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愛を信じない元令嬢は、甘えたい呪われ賢者に選ばれる  作者: antomopapa


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15/18

第15話 逃げた先で、選び直す



 その日、屋敷の空気はいつもより薄く感じた。

 静けさは同じはずなのに、どこか落ち着かない。

 エドガーは朝から研究室にこもり、私はいつも通り仕事をしながら、何度も廊下の先を見てしまった。

 ――来る。

 そんな予感だけが、胸の奥で鳴っていた。

 そして夕方、門が叩かれた。

「……イリス」

 エドガーが名前を落とす。

 その声には、驚きよりも、最初から分かっていたような疲れが混じっていた。

 扉が開いて、イリス・ノクティスが現れる。

 以前のように余裕ある微笑みではない。

 顔色が薄く、目の奥が揺れていた。

 それでも彼女は、こちらを見ると、きちんと背筋を伸ばした。

「エドガー。リリアーナ」

 私の名前も呼ばれた。

 その一言で、これはただの訪問じゃないと分かった。

「……入れ」

 エドガーの声は短い。

 けれど今日は、いつもの命令口調とも違う。

 喉の奥を押し殺した声だった。

     *

 応接間に通されても、イリスは紅茶に手をつけなかった。

 カップに指先を添えているのに、飲まない。

 その仕草が、彼女の迷いを全部見せていた。

 エドガーは向かいに座らず、壁際に立つ。

 ――距離を保つ。

 触れない。

 今の私たちの「線引き」が、彼女にも伝わっている気がした。

 沈黙が先に落ちる。

 それを破ったのは、イリスだった。

「結婚することになったわ。ルーカスと」

 淡々とした声。

 けれど、その淡々は“平静”ではなく、“決断”の音だった。

 私は息を呑み、エドガーを見る。

 彼は表情を変えなかった。

「……そうか」

 短い返事。

 イリスは、ほんの少しだけ笑った。

「そう。……“そうか”で終わるの、あなたらしい」

 笑ったのに、目は笑っていない。

 それから、彼女は深く息を吸い込んだ。

「本当は、報告だけで帰るつもりだった」

 指先がカップの縁をなぞる。

 その動きが、震えを隠すみたいに見えた。

「でも、私は……あなたに話さないといけないことがある」

 エドガーの視線が、少しだけ鋭くなる。

「……何だ」

 イリスは、私を見る。

「リリアーナ、あなたにも聞いてほしい」

 胸がきゅっと縮む。

 私まで巻き込んでしまう話――そういう重さがあった。

 私は小さく頷いた。

「……はい」

     *

「最初に言うわ」

 イリスは、逃げ道を塞ぐように言葉を置いた。

「私があなた――エドガーに近づいたのは、善意じゃない」

 空気が固まる。

 エドガーは、動かない。

 否定もしない。

 ただ、聞いている。

 イリスは続けた。

「……監視よ」

 その一言が、背筋に冷たいものを走らせた。

「呪いのために」

 エドガーのまつ毛が、わずかに揺れる。

「私にはね、最初から薄々分かってたの。自分の血のこと」

 魔女の血。

 呪いの連鎖。

「何も知らないふりをして生きるのが、一番楽だった。

 でも――楽なままでいさせてくれる人たちは、いなかった」

 イリスは唇を噛む。

「王家。……王よ」

 エドガーの指先が、わずかに動いた。

 イリスは、感情を抑えるように背筋を正す。

「王は私に言った。“お前の血は、呪いと繋がっている”って。

 それで、あなたを見張れって。

 そうすれば将来王妃になれると」

 私の喉が鳴った。

 あまりにもまっすぐで、あまりにも残酷だ。

「……私の役割は、あなたが再び何かを壊さないか確認すること」

 イリスの声が少し掠れる。

「そして、もし兆しがあれば……王に報告すること」

 沈黙が落ちる。

 私が何か言う前に、エドガーが言った。

「……それで?」

 責める音ではない。

 事実を受け取る音だった。

 イリスは、視線を逸らした。

「それで……私は、あなたに近づいた」

 そして、苦い笑いを漏らす。

「いつものあなたは、私が触れられても何も言わない。

 私も、何も思わない。……そういう関係だった」

 以前の、あの“慣れた”空気が蘇る。

 けれど。

「でもね、変わったのよ、1年前に」

 イリスは、自分を裁くように言った。

「監視してるはずなのに。

 危険を確かめるはずなのに。

 私は、あなたを“見張る対象”として見続けられなくなった」

 そして、声が小さくなる。

「意識してしまった」

 たったそれだけの言葉が、応接間の空気を変える。

「……でも」

 イリスは顔を上げた。

「それは恋じゃない。少なくとも、純粋な恋ではない」

 自分に言い聞かせるみたいに。

「呪いから逃げたい気持ち。

 血の宿命から逃げたい気持ち。

 ――全部、それが混ざって」

 唇が震える。

「あなたを見れば、怖くなるの。あなたの過去が。あなたの力が。

 それなのに、あなたのそばにいたいと思う自分が、もっと怖い」

 私は、息を止めてしまっていた。

「耐えられなくなった」

 イリスは言った。

「だから私は、王都へ逃げた」


     *

 逃げた先の名前を、彼女ははっきりと言った。

「ルーカスのところへ」

 私の胸の奥が、きゅっと痛む。

 ――王子。

 私を切り捨てた男。

 けれど、イリスは躊躇なく続けた。

「私、全部話したの。

 血のことも、監視のことも、あなたのことも

 王との約束で将来の王妃になれると言われたことも」

 あまりにも大胆な告白に、私は言葉を失う。

 イリスは微笑んだ。

 今度は少しだけ、温度のある笑いだった。

「……ルーカスはね、逃げなかった」

 目が潤む。

「“全部許す”って言った」

 私は思わず唇を噛んだ。

 許す?

