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第三話_ユウジの伝説(冬)

「…おい。」


懐かしむような、どこか遠い目をして天井を見やるシンジに半蔵が冷ややかに声をかけた。


「お前、それ伝説でもなんでもねぇんじゃねぇか? …っていうか、その後どうなったんだよ。干からびて死んだのかよ。」


もっともなツッコミである。

ユウジが夏の太陽に焼かれてミイラ化したところで話が終わっており、生存ルートが一切見えない。


「フヘヘ、アニキの伝説はまだまだありますぜ、半蔵の旦那ぁ。」


ようやく口を開いたシンジだが、半蔵の質問は完全スルー。

ユウジの生死すら「些細なこと」として流すつもりのようだ。


「オイ、聞いてんのか?」


「ありゃ、寒い冬の事でやした…。」


◆◆◆


―――五年前、真冬。


「アニキィ!昨日のバイト代が盗まれやしたぁぁ!」


狭くて汚い、すきま風吹き荒れる借家でシンジが叫んだ。

隣の部屋から「うるせぇぞ!」という怒鳴り声と壁を叩く音が響くほどボロい長屋である。


「あんだってぇ?!」


隅っこで丸くなって何かを食っていたユウジが、獣のような声で反応する。

壁の向こうからはさらに「静かにしろっつーんだよ!」と追い打ちが来る。


「ワシらの汗と涙、そしてほんのちょっぴりの愛の結晶であるバイト代がねぇんですわぁ!」


もう一度叫んだ瞬間、シンジの体に強い衝撃が走り、その体は宙を舞った。


「ゲブファ!」


勢いよく畳に叩きつけられ、借家全体がガタガタと悲鳴を上げる。

そろそろお隣さんの怒りは限界を超えそうだ。


「愛じゃあ!今のはワイの愛と、バイト代への怒りじゃあああ!!」


食べていた物を床に置き、ユウジは振り抜いたばかりの拳をシンジに突きつけた。

その瞳には、なぜか熱い涙が溢れている。


「ア、アニキ…。アニキの拳が、泣いて…。」


頬を押さえて倒れるシンジは、そのユウジの姿を見て歯を食いしばった。


「悪いのは金を盗んだヤツじゃねぇ…ワシや!ワシの心の甘さが、この悲劇を招いたんやぁぁ!!」


そうシンジは勝手に悟った。

自分の不徳をユウジが拳で教えてくれたのだと。


「シンジェァァ!泣くんやない!ホンマもんの漢は、涙を他人に見せるんやない!!」


と言いつつ、ユウジの頬にも滝のような涙が伝っている。

ひとしきり泣き騒いだところで、シンジはユウジが先ほどまで食べていた「謎の物体」に興味を示す。


「アニキ、そういやさっき、何を食ってたんかいのぉ?」


バイト代が入ったのは昨日だが、食料は一切買っていなかったはずだ。

今日、今から買い出しに行く予定だった。

だからこそ、金がないことに気づいたのだ。


「アイスクリームに決まっておろうがっ!」


自信満々に答えるユウジ。

だが、シンジの脳内に戦慄が走る。

食料を買っていない。

金は盗まれた…はずなのに、なぜアイスがあるのか。

しかもそのアイス、やけにデカい。


「そ、そのアイス…どこで、どうやって買ったんかいのぉ。アニキ…。」


震える声で尋ねる。


「近所のアイス屋で買ったに決まってんだろ? バイト代でよぉ。」


最悪の予想が的中した。


「盗まれた」のではなく、ユウジがシンジに黙って、有り金すべてをアイスクリームにつぎ込んだだけだった。


「バイト代ってアニキ…。今日、それで三日ぶりの飯を買いに行くって約束したじゃねぇッスか…。」


絶望に顔を歪めるシンジを無視し、ユウジは巨大なアイスを黙々と頬張り続ける。

反省の色は、原子レベルで見ても微塵もない。


「アニキィィ!そりゃねぇッス!ワシぁ、ワシぁ…!」


シンジがユウジの着物を掴んで叫んだ。

その目には、本物の悲哀の涙が溢れている。


「アニ…ゲバフゥ!」


再び叫ぼうとした瞬間、シンジはまたしても衝撃を受け、床に転がった。

お隣さんからは、さすがに包丁を研ぐ音が聞こえてきそうだ。


「甘ったれんなぁ!」


ユウジが、いつにも増して迫力のある大声で吠えた。


「ワイがアイスを買った理由が分かるかぁ!?この真冬に、巨大なアイスを全財産で買った理由が分かるか、シンジィィ!」


もちろん分かるはずがない。


「確かに、ワイはアイスクリームが食いたかった!」


正直すぎて救いようがない。


「だが!ホンマはそれだけやないんや!分かるかシンジィェァァ!!」


ユウジの怒声におびえるシンジ。

その頃、丁度お隣さんが部屋を飛び出した。


「修行じゃあ!この極寒の中、アイスを大量に食って内臓から己を鍛え抜く!すべては修行のためじゃああああああ!!」


バコォォォン!


ユウジの叫びと同時に、お隣さんが扉を蹴り壊して乱入する。


「このクソ共…朝っぱらから何を騒いでやがる!?」


血管をブチ切れさせたお隣さんは、見るからに強そうなムキムキの巨漢だ。

自分たちの部屋にお隣さんが殴り込んできた異常事態だが、ユウジはなぜか冷静だった。


「騒いでんのはテメェだよ、このクズが。扉弁償しろ。」


冷ややかに言い放ち、ユウジはこの寒空の下、再びアイスを黙々と食い始めた。

その姿に、シンジは衝撃を受ける。

頬の痛みすら忘れ、その瞳を輝かせた。


「漢じゃあ!アニキぁ、ホンマもんの漢じゃけぇぇ!」


号泣し、大粒の涙を弾け飛ばすシンジ。


「この飢えと寒さの中でも、アニキは己を鍛えとったんや!ワシじゃ思いつかねぇ、究極の修行じゃぁぁ!」


「早く扉を直してワイの前から消えろ愚民。寒いじゃねぇか!」


狂喜乱舞するシンジを尻目に、お隣さんを見下しながらユウジは言い放つ。

寒さを耐えるのが修行では?というツッコミはそこに存在しない。


「あと、扉を直したら何か暖房器具を持ってこい。ワイは温かい中でアイスが食いてぇんだよ!」


理不尽な命令。

そして完全に矛盾した言い分。

お隣さんの堪忍袋の緒が、音を立てて千切れた。


そして…。

ユウジとシンジは、仲良くボコボコにされた。

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