第四話_松乃信の提案
「そ…それは本当ですか!?」
絶句し、真っ先に声を上げたのは石田だった。
驚愕に目を見開き、目の前の「異形」―――松乃信を凝視する。
「ええ。この手紙を見ていただければ…信じていただけるかしらん?」
松乃信はニヤリと、胸の悪くなるような艶然とした笑みを浮かべ、懐から一通の封筒を取り出した。
封筒の隅には、その内容の重大さを裏付ける文字が記されている。
江戸の法を司る最高権力者、御奉行の直筆サインと共に。
「フフ…ハ~ハッハッハッハッハァ!」
それまで死神のように沈黙を守っていた半蔵が、突如として爆発的な笑い声を上げた。
腹の底から絞り出されるような、狂気と愉悦が入り混じった高笑い。
「こいつは最高だぜ!御奉行がこの伊田陀鬼屋をか?!」
壁に立て掛けてあった『骨砕牙』を鷲掴みにし、半蔵がゆっくりと立ち上がる。
座ったままそれを見上げる松乃信。
刹那、漆黒の切っ先が松乃信の喉元数ミリの地点で静止した。
常人の動体視力では捉えきれぬ抜刀速度。
だが、松乃信は瞬き一つせず、その鋭利な死を平然と受け止めている。
「その話、確かに最高だぜ…。」
刀を向けたまま、半蔵の声から温度が消えた。
「だが、条件が気に食わねぇ。」
眼帯に隠れた両目が、たしかに松乃信の魂を射抜くように見据える。
「伊田陀鬼屋は俺の所有物だ。例え御上の命令だろうが、この場所を明け渡すわけにはいかねぇ。」
その峻烈な拒絶を聞き、松乃信の口角が吊り上がった。
まるで半蔵がそう答えるのを、心待ちにしていたかのように。
「その意見、アタシも同感よん、半蔵さん♪」
半蔵の眉が、怪訝そうにピクリと動いた。
◇◇◇
「フヘヘ…見つけたで!伊田陀鬼屋見つけたでぇ!!」
肩を上下させ、ユウジはついに視界の端に伊田陀鬼屋の看板を捉えた。
見つけたもなにも、もとからずっとそこにあったのは言うまでもない。
朝の活気が出始めた大通りの真ん中で、一人邪悪に笑うユウジ。
「シンジェァ!今すぐ助け出してやんぜぇ!!」
ペロリと下品に舌を出し、彼は刀を抜く。
御奉行から授かったばかりの銘刀が、主人の品性とは裏腹に、朝日に美しく煌めく。
「ウヘヘヘヘ…首取ったるでぇ!半蔵の首ぶち取ったるでぇ!!」
往来のど真ん中で物騒極まりない台詞を連発するユウジ。
当然、周囲の通行人たちは「関わってはいけないもの」を見る目で、波が引くように距離を置く。
「あひゃああ!」
意味不明な奇声を上げ、刀を振り回しながら走り出すユウジ。
もはや暴漢以外の何者でもない。
「チョット待った!」
十メートルも進まぬうちに、鋭い制止の声がユウジを止めた。
血管をブチ切れさせた顔で、ユウジが声の主を睨みつける。
そこには、正義感の塊のような顔をした一人の岡引が立っていた。
「貴様。大通りでそんな物騒なものを抜いて、何のつもりだ!?」
「あんだテメェ…、テメェから血祭りにあげてほしいんか?」
刀を構え、岡引に詰め寄るユウジ。
どこからどう見ても、ただのガラの悪い犯罪者である。
岡引は無言で十手を構えた。
周囲の通行人は一斉に岡引への声援を送るが、岡引の額には冷や汗が流れている。
(…あの刀、相当な代物。こんな名刀を平然と持ち歩くとは…この男、よほどの手練れか?)
一方のユウジは、殺気立ちながらも表情には余裕が漂っている。
「なんや?怖気づいたんか?」
フヘヘと笑い、ユウジは凄みを利かせるために刀身をペロリと舐める。
悪党がよくやる、狂気を演出するためのアクションだ。
だが、それが致命的なミスだった。
「ぎゃああああああああ!!」
突如として悲鳴を上げ、地面を転げ回るユウジ。
驚愕する観客と岡引。
一体何が起きたのかと眉をひそめていると、ユウジの絶叫が答えを教えた。
「舌切ったぁぁぁぁ!痛ぇ! 痛ぇよぉぉぉぉ!!」
…どうやら、誤って刀の「切れる側」を勢いよく舐めてしまったらしい。
舌から血をボタボタと流し、涙目でガクガクと震えるユウジ。
先ほどまでの強者はどこへやら、誰もが認める正真正銘のダメ人間がそこにいた。
「助けろ!誰かワイを助けろぉぉぉ!!」
「…やっちまうか?」
「…だな。」
誰かの冷ややかな一言を合図に、倒れるユウジへと激怒した通行人たちが群がっていった。
白昼堂々迷惑行為を行う輩に成敗を。
「痛ぁ!や…やめろ!踏むなぁ!踏むなぁぁぁ!!」
少し離れた位置で唖然としていた岡引の耳に、自業自得なユウジの悲鳴が虚しく響き渡った。
◇◇◇
「組織を束ねる者として、そう考えるのは普通よ半蔵さん♪アタシも『め組』の頭だもの。もし『め組』が伊田陀鬼屋と同じ立場なら、アタシもそう答えたわん♪」
余裕の笑みを浮かべる松乃信に、半蔵はさらに眉根を寄せる。
そんな彼を尻目に松乃信は続けた。
「だからアタシに、良い考えがあるのん♪」
大通りの喧騒も、一人のダメ人間の悲鳴も届かない伊田陀鬼屋の二階。
松乃信の口から、誰もが予想だにしなかった「提案」が告げられた。




