エピローグ 選び続ける、その先で
春の風が、王都の大通りを吹き抜けていた。
城門の前には人々が集まり、誰もが空を見上げている。
旗が揺れ、鐘が鳴る。
新しい王と王妃が、即位した日だった。
*
ルーカス・アルヴァインは、玉座に座りながら、ほんの一瞬だけ視線を隣へ向けた。
そこにいるのは、王妃イリス・アルヴァイン。
かつては魔女の血を引く者として、呪いと監視の狭間で生きていた女性だ。
イリスは、気づくと小さく頷いた。
――大丈夫。
その仕草だけで、ルーカスは背筋を正す。
彼はもう、父のような王にはならない。
恐怖で縛る統治もしない。
イリスと共に、選び続ける王になる。
それが、二人が交わした唯一の誓いだった。
*
一方その頃。
王都から少し離れた場所にある、賢者の屋敷では。
「……近い」
リリアーナは、ため息混じりに言った。
「……そうか?」
エドガーは、まったく気にしていない。
なぜなら今、彼はリリアーナの背後に立ち、腕を回し、顎を彼女の肩に乗せているからだ。
「近いです。というか、重いです」
「……安心する」
「それ、私の都合は?」
「……考えてない」
「でしょうね!」
そう言いながらも、リリアーナは彼の腕を振りほどこうとはしない。
半年前までなら考えられなかった距離。
けれど今は、これが“普通”になっていた。
*
呪いが消えた後、エドガーは変わらなかった。
いや、正確には――
甘え方を隠さなくなった。
「……どこ行く」
「洗濯物を取りにです」
「……一緒に」
「廊下ですよ?」
「……離れる理由にならない」
理屈がひどい。
「エドガー様、少しは自立を――」
「……リリアーナがいると、落ち着く」
低い声で、そう言われると弱い。
「……もう」
リリアーナは、諦めたように小さく笑った。
以前は命令だった言葉も、
今はただの甘えだと分かっている。
*
午後、庭で紅茶を飲みながら。
リリアーナはふと、王都から届いた知らせを思い出した。
「イリス様、立派でしたね」
「……ああ」
エドガーは、リリアーナの隣に座り、当然のように肩に頭を預ける。
「……王妃か」
「はい。半年で、ずいぶん遠くへ行かれました」
「……俺たちは?」
不意に、そう聞かれた。
リリアーナは、少し考えてから答える。
「遠くには行ってませんね」
「……そうか」
「でも」
彼を見る。
「ちゃんと、前に進んでます」
エドガーは黙って頷いた。
*
その日の夜。
リリアーナは、エドガーの書斎で書類を整理していた。
「……最近」
エドガーが、背後から声をかける。
「……顔色、違う」
「え?」
「……無理、してないか」
心配そうな声音。
「……少し、眠気が強いだけです」
そう答いながら、胸に手を当てる。
実は、ここ数日、違和感が続いていた。
疲れやすく、食事の好みも変わった。
エドガーは、しばらく黙っていたが、やがてぽつりと言った。
「……医師、呼ぶか」
「大げさですよ」
「……大げさじゃない」
真剣な目。
その夜、診察を受けて――
静かに、すべてが繋がった。
*
「……おめでとうございます」
医師の言葉に、部屋が静まり返る。
「ご懐妊です」
リリアーナは、言葉を失った。
エドガーも、動かない。
「……本当、ですか」
震える声で、リリアーナが尋ねる。
「ええ。間違いありません」
医師が去った後も、二人はしばらく黙っていた。
*
最初に動いたのは、エドガーだった。
彼は、ゆっくりとリリアーナの前に膝をつく。
「……俺は」
言葉を探すように、視線を彷徨わせる。
「……怖い」
正直な言葉だった。
「……守れるか、分からない」
それでも。
「……それでも」
彼は、彼女の手を取る。
「……一緒に、やりたい」
命令でも、誓約でもない。
ただの願い。
*
リリアーナは、涙が滲むのを感じながら、笑った。
「……逃げませんよ」
そう言って、彼の手を握り返す。
「今さらです」
「……そうか」
エドガーは、少しだけ安心したように息を吐いた。
*
翌朝。
リリアーナが目を覚ますと、やはりエドガーは隣にいた。
「……起きたか」
「ええ」
「……大丈夫か」
「何がです?」
「……全部」
リリアーナは、くすっと笑った。
「大丈夫です」
そう答えた瞬間。
「……なら」
また、引き寄せられる。
「ちょ、エドガー様?」
「……離れる理由が、増えた」
「理由になってません!」
「……でも、嬉しい」
その声は、とても静かで、幸せそうだった。
*
半年後、王国は新しい時代を迎えた。
そして賢者の屋敷では。
愛を信じなかった元令嬢と、
甘えたい賢者が、
今日もぴったりくっ付いて、生きている。
選び続けた、その先で。
――新しい命と一緒に。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
この物語では、
「呪いそのもの」よりも、
恐怖から逃げ続けることこそが人を縛る
という点をテーマに描いています。
リリアーナとエドガーは、
奇跡で救われたわけでも、
すべてを失わずに済んだわけでもありません。
それでも、
理解した上で選び続ける――
その関係こそが、二人にとっての救いでした。
少し質の悪い距離感のまま、
それでも幸せに生きていく二人を、
どこかで思い出していただけたら嬉しいです。




