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第十三話_誘惑殺の凛(3)

その頃、ユウジは定食屋で「凛から騙し取った金」を使い、至福の時を過ごしていた。


「あ~はっはっはっは!今日は飯がうまいわい!!」


机の上には、脂の乗った焼鮭、煮付け、山盛りの白米。

ユウジにとっては、まるで大名にでもなったかのような豪華絢爛なフルコースだ。


「おやじぃ!米もう一杯や!炊きたてを持ってこんかい!!」


「あの…お客様。本当にお支払い、大丈夫なんでしょうね?」


店主が額に汗を浮かべて近づいてきた。

どう見てもヘタレ浪人、食い逃げの気配しかしない。


「あ…あんだとテメェ!?ワイを誰だと思っとるんや!ユウジ様やぞ!ナメてっとクチャクチャのひき肉にされっぞ!?」


「い、いえ、ですが…。」


「金ならここにあるわい!」


ユウジは勝ち誇った顔で懐に手を突っ込んだ。

…が、その瞬間、ユウジの時が止まる。

指先に触れるのは、ボロい布の感触だけ。


(…あ、あれ? 金が…ねぇ!)


どうやら、先ほど奪い取った際に勢い余って袋を破いたか、あるいは懐に大きな穴が開いていたらしい。

パニックになりながらも、表情だけは「食欲旺盛な侍」を装うユウジ。


「今回はこれくらいで勘弁してやんよ!いいからはよ米持ってこんかい!」


店主を強引に突き飛ばすユウジだが、同時に額から滝のような汗が流れ出す。

その心臓は、逃走ルートを探して激しく脈打っていた。


(あのアマ…ワイをハメやがった!)


とんだ勘違い。


(次に会ったらタダじゃおかねぇ!!)


知らないところで、互いに憎しみを募らせる二人だった。


◇◇◇


「くっそ~!どこ行ったのよ、あのバカ…!!」


その頃、凛は屈辱に震えながら大通りを彷徨っていた。


「あんな家とも呼べないゴミを掴まされるなんて、一生の不覚…!」


殺意は最高潮だが、この人混みでユウジを探すのは砂漠で針を探すようなものだ。


「…無理だわ。今日は諦めて、美味しいものでも食べて帰ろ♪」


最後に大きく溜息をつくと、ケロッと切り替える。

凛はプロの暗殺者から、年相応の町娘の表情に戻った。

そのまま、ふらりと一軒の定食屋へ立ち寄る。


…が、そこで彼女は運命の再会を果たした。


「ユ…ユウジ!?」


店の奥で、幸せそうに米を口に詰め込んでいるターゲットを発見。

凛の目は一瞬で血走り、拳を白くなるほど握りしめる。

すぐにでも掴みかかりたい気分だが、刺客としての意識が彼女を踏みとどまらせたのだ。

凛は一度その場を離れ、近所の宿で「赤と白の派手な着物」に着替え、気品溢れる厚化粧を施した。


「…これが最後の手段。色香で誘い出し、宿でじわじわと仕留めてやるわ!」


美しい死神の微笑み。

彼女の二つ名は『誘惑殺の凛』。

その美貌で男を籠絡させ、確かな腕で確実に仕留める凄腕の始末屋である。

彼女が再び店に入ると、店内の客全員がその美しさに息を呑んだ。

だが、凛の視線は焼鮭の皮に苦戦しているユウジただ一人に向けられている。


「そこのお侍さん…?」


凛は潤んだ瞳でユウジを見つめた。


「一目見た時から、あなたの勇ましさに惚れてしまいましたの。…私とこれから、二人きりで『いい事』、しませんか?」


誘惑の言葉を吐き、勝利を確信した凛。


…直後。

凛の視界が物理的に、かつ強烈に飛んだ。


◇◇◇


「…あれ?」


気付いた時、凛は店から十メートルほど離れた路地の地面に転がっていた。

意識が朦朧とする中で、凛は「何か」を見上げる。

店の壁には、凛の体が突き抜けたのであろう「凛の形をした巨大な穴」が開いている。


そして、目の前に立っていたのは。

紫色の派手な着物に、顔を真っ白に塗りたくった、身長二メートル近い山のような怪物。


「あんら? 起きたようねぇ?」


女を装っているが、声は地獄の底から響くような重低音。

塗りたくった白粉おしろいの隙間から、極太の髭の剃り跡と、怒張した血管が浮き出ている。

着物の背中には、江戸火消し最強の証――『め』の紋章。


「か、怪物…!?」


「おほっおほほほ!失礼なガキねぇ。アタシのユウジさんに、ハニートラップなんて良い度胸じゃない?」


血走った巨大な目が、凛をロックオンする。

白粉を粉砕しながら顔中の筋肉を激しく波打たせ、怪物はニヤリと笑った。


怪物の名は、本田松乃信。

ユウジを「ダーリン」と呼ぶ、江戸で最も恐ろしい愛の化身だ。


「ユウジさんは、アタシだけのもの…。泥棒猫は、消毒よ?」


凛は悲鳴を上げる間もなかった。

誘惑殺の凛は、松乃信の手によって完膚なきまでに「クチャクチャの挽き肉」にされてしまった。

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