遠野へ
その夏、赤ちゃんを産んだママが里帰りしているおばあちゃんの家に、パパと二人で行く事になった。
おばあちゃんの家は、岩手県遠野市。民話や昔話がたくさん残ってるって聞いたけど、そんなのどーでもいいや。
「もうすぐだぞ。メグミも赤ちゃんに会うの、楽しみだろう?」
パパは朝から機嫌がいい。
「病院で会ったきりだもんなぁ。だいぶ大きくなったかな。早く会いたいだろ?」
「──別に……」
ついこの前、病院を退院したんだもん。いきなり大きくなってるわけ、ないじゃん。
「馬っ鹿みたい」
どんどんおばあちゃん家に向かって走る車の中から、窓の外をながめて小さくつぶやいた。
ああ、つまんない、つまんない。
そりゃあ、ママに会えるのはうれしいけど。もう二週間以上も会ってないし。
車はにぎやかな通りを抜けて、山の方へ向かって進んで行く。駅前を過ぎると、とたんに周囲はさびしくなってく。
「なぁんにもないじゃん」
畑とたんぼと山。それだけ。
「静かでいいトコだぞ」
そう言えば、パパもここらへんの出身なんだっけ。
「──まだ着かないの?」
「んん? ああ、もうすぐだ」
さっきっから、そればっかし。
あーあ、学校のみんなは夏休み、楽しんでるんだろーなあ。
「あきちゃんは遊園地に行くんだって。たかちゃんは、今年は海外に旅行って言ってたよ」
「へえ、そうか。でもメグミだって、出かけてるじゃないか。おばあちゃん家まで、旅行だろ?」
バックミラー越しに、パパが話しかけてくる。
……やっぱり、分ってないや。
アタシが大きなため息をついている間に、車はおばあちゃんの家の前に着いた。
数えるほどしか来た事はないけど、来るたんびに思うんだよね。
「相変わらず、おっきい家だなぁ」
今風の家じゃなくて、一階建ての古い木造の家。アタシの住んでる所じゃ考えられないくらい、広い庭。
その庭の隅に車を停めると、パパは大きくノビをして言った。
「さあ着いたぞ、メグミ。荷物を運ぶの手伝ってくれ」
「はぁい」
気のない返事をして、車のトランクから大きなカバンを引っ張り出す。
ったく──。何でこんなに荷物が多いのよ? 何ヶ月も旅行するわけでもないのに。
パパは荷作りがヘタ。必要か、そうでないのかも考えず、目に付くモノは何でもカバンに入れてしまうから。だからいつだって、出かける時は大荷物になっちゃう。
これでも、ずい分減らしたのに……。
深くて大きなため息をついて、子供でも入っているんじゃないかと思うようなカバンを運んだ。
「こんにちはー。お世話になります」
開け放ちになっている部屋の縁側に荷物を置いて、パパは奥に向かって声をかけた。
「ああ、いらっしゃい。遠いところ、良く来たねぇ。疲れたでしょう」
エプロン、じゃないや。「カッポウギ」とかって言う、ダブダブの服を着たおばあちゃんが出てきた。
「あらあら、メグミちゃんかい? 大きくなって。お久しぶり。おばあちゃんの事、覚えてるかい?」
シワシワの顔、細い目、カサカサの手──。アタシの覚えているおばあちゃんより、もっともっと「年寄り」に見えた。
何か言わなきゃと思ったけど、結局、何も思いつかなくて、ペコリとおじぎだけをした。
「こら、メグミ。ちゃんとあいさつしなきゃ、ダメじゃないか」
パパがしかめっ面でアタシに向かって言うから、しかたなく小さな声で「こんにちは」とボソボソあいさつした。
「いいよ、いいよ。久しぶりなもんだから、勝手が分からんのでしょう。さあメグミちゃん、上がって上がって。お母さんが待ってるよ」
細い目がシワにうもれて見えなくなるほどニコニコしながら、おばあちゃんが奥の部屋の方を指差して教えてくれた。
「──どうも」
アタシはもう一度頭を下げて、縁側からおばあちゃん家に上がり込んだ。
ちょっと薄暗くって、知らない匂いのする部屋を横切って行くと、後ろでパパがおばあちゃんに話している声が聞こえた。
「すみません、お義母さん。何だか今朝から、あんな調子なんです。反抗期ですかね?」
「女の子は、みんなそうよ。どうしたってね、女の子には難しい時期があるんだから」
ふん、放っておいてよ。
ツルツルでピカピカの廊下を歩いていくと、障子にガラスをはめ込んだ引き戸があって、そこからママがいるのが見えた。
「ママー、来たよ!」
勢い良く戸を開けて、アタシは部屋に飛び込んだ。
平気なふりをしていたけど、やっぱりさびしかったから。
学校から帰っても、朝になっても、夜寝る時だって、ママはいない。
いつも「おかえり」って言ってくれて、「起きなさい」って言ってくれて、「おやすみ」って言ってくれてたママがいない。そんな日が二週間以上も続いてた。
ママに会えるのだけが楽しみで、こんな所まで来たんだもん。
ママだって、きっと──。
「メグミ、大きな声出さないで。今、赤ちゃんが寝たところなんだから」
「え……?」
ママ? うれしくないの?
