あたしの願い
『──メグミ』
その声に薄く目を開けると、白い光が視界に飛び込んできた。スゴく、まぶしい。
『メグミ』
アタシを呼ぶ声は、白い光の中から聞こえてくる。目をこすってよく見ると、光の中に何かがいるのが分かった。
「何? 誰?」
少しずつ光に目が慣れてくると、大きな動物のような影と、その動物に乗った人影が見てとれた。
『メグミ』
影が光の中から進み出てくる。
「──鹿?」
光の中にいたのは、雪のように白くて額に金色の星のある、大きな鹿。そして、その鹿に腰かけている、とってもキレイな女の人だった。
女の人は長い髪をいろんな花で飾り、昔話の──そうだ、七夕の織姫さまみたいな──ヒラヒラした着物を着ていた。
『メグミ』
アタシの名前をずっと呼んでいたのは、どうやら、この女の人みたい。
「はい、メグミはアタシです。あなたは誰ですか?」
アタシが答えると、女の人はちょっとだけ笑ったような気がした。
『わたくしは、早池峰奥宮。そなたに話があって、降りて来ました』
ずい分と不思議なしゃべり方をする人だなあ。おばあちゃんが見てた、時代劇に出てくる役者さんみたい。
「話? アタシに?」
『そう、そなたにです。そなた先程、赤子はいらぬと願いましたね? それがまこと、真実であるならば、わたくしが赤子をもらってゆきましょう』
「え、でも──」
確かに、いらないと思った。どこかへ行っちゃえ、とも。
『赤子がいなくなってしまえば、父も母も、そなたを愛してくれると、そう思ったのでしょう? ならば、わたくしがその願いを叶えてあげましょう。そなたがいらぬと言った赤子、わたくしがもらってゆきます』
女の人がそう言ったとたん、鹿の額にある星が輝き出し、アタシはまぶしくて目を開けていられなくなった。
『忘れてはいけませんよ。赤子は、わたくしのものです。確かにわたくしが、もらいましたよ。覚えておくのですよ、メグミ』
待ってよ! そんな、いきなり……。待ってよ、ねえ、待って!
アタシは水の中でもがくように、消えていく光を追いかけようとした。
「待って!」
『忘れてはいけませんよ、忘れては。いいですね、メグミ』
小さくなっていく光の点に手を伸ばした時、アタシは肩を揺さぶられるのを感じた。
「……グミちゃん、メグミちゃん」
細く目を開けると、おばあちゃんがアタシをのぞき込んでいた。
押入れの中で眠り込んでいるうちに、すっかり夜になってしまったみたい。おばあちゃんの後ろから差し込む部屋の明かりが、妙に白く感じた。
「おばあちゃん……」
「まあまあ、こんなトコロで眠っちゃって。お腹、空いたろう?」
そっか、眠ってる間に晩ご飯、食べそこねちゃったんだ。
体に毛布を巻き付けたまま、押入れの中からはい出ると、おばあちゃんがお盆を差し出してくれた。
おっきめのおにぎりが二つ。お漬物の小皿とお味噌汁、熱そうなお茶。
「ありがとう、おばあちゃん」
食べ物を見たとたん、アタシのお腹はモーレツに抗議を始めた。
お味噌汁をひと口すすると、体中にあったかさが広がった。
「おいしい──」
両手を温めるみたいにお椀を持つアタシに、おばあちゃんは優しく笑いかけてくれた。
「よっぽどお腹、空いてたんだねぇ」
「おばあちゃん、パパとママは?」
怒ったまんまで飛び出して来ちゃったから、二人の事が気になった。
「大丈夫よ。お父さんもお母さんも、今はちょっと余裕がないのよねぇ。二人には、おばあちゃんから話しておくわ」
「うん……」
「安心なさい。お父さんもお母さんも、メグミちゃんの事を嫌いになったりしないわ。メグミちゃんの気持ちは、おばあちゃんにはよーく分かるもの」
おばあちゃんの、大きな手。シワッシワデゴツゴツした手。その手で、アタシの頭をなでてくれた。
「アタシの気持ちが?」
「そうよ。おばあちゃんにはね、兄妹が四人いるの。兄さんとは年が離れていたけど、下の妹と弟とは年が近くてねぇ。ちょうどメグミちゃんと同じくらいの頃だったかしら、妹が生まれたのは」
おばあちゃんは目を細めて、過去を振り返るようにして話してくれた。