 あの男が?

 でも、イリスの表情に嘘はない。

「“それでもいい”って。

 “俺はお前を選ぶ”って」

 その言葉だけは、私の知らないルーカスだった。

「結婚を申し込まれた時」

 イリスは、胸に手を当てた。

「私は初めて、逃げじゃない場所を見た」

 そして、真っ直ぐ私を見る。

「リリアーナ。あなたは傷ついた。……私のせいじゃない。でも、王家のせいよ」

 私は黙って聞いた。

 イリスは私を責めない。私もイリスを責めない。

 その立ち位置が、今の彼女の“選び直し”なんだと思った。

「私は、ルーカスの愛に応えたいと思った」

 イリスは言う。

「だからこそ、ルーカスが“本当に敵に回すべき相手”を教えてくれたの」

 その瞬間、エドガーの空気が変わった。

 ひどく静かに、集中が集まる。

「……王か」

 エドガーの声が、低く落ちる。

 イリスは頷いた。

「ええ。王の秘密」

 そして、決定的な言葉を吐く。

「魔女が死んだ時、王の夢枕に立ったの」

 喉が鳴る。

 夢枕――

 それは呪いが生きている証拠だ。

「魔女は王に言った。

 “珠の場所を教える。賢者を十分苦しませた後、必ず殺せ”って」

 室内の温度が一段下がった気がした。

「王は……約束したのよ」

 イリスが言う。

「国を守るためだって。

 賢者は危険だから、最後は排除するって」

 私は反射的に、エドガーを見る。

 彼は動かない。

 けれど、目が――暗い。

「……続けろ」

 声だけが、平坦だった。

 イリスは続けた。

「王は最近、ルーカスに言ったわ。

 “賢者は十分苦しんだ。次は命を狙う”って」

 それが、王子を動かした。

「ルーカスは私のために、全部話してくれた」

 イリスの声に、微かな誇りが混じる。

「そして、作戦を立てたの。

 あなたを守るために、国を守るために、私たち自身を守るために」

 作戦。

 その言葉が出た瞬間、私は理解した。

 この話は、告白では終わらない。

 戦いになる。

     *

 イリスが言った作戦は、冷静で、残酷で、そして現実的だった。

「王都で、あなた――エドガーが王と対峙して」

 エドガーが目を伏せた。

 対峙、という言葉が、過去の記憶に触れるのだろう。

「その間に、私とリリアーナが地下宝物庫へ行く」

 私の心臓が跳ねる。

「呪いの元凶の珠を、壊すの」

 珠。

 呪いの核。

「王は、珠の場所を知っている。

 ……だから宝物庫のどこかに保管してる可能性が高い」

 イリスは言い切った。

「ルーカスは、その間に王の悪事を暴いて断罪する」

 私は息を呑んだ。

「王位から引きずり下ろす。

 その隙に、珠を壊す」

 すべてが繋がった。

 王が提示してきた“条件”が、ただの管理ではない理由。

 管理の奥にある、排除の意思。

 ――王は、本当にエドガーを殺すつもりだ。

     *

 イリスは最後に、エドガーを見た。

「これが、私の答えよ」

 監視していた者の答え。

 呪いの血を引く者の答え。

 そして――

 逃げて、選び直した者の答え。

「あなたを殺させない」

 それは優しさではない。

 彼女自身の決意だ。

「……分かった」

 エドガーが、ようやく短く言った。

 そして、私の方を見る。

 今までみたいな命令じゃない。

 けれど、視線だけで問われている。

(私はどうする?)

 私は、震える息を飲み込んで、頷いた。

「行きます」

 自分の声が、思ったよりしっかりしていた。

「私は……もう、奪われるだけの人生を終わらせたい」

 それは王子への怒りではなく、過去への宣言だった。

 イリスが、ほんの少しだけ安堵したように目を細める。

「ありがとう」

 私は首を振る。

「条件があります」

 私の言葉に、イリスが瞬きをした。

「ルーカス殿下があなたを大切にすること。

 それを……ちゃんと証明してください」

 イリスは、少し笑った。

「ええ。もちろん」

 その笑顔は、以前よりずっと弱い。

 でも、以前よりずっと本物だった。

     *

 その夜、屋敷はいつもより静かだった。

 嵐の前の静けさ――そんな言葉が頭をよぎる。

 エドガーは研究室へ戻る前に、一度だけ私を見た。

「……危険だ」

「分かっています」

「……後悔する」

「それでも」

 私は答えた。

「私は、選びます」

 エドガーは、何も言わなかった。

 ただ、ほんの少しだけ頷いた。

 触れない距離。

 でも、離れてはいない距離。

 明日、王都で何が起きるのか。

 作戦が成功するか、失敗するか。

 まだ何も分からない。

 ただ一つだけ分かることがある。

 ――誰かが決めた運命に、従うだけの結末にはしない。

 私は、そう決めた。


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