」

 ぶつけた鼻に当てた手を、あわてて口元に移動させて流を見た。


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