第十六話_期待値ゼロ
「曲者だぁぁ!!! 屋敷内に曲者が侵入したぞ!!」
闇夜を切り裂く叫び声と共に、屋敷内の行灯に次々と火が灯る。
発見された二体の死体。
その首筋には、迷いのない一閃――頸動脈のみを正確に断ち切った、美しくも残酷な斬撃の跡。
争った形跡も、刀を抜く暇さえ与えられなかった門番たちの死顔が、襲撃者の異常な技量を物語っていた。
「何なんだこれは…。門番がこうも簡単に…。」
生き残った男が愕然と立ち尽くす。
…瞬間、その男の首からも鮮血が噴き出した。
何が起きたのか理解できぬまま、男は溢れる血を手で押さえ、背後に立つ「影」を視界の端に捉えながら、どろりと地面に沈んだ。
月のない夜。
混ざり合う三人の血が、黒い河となって畳を汚していく。
「…十人。」
影が小さく呟いた。
あどけなさの残る少年の声。
少年はそのまま、灯りの点る屋敷の奥へと散歩でもするかのような足取りで進んでいった。
◇◇◇
「ん?誰だ君は…?」
騒ぎに気づいて寝巻きのまま出てきた主人が、目の前に立つ少年を不思議そうに見つめた。
「ここで何を…。」
言葉は、そこで途絶えた。
主人の喉はパクパクと金魚のように動くが、声は出ない。
ただ温かい血が胸元を赤く染め、彼はそのまま玄関先に崩れ落ちた。
「今井屋さんのご主人を、殺しに来ました。」
少年は満面の笑みでそう告げると、倒れた男の首から刀を抜き放った。
「きゃああああああああ!」
奥から現れた女が、その光景を見て腰を抜かした。
金切り声が廊下に響き渡る中、少年は困ったように小さく溜息を吐く。
「どうした!曲者か!?」
ようやく武装した用心棒たちが駆けつけてくる。
そして、剥き身の刀を構え、少年を取り囲んだ。
「広い屋敷ですね。何人住んでるんですか?」
少年は、首筋を撫でるようにゆっくりと刀を鞘に収め、無邪気に尋ねた。
「貴様かぁぁ!」
先頭の男が斬りかかるが、その刃が少年に届くことはなかった。
男は前のめりに床へ倒れ、血の海を広げる。
「…な、何をした!?」
仲間がどうやって死んだのか、誰にも見えなかった。
「来るな!近寄るなぁ!!」
恐怖に駆られた一人が無闇に刀を突き出す。
瞬間、少年の姿が掻き消え、突き出した男の首から血飛沫が舞った。
「他の人は、まだ起きないんですかね?」
最後に残った一人へと歩み寄る少年。
男はもはや戦意を喪失し、刀を投げ捨てて背を向けた。
少年の顔から、ふっと笑顔が消える。
「…侍が、」
一歩、少年が地を蹴った。
逃げる男の首筋から血が噴き出す。
「…刀を、」
反対側の動脈からも鮮血が走る。
「…捨てちゃ駄目ですよ。」
少年の刀が横一文字に振られ、男の首はゆっくりと床を転がっていった。
返り血を浴びた少年の顔に、再び子供のような笑顔が戻る。
「十三人…。今井屋のご主人は、どこにいるのかな?」
◇◇◇
「やっと見つけましたよ、ご主人さん」
血塗られた刀を鞘に収め、少年は中年の男性――今井屋の当主に微笑みかけた。
その横には、妻と小さな娘が震えながら抱き合っている。
少年の背後の廊下には、無数の男たちの死体が折り重なっていた。
「だ…誰に頼まれた!狙いはワシの首か!?」
「誰かは言えないですけど、狙いは正解ですよ。」
少年が一歩前へ踏み出す。
当主は必死に妻子を庇い、涙ながらに叫んだ。
「待ってくれ!ワシはどうなってもいい!妻と娘にだけは手を出さないでくれ!」
少年は立ち止まり、優しく目を細めた。
「大丈夫ですよ。僕は女の子に手を出さない主義ですから。」
その言葉が終わるのと同時に、当主の首が跳ね、鮮血が妻子を真っ赤に染め上げた。
「二十人…。これで終わりですね。」
血振るいをしてから刀を納める少年。
目の前で夫を、父を失った親子は、もはや泣くことさえ忘れ見開いた目で少年の背中を見送っていた。
◇◇◇
翌朝。
奉行所の調べにより、凄惨な事実が判明した。
屋敷にいた「男」は、主人から下男、用心棒に至るまで全滅。
対して「女」は、指一本触れられていなかった。
生き残った女性たちは極度のショックで口を閉ざしていたが、ただ一人が「少年が一人でやってきた」と証言した。
「…伊田陀鬼屋の犯行で間違いありませんね。」
奉行所の所員が、血の気が引いた顔で資料を閉じた。
御奉行は深く溜息をつき、椅子に背を預ける。
「少年一人の仕業か…。もはや我々の手に負える相手ではない。あのユウジとシンジが、何か掴んでくれることを期待するしかないかの?」
所員は苦虫を噛み潰したような顔で答えた。
「あいつらに期待するのはいかがなものかと…。」
その頃、ユウジは食い逃げの代償として店主に詰め寄られていた。




