第3話 夜の習慣と、我慢の限界
その夜、私は確信していた。
(……来る)
賢者の屋敷で三日目。
もう、流れが読めるようになってしまっている自分が嫌だった。
(昨日も一昨日も、来た)
(今日だけ来ない、なんてことある?)
――コンコン。
「ほら来た!」
思わず小声で突っ込んでから、慌てて口を押さえる。
(ダメダメ、聞こえたら終わる)
深呼吸をして、扉を開けた。
「……来た」
賢者エドガーは、いつもの無表情で立っていた。
「……眠れない」
はいはい、知ってます。
「……手」
ですよね。
「分かりました……」
私は、観念したように答えた。
*
賢者の寝室へ向かう途中、私は必死に平静を装えている自分を褒めた。
(逃げたい)
(全力で逃げたい)
(でも、この人、追ってきそう)
寝室に入ると、彼は迷いなくベッドの端を指す。
「……座れ」
私は腰を下ろした。
距離、近い。
今日も、安定の近さだ。
「……手」
差し出される右手。
(イケメンの甘えん坊か!!)
心の中で叫びながら、私はそっと手を取った。
「……離すな」
「……はいはい」
思わず小さく返事をしてしまい、慌てて口を閉じる。
(今の聞こえてないよね!?)
*
彼は、ベッドに横になった。
私は端に腰掛け、手を握る。
……静か。
あまりにも静かで、逆に落ち着かない。
(これ、完全に定着してない?)
(夜のルーティンになってない?)
数分後、彼の呼吸が整い始める。
(……寝た?)
そっと手を離そうとした瞬間。
「……」
ぎゅっ。
「……まだ」
半分寝ている声。
(怖っ!?)
内心で飛び上がりつつ、私は手を戻した。
「……分かりました」
(分かりましたじゃないでしょ私!)
(何受け入れてるの!?)
*
どれくらい経っただろう。
完全に寝息に変わったのを確認し、今度こそ慎重に手を離す。
反応、なし。
私は静かに立ち上がった。
その瞬間、堰を切ったように心の声が溢れる。
(今まで我慢してたけど、もう何なのよ)
(夜な夜なメイド呼びつけて手握らせる賢者とか聞いたことない)
(怖い! 普通に怖い!)
寝顔をちらりと見て、さらに追撃。
(しかも顔がいいから余計に怖いのよ)
(イケメン無言命令系甘えん坊とか、ジャンルが迷子すぎる)
私は額を押さえた。
(逃げ出したい……)
(ほんとに、逃げ出したい……)
けれど。
扉に手をかけたところで、足が止まる。
(……でも)
さっきまで震えていた指先を、思い出す。
(あれ、演技じゃない)
ため息をひとつ吐いて、私は部屋を出た。
――明日も、きっと呼ばれる。
夜になれば、
「……手」
「……握れ」
それが、当たり前になる。
賢者の屋敷での三日目。
私は今日も、逃げ出せない理由を一つ増やした。




