第一話_地下牢の兄弟
「兄さん起きてるかい?」
早朝。まだ陽光が地下へ届かぬ刻、鉄格子の奥で男が小さく呟いた。
背を向けていたもう一人が、気だるげに口を開く。
「ボクちゃんに話しかけるなよ義彦。今この牢屋から鮮やかに脱出する計画を練ってるんだからぁ。」
頼りない、それでいて粘着質な声で応じる男の名は義吉。
伊田陀鬼屋の刺客、義吉(兄)と義彦(弟)の兄弟である。
間接的、あるいは事故に近い形ではあるが、二人はあのユウジによって奉行所の牢へと叩き込まれていた。
「変だと思わないかい、兄さん…。」
義彦は兄の脱出空想を無視して続けた。
「私たちがここに捕らえられて今日で五日…。」
隅に座っていた義彦が、ゆっくりと立ち上がり義吉の方へ歩み寄る。
武器となる左足の義足は没収されているため、右足と杖でぎこちない動きになっている。
牢の外に灯された微かな火影が、彼の深刻な表情を浮かび上がらせた。
「伊田陀鬼屋の刺客だと分かっていながら、御奉行は何もしてこない。当然、組織の情報を吐かせるための拷問があると思っていたんですが…尋問の影すらない。」
「…確かに。ボクちゃんたち、捕まったっきり何の判決も下されてないしねぇ。」
義吉も脱出計画(という名の妄想)を棚上げし、弟の言葉に眉を寄せた。
捕縛して即、地下牢。
そのまま音沙汰なしというのは、法を司る奉行所の動きとしてはあまりに不自然だ。
「何を考えているのでしょうか、ここの御奉行は…。」
義彦が、天井の向こうにあるはずの奉行所を見上げる。
「おひょひょひょ!でもチャンスじゃないか。奉行所がもたもたしてる間に、ボクちゃんたちが消え失せてやるのさぁ!」
楽観的に笑う義吉。
だが義彦の顔は晴れない。
「半蔵様に何かなければいいのだが…。」
この陰湿な地下牢では知る由もないが、地上では太陽がゆっくりとその重い腰を上げ始めていた。
◇◆◇
「あううう…寒いよぉぉぉぉ…。」
夏とはいえ、明け方の空気は容赦なく体温を奪う。
路上で丸まって寝ていたユウジは、自身の情けない震えで目を覚ました。
酔いはほぼ冷めているが、頭が割れるように痛い。
「脳が痛いよぉぉぉ…。」
寝言にまで漏れ出るヘタレ成分。
江戸を震撼させた(と自称している)漢の姿は、そこには微塵もなかった。
◇◆◇
ギィィィィ…。
地下牢と外を繋ぐ重厚な扉が開き、不快な金属音が響き渡る。
その音を合図に、死んだように眠っていた囚人たちが次々と目を覚ます。
義吉と義彦は、その音の主へ警戒の眼差しを向けた。
いつもなら朝食を運んでくる飯炊き役が来る時間だ。
だが、この日は違った。
「義吉と義彦はどこだ」
現れたのは袴をきっちりと着込んだ、身なりの良い奉行所員だった。
牢番の案内に従い、所員が二人の牢の前で足を止める。
「伊田陀鬼屋の、義吉ならびに義彦だな?」
事務的で冷徹な所員の声に、二人の間に緊張が走る。
「…そうです。だが、伊田陀鬼屋の情報は一つとして教えるつもりはないですよ?」
挑戦的に言い放つ義彦。
どんな残酷な拷問を受けようと、組織を売らぬ覚悟はできている。
後ろの義吉も、不気味な笑みを浮かべて同意を示した。
「勘違いするな。お前たちから情報を聞きに来たのではない。」
所員はそう告げると、牢番から受け取った鍵を差し込み、鉄格子を解いた。
困惑する二人。
「じゃあ、ボクちゃんたちをどうしようっての?」
両手を縄で固く縛られ、牢から引き出される義吉。
その問いに、先を歩く所員が短く答えた。
「御奉行が、お前たち二人と直々に話をしたいそうだ。」
「御奉行自らが聞き上手になろうっことですか?」
義彦が皮肉な笑みをこぼす。
「さあな…。」
こうして…。
伊田陀鬼屋の刺客二人は、白日の下の御奉行のもとへと連行されていった。




