第十四話_救いの一手
「ちょいと…その判決、お待ちになって!」
硬く閉ざされていたお白洲の門が、地鳴りのような響きと共に勢いよく跳ね除けられた。
現れたのは女とも男とも、あるいは現世の生き物ともつかぬ声を放つ怪傑。
江戸八百八町の火消しクイーン、本田 松乃信である。
「な…何者だッ! 控えろッ!」
身構える御奉行と、抜刀せんばかりの勢いで立ち上がる役人たち。
砂地に転がっていたシンジとユウジも、音のした方へ首をねじ切らんばかりに振り向く。
「お…おまつさん!?」
叫んだのはシンジだけではなかった。
あろうことか、一段高い「桜」の玉座に座る御奉行その人が、驚愕に目を見開いて叫んだのだ。
「あんら、大ちゃん久し振り~~ん♪」
松乃信は、不自然なほど左右にケツを振り、艶めかしい(というよりは物理的に重そうな)足取りで歩み寄る。
「大ちゃん。その子たち、アタシの大事な大事な『お友達』なのよん。お顔に免じて、許してあげちゃ駄目かしら?」
松乃信は渾身のウインクを放った。
しかし、顔面の筋肉を過剰に酷使しているせいか、こめかみの血管がドクドクと波打ち、それはもはや色目ではなく「眼殺」という名の物理攻撃と化していた。
「おまつさん…。こういう厳粛な場での『大ちゃん』はやめてくださいと、あれほど…。」
御奉行は、苦虫を噛み潰したような顔で、それでいてどこか懐かしそうに答えた。
周囲の役人も、砂地のシンジも、この二人の「ただならぬ関係」に顎が外れそうなほど驚いている。
一方ユウジだけは、そんな歴史的再会に1ミリの興味も示さず、隣の牢番に肩を組まんばかりの距離で話し掛けていた。
「おい、ハゲ。何だあの動く粗大ゴミみたいなキモいのは?」
「な…、何だお前!いきなり馴れ馴れしいぞ、貴様は今まさに死刑を言い渡された身だろうが!」
戸惑う牢番を、ユウジは「まあまあ、硬いこと言いっこなしだぜ」とばかりに宥める。
「いいから教えろよ。あの偉そうな野郎とあの巨大な白粉の塊、どういう関係なんだよ?」
その間にも、松乃信の猛攻は続いていた。
「ゴメンネ、大ちゃん。でもアタシ、この子たちを細切れの刑にさせるわけにはいかないのよ…。」
珍しく真剣な表情を作る松乃信。
だが、白粉がドロドロに溶けているため、凄みというよりは呪いの絵画に近い。
「し…しかし、おまつさん。この者たちの罪状は奉行所襲撃に脱獄未遂。江戸の法を真っ向からコケにしておるのですぞ。」
「い~じゃないん、減るもんじゃないし♪ 奉行所と『め組』は、江戸の双璧、いわばマブダチじゃないのん?」
さらに追い打ちの眼殺。
普通の人間なら胃液が逆流する光景だが、幼馴染の御奉行は耐性ができているらしく、平然とそれを受け止めている。
もっとも、背後に控えていた若手の役人二名はあまりの精神的圧力に白目を剥いて泡を吹き、静かに戦線離脱(気絶)していった。
「あんら、いいの?大ちゃんの『あの若かりし頃の恥ずかしい失敗談』、ここで全職員に話しちゃってもいいのよん?」
ニヤリと笑う松乃信。
その言葉を聞いた瞬間、御奉行の背筋がピンと伸びた。
「…分かりました!おまつさんがそこまで言うのであれば、法を曲げぬ範囲で最大限の慈悲を検討しましょう!」
かつて二人の間に何があったのかは不明だが、松乃信が握る「大ちゃんの黒歴史」は、江戸の法律よりも重かったらしい。
「物分りの良い子ね♪」
最後にお見舞いされた投げキッスの風圧で、御奉行の横で耐えていた筆頭与力が「無念…」と呟いて絶命(気絶)した。
◇◇◇
「…おまつさん。なぜ、あのような者たちを?」
判決が一時中断され、松乃信と御奉行は別室で茶を啜っていた。
とりあえず死刑は免れた二人だが、形式上、今は再び地下牢へと戻されている。
「シンちゃんはアタシの魂の友。そして、もう一人の恰幅のいい方はシンちゃんの兄貴分にして…アタシの未来の旦那様候補よん♪」
頬を染める松乃信。
御奉行は、飲みかけた茶を盛大に吹き出した。
「あんな…アレが、意中の人…!?おまつさん、眼科へ行かれた方が…。」
「あん? 何か文句あんの、大ちゃん?」
「…いいえございません。お幸せに。」
御奉行は、江戸の正義よりも幼馴染のメンツ(と拳)を優先した。
「そこで大ちゃん、アタシ良い事思いついちゃったわけよん♪」
松乃信は、いたずらっぽく笑みを浮かべ、御奉行の耳元でヒソヒソと「悪魔の提案」を囁き始めた。
◇◇◇
「おい、ハゲよぉ。さっきのキモいの、正直マジで何なんだよ?」
地下牢。
戻ってきたばかりのユウジは、なぜか牢番と親しげに背中を叩き合っていた。
「だから知らねぇって言ってんだろ! にしても、首が飛ばなくてよかったな、お前ら。お祝いに今夜はカビの少ない飯を回してやるよ。」
なぜか不思議な友情が芽生えている。
「アニキ、牢番の旦那!ワシぁ、あの方が誰か知ってますぜ!?」
便所から戻ってきたシンジが、得意げに話に加わった。
牢の扉はなぜか開けっ放しだが、三人は脱走する気配すらなく、井戸端会議に興じている。
「マジかシンジ!教えてくれ、あの『巨大な紅白饅頭』は何者なんだ!?」
「あの人は、江戸の火消し隊『め組』の頭、本田松乃信さんですぜ!」
「なんだって!?『め組』の頭だと!?」
驚愕する牢番を尻目に、ユウジは鼻をほじりながら不満そうに呟いた。
「『め組』?何だそれ。お目目キラキラ同好会か何かか?」
相変わらずの世間知らずっぷりだが、もはや誰も突っ込まない。
「おいシンジ、お前、あんな化け物…いや、偉い人とどういう関係なんだよ?」
「よく聞いてくだせぇ、旦那!実はワシの…、」
シンジが語りかけようとしたその時、廊下の向こうから別の役人の声が響いた。
「おい、例の二人組!御奉行が別室でお呼びだ!早くしろ!」
「またかよ?せっかく牢番の旦那と盛り上がってたのによぉ!」
渋々腰を上げるユウジとシンジ。
牢番が笑って送り出す。
「おい、今度こそ変なこと言って切腹にされんじゃねぇぞ?」
「違ェねぇ、違ェねぇ!ギャハハハハ!」
三人の爆笑が地下牢にこだまする。
何がこの奇妙な絆を生んだのか…それは江戸最大の謎であった。
そして…。
二人は連行されていった。




