第二話_伊田陀鬼屋の半蔵
「何だと…?」
襖の隙間から差し込む西日が、壁に立てかけられた異様に長い日本刀を毒々しいほど鮮やかに照らし出した。
「ヘ、ヘイ…。ですから、その、半蔵様の首を頂戴しに来たなどと、寝言を抜かす不届き者がたった今…。」
冷や汗を滝のように流し、脂ぎった顔を震わせながら報告しているのは、伊田陀鬼屋の番頭・石田であった。
小太りの体をさらに小さく丸め、目の前の男の機嫌を伺っている。
「…オレの首を、取りに?」
刀を磨く手を止め、男が低く地を這うような声で呟いた。
石田は、男と目を合わせることすらできず何度も頷く。
その瞬間、男の薄い唇が愉悦に歪む。
「おもしれぇ…。」
「へっ?」
「ハッハッハッハッハ!おもしれぇ!この半蔵の首を獲ろうって命知らずが現れたか!?」
突然、屋敷を揺らすほどの爆笑を上げた男――それこそが、裏社会を統べる狂犬、『伊田陀鬼屋の半蔵』であった。
紫色のド派手な着物をだらしなく着崩し、その顔面には左右両方の目を覆う「二連眼帯」。
常人には理解不能な風体だが、そこから放たれる殺気は石田の心臓を鷲掴みにするほど鋭い。
「で? その猛者はどこにいるんだ?」
半蔵が胡坐をかいたまま、石田の方へ身を乗り出した。
眼帯に隠されたその視線がどこを向いているのかは定かではないが、獲物を見つけた猛獣のような笑みが石田を射抜く。
「へ、ヘイ。それが、その…二人おりまして。」
半蔵の期待は、さらに膨らんだ。
「たった二人で、この半蔵を殺りに来ただと?相当な手垂れ、あるいは伝説の刺客か何かか?」
期待に胸を躍らせて立ち上がる半蔵。
その手には、身の丈ほどもある長刀が握られている。
しかし、石田の返答は彼の想像の斜め上を行くものだった。
「…それが、その、恐ろしく弱くてですね。」
半蔵の動きが止まった。
眉毛がどちらを向いたのかは不明だが、部屋の温度が三度ほど下がった。
「あまりに隙だらけだったので、一歩踏み込まれる前に下の広間の柱に縛り付けておきました。」
拍子抜けした、という言葉では足りない。
半蔵の時間は今完全に、凍結した。
「ですが半蔵様、ヤツらの話では、どうやら奉行所の回し者らしいのです。」
石田の追撃で、停止していた時間が再び動き出す。
「奉行所…?」
「ヘイ。御奉行に頼まれただの、正直アニキの渋さに全米が泣いただの、意味不明な供述を繰り返しておりまして…。」
その言葉を聞いた途端、半蔵の顔に邪悪な笑みが戻った。
「奉行の回し者だとすれば厄介です。今二人を消せば、それを口実に奉行所が総出で攻めてくる。かといって放せば、この店の実態が!」
一人でパニックに陥り、大粒の汗を撒き散らす石田。
「や、やはりバレないように、暗がりに連れ出して土に還して…!」
「放してやれ。」
「へ?」
思いがけない慈悲(?)に、石田の脳がフリーズする。
「今すぐ放してやれと言ったんだ。」
半蔵は、狼狽える石田を眼帯越しに見下ろし冷酷に言い放った。
「し、しかし!奉行の連中にここを嗅ぎつけられたら…!」
「…オレに指図するのか?」
瞬間、半蔵の左手が長刀の柄にかかった。
眼帯の奥に隠された「殺意」の焦点が、ピタリと石田の眉間に固定される。
「ひぃ!承知しました!今すぐ、今すぐ、放免いたします!」
石田は即座に土下座し、床に額を叩きつけた。
「そうだ。コイツを『手土産』に持たせてやれ。」
半蔵は懐から何かを取り出すと、無造作に放り投げた。
カランと軽い金属音がして床に転がったのは――血に塗れた、一本の十手である。
「こ、これは…以前、内偵に来た岡引の…?」
「そうだ。挨拶代わりだ。」
半蔵は、腹の底から響くような高笑いを上げた。
「半蔵様!?こんな決定的な証拠を渡したら、奉行所は黙っていませんよ!戦になります!」
「…隠れてコソコソするのは、もう飽きた。ここらでパーっと、江戸の正義を根こそぎ斬り刻むのも、一興じゃねぇか…。」
西日に照らされた長刀の反射が、半蔵の眼帯を白く輝かせる。
「フフフ…ハァーッハッハッハッハ!!」
狂気に満ちた笑い声が、屋敷中にこだました。




