第一話_知性溢れる世直し侍参上!
「アニキ…アレじゃねぇですかい?」
路地の角から首を出し、シンジが背後のユウジへ向かって湿ったヒソヒソ声を飛ばした。
「間違いねぇ。奉行の野郎が言ってた看板があそこに堂々と掲げてあるじゃねぇか…。」
シンジを突き飛ばして身を乗り出したユウジの視線の先には、豪奢な造りの商家と『伊田陀鬼屋』と書かれた巨大な看板があった。
この店、表向きは新進気鋭の金貸しだが、その実態はエグい。
ライバル商人を「始末」して依頼人を脅し、巨額の金を巻き上げるという、江戸の闇を凝縮したような極悪店だ。
もっとも、そんな社会情勢などユウジとシンジにはなんの関係もない。
彼らにとっての伊田陀鬼屋は、「ここを潰せば無罪放免」というゴール地点でしかなかった。
「フヘヘ…どうしやすか、アニキ?」
「あの客にヘコヘコしてる、小太りの狸みたいな野郎が半蔵か?」
「間違いねぇッス!ヤツをたたっ斬って、首をダイレクトに奉行所へデリバリーすれば、ワシら英雄ッスよ!」
勇み立って日本刀を抜こうとしたシンジ。
だが次の瞬間、彼の視界は空を舞った。
言うまでもなく、ユウジの「愛の鉄拳」が炸裂したのだ。
口と鼻から真っ赤な飛沫を上げ、シンジが砂地にめり込む。
「ぎゃああああああああ!」
「シンジィェェェァ!脳を使え、この単細胞がッ!!」
ユウジは倒れたシンジの胸ぐらを掴み上げ、血走った目で怒鳴り散らした。
「いいか、力任せにブチ殺すのは簡単だ。だが、ワイ等はそこらで野糞垂れ流してる山賊や盗賊とは違うんやぞ!?インテリジェンス(知性)溢れる侍やろが!!」
ユウジは鼻の穴を膨らませて続けた。
「天誅や…。夜陰に紛れ、足音一つ立てずに半蔵の命を刈り取る。クールに、スタイリッシュに決めて、『世直しユウジ』の名を江戸の風に乗せるんやぁぁ!」
ユウジにしては珍しく「作戦」と呼べるものを口にしたが、この二人に隠密行動など火をつけた爆竹をポケットに入れて歩くくらい不可能な話だ。
だが、シンジはあっさりと感銘を受けてしまった。
『世直しシンジ』がそこに入っていないことにもまったく気付いていない。
「ア…、アニキィィィ!クールッス!クール・イズ・ビューティフルッス!!」
顔面を血で染めながら、シンジは崇拝の眼差しで叫ぶ。
「ワイは江戸で一番クールな侍の鏡じゃけぇのぉ!」
「鏡じゃあ!アニキはサムライ界の姿見(全身鏡)じゃああ!!」
「じゃけぇアニキ…、」
しばらく鏡の賛美を繰り返していたシンジが、ふと我に返って首を傾げた。
「ワシ思うんスけど…。今すぐ刀を抜いて正面から突っ込んでいく方が、江戸っ子らしくて『漢』を感じると思うんスが、どないッスか?」
その言葉に、ユウジの動きがピタリと止まった。
何か宇宙の真理に触れてしまったかのような、衝撃的な表情である。
「シンジェァ…。今、今なんとぬかした…?」
「え?ですから、いきなり乗り込んだ方がサッパリしてて漢らしい、と言いやした!」
刹那、ユウジの瞳に火が灯った。
迷える子羊が神の啓示を受けたかのような、悟りの目だ。
「ワイは…ワイは何という醜態を晒していたんや…っ!」
自責の念に駆られ、己の額を叩くユウジ。
「ワシを殴ってたッス!」
シンジが笑顔で答えた瞬間、二発目の鉄拳が飛び、彼は再び地面と親睦を深めた。
「影に潜んでバレねぇように殺るだと?卑怯、あまりに女々しい!そんな姑息な真似、本物の漢がやることじゃねぇぇぇ!!」
ユウジは天を仰いで絶叫した。
一分前の自分の作戦を完全否定である。
「シンジィィ!突撃じゃあ!今この瞬間から、ワイの伝説を血塗られたページに刻み込むんやぁ!!」
抜刀したユウジは、シンジが起き上がるのも待たず、猛牛のような勢いで伊田陀鬼屋の正面玄関へと走り出した。
思い立ったが吉日、数秒前の考えから180度変更。
「ア…、アニキ!」
ようやく顔を上げたシンジは、砂埃を上げて突進するユウジの背中を見つめ、戦慄した。
「鬼や…。アニキの中に眠る狂った鬼が、今、完全に目覚めよったで…。」
震えながら呟くシンジ。
「待ってくだせぇアニキ!ワシも、ワシも連れてってくだせぇ!アニキの作る『懐かしい地獄』へ!!」
シンジも刀を抜き放ち、雄叫びを上げながら駆け出した。
遥か前を行く、愛すべき暴走特急の背中を追いかけて…。
そして…。
玄関を突き進んだ瞬間、待ち構えていた若い衆たちに一瞬で包囲され、文字通り「袋叩き」にされて捕まった。




