第六話_生き証人と高速の飛脚
「これは…。」
奉行所を足早に出て、伊田陀鬼屋へと戻っていた義彦と義吉。
彼らは道端に転がる「何か」を見つめて唖然と立ち尽くしていた。
それは、無数の土足の跡を全身に浴び、グッタリと泥にまみれて伸びている物体。
「ユウジ…じゃないの?」
義彦が引き攣った顔で呟く。
そう、彼らの足元でゴミのように転がっているのは、自分たちを奉行所へと送り込んだ張本人であった。
「な…なぜこんな無様な姿でのびているんでしょう?」
自分たちを捕らえた「恐るべき強敵」のあまりの凋落ぶりに、二人は同時に首を傾げるしかなかった。
◇◇◇
「ハ~ハッハッハッハッハァ!」
松乃信の話しが終わると同時に、屋敷の二階に半蔵の高笑いが響き渡った。
「おまつと言ったな…テメェ最高だぜ。ぬるま湯のごとく腐りきった江戸の『め組』に、これほどのタマが残っていたとはな!」
狂ったように笑う半蔵に対し、松乃信の表情は微塵も揺るがない。
傍らに控える石田と清十郎もまた、張り詰めた糸のような緊張感を漂わせている。
「それじゃあ、この計画に乗ってくれるかしらん?」
松乃信が唇を開いた瞬間、その喉元に漆黒の刃が突きつけられた。
一分の隙もない、死への最短距離。
「…だからこそ、信用できねぇんだよ。」
半蔵の笑みが、冷酷な歪みへと変わる。
眼帯越しでも伝わる圧倒的な威圧感が、部屋の空気を凍らせた。
「俺の存在をこの世から抹消するために、替え玉を立てろだと?町人を守るのが役目の男が吐く台詞じゃねぇな…?」
骨砕牙の鍔が、じりじりと松乃信の喉を押し潰す。
「奉行所絡みの話にしても、スケールがデカすぎて胡散臭ぇ。悪いが、そんな夢物語に乗る気は―――。」
その時、閉ざされていた襖がゆっくりと開けられる。
「お前ら…?」
半蔵の声に、驚愕の色が混じる。
眼帯の奥の視線が捕らえたのは、行方不明だったはずの部下―――義彦と義吉の姿だった。
「半蔵様、その女の話…ん?女?」
口を開けた義彦が、松乃信をまじまじと見つめて言葉を詰まらせる。
それに呼応するように義吉が重ねた。
「おひょっ!これはコレクションにしたいほどの逸材っ!いや化け物かっ!?」
「義吉に義彦!この客人の容姿についてはどうでもいい!!お前たちは奉行につかまっていたのではないのか?」
二人の言葉で松乃信の額に大きな血管が浮き出たところで、石田が口をはさんだ。
今、彼の姿について話している場合ではないのだ。
その言葉で我に返った義彦が、軽く咳払いをすると続ける。
「半蔵様。その『男』の話ですが…まぎれもなく真実でございます。」
「どういうことだ義吉!!」
声を荒げる石田だが、松乃信も半蔵も微動だにしない。
「兄さんと私は、奉行所に捕まっていたんです。そこで…御奉行から直接、すべてを聞かされました。」
「ボクちゃんたちは、半蔵様にこの計画を信用させるための『証人』として釈放されたってわけ。」
半蔵は、松乃信に刀を向けたまま、微動だにせず部下の言葉を吟味する。
最も信頼を置く刺客のうち二名からの進言。
それは、松乃信の言葉が真実であるという裏付けには十分すぎる証拠であった。
「どうお? 部下たちもこう言っているわ。アタシの話、信じてくれるかしらん?」
松乃信は指先でそっと喉元の刃を退け、艶然と微笑んだ。
障子から差し込む昼の光が、静寂に包まれた部屋を白々と照らしている。
◇◇◇
「あうう…。」
人通りの増えた大通りで、ユウジがようやく呻き声を上げた。
先ほど義彦と義吉に完璧にスルーされたことも知らず、彼は屈辱にまみれた体を引きずり起こす。
「ぶ…殺す…。」
鼻からも口からも血を流し、その目は怨念で真っ赤に充満している。
御奉行から賜ったばかりの銘刀を「杖」代わりに突き立てて立ち上がると、ふらふらと歩き出すユウジ。
「ワイをこんな目に合わせよって…。もう許さねぇ。」
その足は伊田陀鬼屋とは真逆、先ほどまでユウジを足蹴にしていた町人へと向かっている。
「宇宙最強の侍を舐めたクズ共がぁ!」
狂気に歪んだ笑顔で、ユウジがボロボロの刀を振り上げた。
「天誅じゃああああああ!!」
叫び声とともに、標的に定めた町人へ向かって走りだそうとした刹那。
視界の端から「何か」が高速で飛来した。
それは江戸一番の俊足と称される飛脚、武田一 輝光―――その人であった。
仕事に命を懸ける彼は、まさに弾丸のごとき速度で大通りを爆走していたのだ。
そして…。
「おっとごめんよ!」という輝光の軽快なセリフとともに、ユウジは輝光さんに正面から撥ね飛ばされてしまった。




