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第十話_悪霊退散

「ギャプッ!」


湿り気を帯びた地下牢の床に、シンジはゴミ袋のように投げ捨てられた。

肌に伝わるのは、冷たい石畳の感触と何十年もの間、悪党たちが流した汗と涙が煮詰まったような嫌な匂いだ。


「お前の処分は保留だ。上がどう裁くか決まるまで、カビでも食って大人しくしてな!」


牢番は事務的な冷たさで吐き捨てると、鉄格子の扉を乱暴に閉めた。


「まあ、奉行所に殴り込んだとはいえ実害は門の塗装がハゲた程度だからな…。運が良ければ三日もすれば放り出されるさ。」


耳障りな金属音と共に重厚な鍵がかけられ、シンジの自由は完全に遮断された。


「出せ!ワシぁ何もやってねぇ!冤罪じゃあ、無罪放免じゃあぁぁ!!」


目を覚ました(というか叩き起こされた)シンジは、鉄格子を掴んで必死に叫んだ。

「何もやってない」という言葉が、この数日の暴挙を全て無かったことにする魔法の言葉だと思っているらしい。


「ワシにぁ病弱な妻と、腹を空かせた七人の子供がおるんや!今この瞬間も、ワシの帰りを玄関先で待っとるんじゃぁぁ!!」


号泣しながら叫ぶシンジだが、言うまでもなく独身である。

だが、その嘘に酔いしれる彼の演技力だけは、江戸一番の役者も裸足で逃げ出すほどの迫真ぶりだった。


「あんだテメェ…。ワイが気持ちよく『大名行列でやりたい放題する夢』を見てたってのに、無駄にデケェ声出しやがって…。」


その時、牢の奥の闇から地響きのような聞き慣れた声が響いた。

とっさに振り返ったシンジの瞳に、その男の巨躯が映る。


「ア…、アニキ…!」


「そ…、その声ぁ…。」


闇の中から這い出してきたユウジが、信じられないものを見る目でシンジを凝視する。


「アニキィィィィィィ!!」


シンジは尊敬する兄貴分との「運命の再会」に魂を震わせ、全力で駆け出した。

溢れる涙で前が見えない。

このままアニキの広い胸板に飛び込み、二人で泣き明か…。


「べっらぼうめぇ!出たな悪霊ぉ!!」


次の瞬間、シンジの体は重力を置き去りにしてカチ上げられた。

もちろん鼻と口からは本日一番の鮮血が、華やかな打ち上げ花火のように飛び散る。


「ぎゃああ!アニキィィ!何するんじゃあぁぁ!!」


鉄格子に激突し、バウンドして床に沈むシンジ。

何故殴られたのか理解できず、驚愕の表情でユウジを見上げると、そこには自分以上に怯えきった顔のアニキがいた。


「死…、死んだシンジが、化けて出やがったぁぁ!成仏しろ!お前の分までワイが金も女も楽しんでやるから、さっさとあの世へ帰れぇ!!」


ユウジの脳内では、川に流したシンジは既に死んだものとして処理されていたらしい。


「悪霊退散!般若心経ォォ!!」


そう叫びながら、ユウジはシンジに向けて容赦のないマウントポジションからの連打を開始した。


「ア…アニキ!待ってくだせぇ!ワシぁ死んで…ぎゃぁぁぁ!!」


ユウジの「除霊拳」が面白いようにヒットする。

こうなってはもう誰にも止められない。

タコ殴りにされるシンジだったが、その表情にはどこか安らぎがあった。

殴られている痛みよりも、「アニキがワシを忘れていなかった」という歪んだ喜びが勝ってしまったのだ。


「うあああ!何でこの霊、こんなに殴っても消えねぇんだぁぁ!!」


一方、ユウジは真剣マジだった。

拳で払えない怨念だと判断した彼は、懐から「小刀(もちろん竹製)」を取り出し、ギラついた目でニタリと笑う。


「ぶっ殺してやんぜぇ、悪霊がぁ!」


目が完全にイッている。


「ア…アニキ…、それぁ流石に除霊の範疇を超えてやすぜぇ!?」


シンジが腰を抜かして後ずさりしたその時、牢の扉が「バンッ!」と激しく開いた。


「何やってんだお前らぁ!」


騒ぎを聞きつけた牢番が、竹製の小刀を構えるユウジを見つけ、手に持っていた六角棒でユウジの脳天を正確に撃ち抜いた。


「ギャプッ!」


岩山が崩れるように倒れ伏すユウジ。


「ったく…。もう騒ぎを起こすなと言っただろうが!処分が『打ち首』になっても知らんぞ!」


ピクピクと痙攣するユウジを尻目に、牢番は竹の小刀を没収して去っていく。


「アニキィ!大丈夫ですかい!?」


殺されかけた直後だというのに、シンジは健気にユウジへ駆け寄る。


「シンジの霊…。ワイも、ようやくお迎えが来たようや…。」


棒一本で死の淵を見るユウジ。


「アニキ! ワシぁ生きてますぜ!ほら、温かいッス、ワシの体温を感じてくだせぇ!」


「いんや、死んでる。お前は死んだ。ワシがこの手で葬ったんだから間違いねぇ。」


「信じてくだせぇアニキ!ワシぁここじゃあ!!」


必死に訴えるシンジだったが、ユウジは慈愛に満ちた表情で彼を諭し始めた。


「シンジ…。現実を受け入れろ。ホラ見てみ?お前の肌なんか透けて…、ねぇな?」


眉を潜めるユウジだったが、すぐに気を取り直した。


「足だって透けて…、ねぇ!?」


驚愕して目を見開くユウジに、シンジは満面の笑みで応えた。


「アニキィ!見ての通り、ワシぁ元気なピチピチのカタギ(志望)じゃい!!」


「…何で死んでねぇんだぁぁぁ!!」


本日何度目か分からない「愛の拳」がシンジの頬に突き刺さった。


「えぇぇ!? 生きてたのが分かったのに、何で殴るんスかぁぁ!?」


「霊だろうと生身だろうと関係ねぇ!紛らわしい真似しやがって、もう我慢なんねぇ!とりあえず死ねぃシンジィィィ!!」


「えぇぇぇぇぇ!?」


二人の絶叫が地下牢に響き渡った瞬間、またしても牢の扉が勢いよく開かれた。


そして…。

二人は牢番に揃ってタコ殴りにされた。

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