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愛を信じない元令嬢は、甘えたい呪われ賢者に選ばれる  作者: antomopapa


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2/2

第2話 業務内容に含まれない距離



賢者の屋敷で迎えた最初の朝は、異様なほど静かだった。

 鳥の声もしない。

 風が吹いているはずなのに、木々のざわめきも聞こえない。

 目を覚ました瞬間、私は自分がどこにいるのかを思い出し、胸の奥がひやりとした。

 ――そうだ。

 私はもう、クロイツ家の令嬢ではない。

 賢者の屋敷で働く、強制メイドだ。

 身支度を整え、指定された作業着に着替える。

 質素だが清潔な服だった。

 少なくとも、粗末に扱われているという印象はない。

(……それが、逆に怖いのだけれど)

 部屋を出ると、廊下の先に人影があった。

 ――近い。

 気配を感じた次の瞬間には、もうそこにいる。

「……起きたか」

 低い声。

 賢者エドガーだった。

「おはようございます」

 挨拶をすると、彼は一瞬だけ私を見下ろし、

「……問題なさそうだ」

 それだけ言った。

 何を確認されたのか分からない。

 顔色か、逃げる気配か。

「……来い」

 また命令形だ。

 私は黙って後をついていく。

      *

 朝の業務は掃除から始まった。

 屋敷は広いが、驚くほど物が少ない。

 無駄な装飾も、生活感もほとんどない。

(……住んでいる、というより、置かれている感じ)

 そう思っていると、背後から視線を感じた。

 振り返ると、エドガーが立っている。

 ……また、近い。

「賢者様、何か?」

「……ちゃんとやってるか」

「掃除のことでしたら、問題なく」

「……そうじゃない」

 では何なのか。

 問い返す前に、彼は視線を逸らし、

「……離れるな」

 昨日と同じ言葉だった。

「業務中は、屋敷内を移動しますが」

「……視界にいろ」

 それは命令として、あまりにも曖昧だ。

(……監視、でしょうか)

 王家の管理下にある身だ。

 疑われている可能性は十分にある。

「承知しました」

 私はそう答え、掃除を続けた。

 けれど。

 廊下を移動しても、部屋を変えても、

 彼は必ず、視界の端にいた。

 何も指示は出さない。

 ただ、そこにいる。

(……落ち着かないのは、こちらです)

      *  

 昼前、洗濯物を運んでいた時のことだった。

 曲がり角で、足音が重なる。

 ――ぶつかる。

 そう思った瞬間、腕を掴まれた。

 昨日と同じ感触。

 引かれ、体勢を崩し、気づけば胸元に顔が近づく。

「……動くな」

 低い声。

「賢者様、これは――」

 言いかけた言葉が、喉で止まる。

 彼の腕が、私の背に回っている。

 完全に、抱き留める形だ。

「……」

 数秒、沈黙。

 いや、数秒以上。

「……もう、大丈夫です」

 恐る恐る言うと、

「……まだだ」

 何が、まだなのか。

「……落ち着くまで」

 ぽつりと、そう言った。

 私は、完全に言葉を失った。

「……離していただけますか」

「……動くな」

 命令が、重なる。

「それは……セクハラに近い行為では」

 一瞬、彼の動きが止まった。

 そして、

「……必要だ」

 それだけ。

(必要……?)

 数拍後、彼はようやく腕を離した。

「……行け」

 何事もなかったかのように。

 私は一歩下がり、深く息を吸った。

(……業務内容に、含まれていません)

      *     

 昼食の準備をしている間も、視線は消えなかった。

 食堂の入口。

 廊下の角。

 いつも、少し離れた場所。

「……味は、問題ない」

 食事を出すと、彼はそう言った。

「ありがとうございます」

 すると、

「……座れ」

 と、空いている椅子を指す。

「私は給仕ですので」

「……命令だ」

 仕方なく、席につく。

 距離が、近い。

 机を挟んでいるのに、圧がある。

「……逃げないな」

 不意に、そう言われた。

「……?」

「……前の者たちは、すぐ消えた」

 前のメイド。

 昨日、聞くべきではなかった言葉だ。

「私は……命じられた仕事をしているだけです」

 そう答えると、彼はしばらく黙り、

「……それでいい」

 小さく、そう言った。

     *

 自室に戻った瞬間、私は扉に背を預けた。

「…………はぁ」

 思わず、深く息を吐く。

(今まで我慢してたけど、もう何なのよ)

 廊下での抱き留め事故を思い出し、頭を抱えた。

(距離が近い! 近すぎる!)

(というか、抱く必要ありました!?)

 両手で顔を覆う。

(ヤバい、怖すぎる……)

(しかも無言で命令形……)

 そして、最悪なことに。

(……顔が、いい)

 そこが一番、質が悪い。

(これ、普通の顔だったら即逃げ出してる)

(イケメンの甘えん坊とか、需要が限定的すぎるでしょ)

 私はベッドに腰を下ろし、天井を見上げた。

(逃げ出したい……)

(でも、逃げた先、ないんだった)

 そう思い出した瞬間、現実が重くのしかかる。

(……今日も、来るんだろうな)

 案の定、その夜、扉は叩かれた。

     *

 夜。

 私は部屋で日誌をつけていた。

 何が起きたか、何を言われたか。

 忘れないために。

 ――コンコン。

 また、扉が叩かれる。

「……来た」

 賢者だった。

「何かございましたか」

「……眠れない」

 昨日と同じ。

「……手」

 短く。

「……握れ」

 私は、ため息をつきそうになるのを必死でこらえた。

「確認ですが、これは業務ですか?」

「……治療だ」

 即答だった。

「どういう治療でしょうか」

「……落ち着く」

 それ以上の説明はない。

 私は椅子を引き、手を差し出した。

 指先に、彼の手が触れる。

 昨日より、震えは少ない。

 けれど、ゼロではない。

「……離すな」

 小さな声。

 その命令が、昨日よりも弱く聞こえたのは、気のせいだろうか。

(……この人は)

 怖い。

 面倒。

 そして、どこか壊れている。

 それでも。

 王子の冷たい笑みよりは、

 この沈黙の方が、まだ耐えられる。

 そう思ってしまった自分に、私は小さく驚いた。

 賢者の屋敷での二日目は、

 こうして、静かに、奇妙に、終わった。


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