「あの頃は今みたいに病院で産むよりも、家にお産婆さんに来てもらって、そこで出産する人が多かったかねぇ。おばあちゃんのお母さん、メグミちゃんの曾おばあちゃんになる人も、お産婆さんを呼んで出産したのよ」
「家で……。じゃあ、ずっと曾おばあちゃんの側にいられたの?」
「それがねぇ。子供は邪魔になるからって、朝から部屋にも入れてくれなかったのよ。子供だって、心配よねぇ」
ママが病院に入院する時も、スゴく心配だった。あんなに大きなお腹で、夜中に急に苦しみ出して……。パパが大騒ぎしながら車で病院につれて行ったんだ。
でもアタシは子供だから、つれて行ってもらえなかった。
「心配要らないから、おとなしく家で待ってなさい」
そう言われたってさ……。心配いらないって言われてもさ、ムリに決まってるじゃん。目の前で、お腹を抱えて痛がっていたママ。あの姿を見て、心配しない方がどうかしてる。
「出産には時間がかかってねぇ。妹が産まれたのは、夜になってからだったよ。おばあちゃんはもう、心配で心配で。でも、部屋に呼ばれたのは曾おじいちゃんだけ。そのうちに待ちくたびれたおばあちゃんは、いつの間にか眠ってしまったみたいでね。朝になって部屋に入ったら、曾おばあちゃんは大事そうに赤ちゃんを抱っこしてたよ。おばあちゃん、何だか悲しくってねぇ」
アタシと一緒だ。ようやくママに会えたのに、ママはアタシのことを見てくれない。アタシに向かって掛けられる言葉は、全部赤ちゃんの事ばかり。
「大好きな母親を、赤ちゃんに取られちゃったような気になったもんさ。今のメグミちゃんみたいに。赤ちゃんなんかいらないって、何度も思ったしね。だから、メグミちゃんの気持ちは良く分かるよ」
おばちゃんが渡してくれた湯呑茶碗。入っているお茶は少し冷めてしまったけど、それでも、アタシの手を温めてくれるには十分だった。アタシの手と、アタシの心を。
「さあ、食べ終わったら、ゆっくりとお休み」
食べ終わった皿と湯呑茶碗をお盆に載せて、おばあちゃんは部屋から出て行った。
アタシはおばあちゃんが用意してくれていた布団にもぐり込んで……少しだけ泣いた。
布団は、お日様のニオイがした。
そして……あの奇妙な夢の事を、忘れた。
翌朝、アタシは家の中がなにやら騒がしくて、目が覚めた。
「何? うるさい……」
部屋のフスマを開けると、誰かが大声で泣いているのが聞こえた。──ううん、あれは泣き叫んでいるんだ。
あわてて着替えると、アタシは声のする方へ走って行った。
叫んでいたのは……ママだった。
部屋の中にペタリと座り込んで、大声をあげて泣いていた。手には小さな毛布を握りしめて。そして──赤ちゃん用の布団には、誰も寝ていなかった。
「笑美が! 笑美がいないのっ! あなた、笑美がいなくなって──どこへ行っちゃったの!? ねえ、あなた、笑美は!?」
「落ち着け、落ち着くんだ。そんなに騒ぐと、体に障る。笑美の事は任せろ、絶対に探し出すから」
叫ぶママの肩を、パパがしっかりと押さえていた。
どうしたんだろう? 何があったの?
おばあちゃんがアタシに気が付いて、そっと廊下までつれ出してくれた。
「ね、おばあちゃん、何があったの? ママはどうしちゃったの?」
アタシの質問に、おばあちゃんは部屋の方を気にしながら、説明してくれた。
「実は、笑美ちゃんがね──。夜中にお乳を飲ませた後、お母さんが目を覚ますまでの間に、いなくなっちゃったんだよ。家中の鍵も閉まってたし、雨戸もちゃんと閉まってたのに。誰も入ってきた跡はないんだよ。なのに、笑美ちゃんだけがいなくなって……」
赤ちゃんが……いなくなった?
部屋をのぞき込む。ママはパパにしがみついて泣いていた。その側に敷かれたままの、赤ちゃん用のベビー布団。シーツの白が目に痛かった。
本当ならそこには、生まれて数週間の赤ちゃんが──アタシの妹が寝ているはずなのに。
「やっぱりアレは、夢じゃなかったんだわ。アレが笑美をつれて行ったのよ!」
ママが泣いている。パパも泣いている。




