第14話 王が示す条件
王城の謁見室は、相変わらず息苦しいほど静かだった。
高い天井。磨かれた床。
光を反射する装飾のすべてが、ここが「個人の感情」を許さない場所であることを主張している。
リリアーナは、賢者エドガーの隣に立っていた。
――触れ合ってはいない。
それは偶然ではなく、意識的な距離だった。
玉座に座る王、ハインリヒ・アルヴァインは、二人を順に見た。
その視線に、驚きも憐れみもない。
あるのは、把握だけだった。
「久しいな、賢者」
「……陛下」
エドガーは、深く頭を下げない。
それを咎める者もいない。彼は、そういう存在だ。
「そして、クロイツ元子爵令嬢」
“元”という言葉が、淡々と告げられる。
リリアーナは、静かに一礼した。
「本日は、お時間をいただきありがとうございます」
王は、わずかに口角を上げた。
「礼など要らぬ。
今日の話は、すでに“起きたこと”の整理に過ぎん」
その言葉で、空気が一段冷えた。
*
「賢者」
王は、前置きなく切り出した。
「そなたが、かつて一国を滅ぼしたこと」
「その原因が、制御を失った魔力であったこと」
「そして、その発端が“感情の暴走”であったこと」
一つ一つ、事実だけを並べる。
「すべて、王国は把握している」
エドガーは、何も言わなかった。
否定も、弁解もない。
「同時に」
王は続ける。
「その後、そなたが三百年に渡り、
人との関係を断ち、力を抑制し続けてきたことも」
「結果として、王国は何度もその恩恵を受けた」
淡々とした評価。
功績と罪を、天秤にかける声だ。
*
「問題は」
王は、視線をリリアーナへ移した。
「今だ」
その一言に、胸が引き締まる。
「賢者は、選ばなかった存在だった」
「だが今、選ぼうとしている」
否定ではない。確認だ。
「それが、何を意味するか」
王は、問いを投げる。
*
「……呪いの本質は、理解している」
王は言った。
「賢者にかけられた呪いは、
血を残すことではない」
「心から、誰かと結ばれること」
はっきりとした断定。
リリアーナは、息を吸った。
(知っている……)
(全部、分かった上で)
「賢者が再び“心を預ける”なら」
王は、言葉を続ける。
「かつてと同じ危険が、再発する可能性は否定できぬ」
それは、脅しではない。
国家としての判断だ。
*
「よって」
王は、ゆっくりと条件を示した。
「第一に」
「クロイツ令嬢の罪状は、完全には撤回しない」
リリアーナの胸が、わずかに痛む。
「ただし、“反逆の実行者”という記録は抹消する」
「罪は、“王家の判断による政治的処分”に書き換えられる」
それは名誉回復ではない。
だが、断罪でもない。
「第二に」
王は、エドガーを見る。
「賢者の行動には、王国の監視が入る」
「居住地、接触者、研究内容」
「すべて、王家に報告義務を課す」
明確な管理。
だが、拘束ではない。
*
「そして、第三に」
王の声が、少し低くなった。
「賢者が“心から誰かと結ばれる”と判断された場合」
一拍。
「王国は、即座に介入する」
「それが、どのような形であれ、だ」
その意味は、誰にでも分かる。
最悪の場合、排除。
*
沈黙が落ちた。
重く、逃げ場のない沈黙。
エドガーは、拳を握ったまま、動かない。
迷っている。
選んだはずの覚悟が、再び揺れている。
*
その沈黙を破ったのは、リリアーナだった。
「……陛下」
自分の声が、思ったよりもはっきりしていることに驚く。
王は、ゆっくりと彼女を見る。
「その条件は」
リリアーナは、言葉を選びながら続けた。
「賢者様を縛るためのものではありませんね」
王の眉が、わずかに動く。
「国を、守るための条件」
確認だった。
王は、否定しなかった。
「そうだ」
「国は、個人の幸福よりも優先される」
冷酷だが、正しい。
*
「……ですが」
リリアーナは、一歩前に出た。
「その条件の中に」
「私の意思は、含まれていますか」
王の目が、鋭くなる。
「含まれぬ」
即答。
「そなたは、管理対象ではない」
その言葉に、リリアーナは頷いた。
「でしたら」
顔を上げる。
「私は、賢者様の“選択”を止めません」
エドガーが、驚いたように彼女を見る。
「同時に」
リリアーナは、王を見据えた。
「賢者様が壊れる選択をした場合」
「私は、逃げません」
その言葉に、謁見室の空気が、微かに揺れた。
*
「……覚悟があると?」
王が問う。
「はい」
即答だった。
「私は、選ばれることの残酷さを知っています」
「それでも、選び合うことを、否定しません」
王は、しばらく黙っていた。
やがて、低く言う。
「……賢者」
「よい伴侶を得たな」
それは、評価だった。
*
「条件は、以上だ」
王は、椅子に深く座り直した。
「受け入れるも、拒むも自由」
「だが、拒めば」
一拍。
「すべてを失う」
それが、王の示せる最大の譲歩だった。
*
謁見室を出た後、二人は長い廊下を歩いた。
言葉は、なかった。
やがて、エドガーが足を止める。
「……怖いか」
彼の声は、静かだった。
リリアーナは、首を振る。
「いいえ」
一呼吸。
「怖いのは、選ばないことです」
エドガーは、目を伏せた。
「……俺は」
言葉に詰まる。
「……まだ、正しい選択か分からない」
リリアーナは、微笑んだ。
「分からないままで、いいのだと思います」
「それでも、選び合った」
それだけで。
*
王城を出ると、外の空気は冷たく、澄んでいた。
賢者の屋敷へ向かう馬車の中で、二人は向かい合って座る。
まだ、手は繋がれていない。
けれど。
その距離は、
命令でも、習慣でもなく、
選択として保たれていた。
王は、条件を示した。
それは救済ではなく、
罰でもなく、
未来を生きるための、最低限の枠だった。
そして、リリアーナとエドガーは、
その枠の中で――
なお、選ぶことをやめなかった。