ママは両腕に赤ちゃんを抱いて、布団の上に座って、ちょっとだけ怒った顔をしてアタシの事を見ていた。
「ご……ごめんなさい──」
何だろう。どうしてママはアタシを見て、笑ってくれないんだろう?
「ああ、ここにいたのか。どうだい、赤ちゃんの様子は?」
アタシの後ろからヒョイと顔を出したパパが、部屋の中のままに声をかけた。
「いらっしゃい、パパ。疲れたでしょう」
「いや、大した事ないよ。自分の実家と距離はほとんど変らないんだから」
「そうだったわね」
パパの言葉に、ママは少し笑顔になった。
アタシには笑ってくれないのに……。
「あらら、残念。寝ちゃった?」
「今ね。なかなか寝てくれないのよ、この子ってば」
「ちょっと抱かせてもらっても、いいかな?」
「どうして、かしこまるのよ。自分の子供なのに」
二人は楽しそう。アタシがここにいるの、忘れちゃったみたい。
パパはママの腕から赤ちゃんを受け取ると、コワレモノを触るようにして、そっと抱きかかえた。
パパ、とけちゃいそうな顔。タレ気味な目をもっとタレ目にして、赤ちゃんをのぞき込んでる。
「ちゃんと名前、出してきてくれた?」
「ああ、ちゃんと出してきたよ」
そう言って、パパはアタシに向かって赤ちゃんの顔が見えるように、体の向きを変えた。
「ほら、メグミ。この子の名前は『エミ』だよ。『笑う』に『美しい』で、『笑美』って言うんだ。カワイイだろ? メグミの妹だよ」
パパの腕の中の「妹」は、正直、あんまりカワイイとは思えなかった。
赤い顔、ペッシャンコの鼻、カワイくないよ。
ようやくママが、アタシの方を見てくれた。ホッとした。良かった、忘れられたわけじゃなかったんだ。
「メグミ、元気だった? ちゃんとパパの言う事を聞いて、いい子にしてたかしら?」
「うん、いい子にしてたよ」
ママの布団の横に座る。話したい事が一杯あって、聞いてほしい事が一杯あって。
ママにギュッとしてほしかった。
「ママ、あのね──」
アタシが話し出そうとした時。
「ふにゃあ……」
パパの腕の中で眠っていたはずの「妹」が鳴き声をあげた。
歯が一本もない口を大きく開けて、体をふるわせて泣いている。
「ああ、起きちゃったのね。おっぱいはさっき飲んだから、オムツかしら?」
せっかくアタシの方を見ていたママが、赤ちゃんの方を向いてしまった。
パパの腕から赤ちゃんを抱き取り、布団の上に寝かせてベビー服をまくる。
「お姉ちゃんに、あいさつしようと思ったんだよな」
「そんなわけ、ないじゃない。きっと、メグミの声が大きかったのよ」
何、アタシのせいなわけ?
紙オムツを広げると、赤ちゃんのオシリをふいて新しいオムツと取り替えた。
あー、あー、とむずがる赤ちゃんを胸元に抱いて、優しく揺らしながらあやし始めるママ。
「ダメねー。お姉ちゃんなのにねぇ」
もうママは、アタシの事を見ていない。
パパもママも赤ちゃんをのぞき込んで、口はパパ似ね、とか、鼻はママにそっくり、とか話してる。
アタシはだまって部屋を出ると、庭に面した居間の縁側に腰かけて空をながめた。
「……つまんないの」
縁側にゴロリと転がる。空が高くて、青い。庭の木にとまっているセミの声が、まるで降ってくるみたい。
「おや、メグミちゃん。どうしたの、こんなトコロで」
麦茶の載ったお盆を持ったおばあちゃんが、ビックリした顔でアタシを見ていた。
「赤ちゃんには、会ってきたかい?」
アタシの隣に座ると、おばあちゃんが聞いてきた。
赤ちゃんの話なんて、したくないよ」
わざとふくれっ面になって答えないでいると、おばあちゃんはアタシのほっぺたを指でツンツン、と突いてきた。
「まあまあ、カワイイお顔が台無しよ」
「カワイくなんかないもん。パパもママも、赤ちゃんばっかりかわいがって。きっとアタシの事なんか、どうでもよくなっちゃったんだ」
「そんな事ないわよ。お父さんもお母さんも、メグミちゃんの事が大好きよ」
「もう、いいよ! どうせ、アタシのいる場所なんかないんだから!」
勢いをつけて起き上がると、縁側の下にあったクツをはいて庭へ飛び降りた。
「メグミちゃん、どこに行くの?」
驚いたおばあちゃんが、半分くらい腰を浮かしてアタシを見てた。
「つまんないから、外に出てくる」
「暗くなる前に、帰って来るんだよ」
おばあちゃんの言葉に振り向きもしないで、アタシは庭を走り抜けた。