第12話 かつて、守れたと思っていた場所
その夜は、いつもより静かだった。
屋敷の廊下を渡る風の音さえ、遠く感じるほどに。
ランプの灯りが、壁に揺れている。
リリアーナが、ぽつりと口を開いた。
「……昔のことを、聞いてもいいですか」
それは、慎重に選ばれた言葉だった。
踏み込みすぎないように、逃げ道を残した問い。
エドガーは、すぐには答えなかった。
拒むこともできた。
「必要ない」と言って、話を終わらせることもできた。
だが――
もう、誤魔化す理由がなかった。
「……いい」
短く、そう答えたあと、彼は視線を落とした。
*
――昔、俺は村にいた。
賢者と呼ばれる前。
名を恐れられる前。
ただ長く生きているだけの、少し不思議な男として。
村は、小さかった。
川があり、畑があり、季節の移ろいがそのまま暮らしに影響する場所だ。
俺は魔法を使った。
だが、力を誇示することはなかった。
病を治し、
怪我を塞ぎ、
飢饉の年には土を癒やした。
それだけだ。
誰も俺を神とも怪物とも呼ばなかった。
――それが、心地よかった。
*
村人たちは、俺を「エドガー」と呼んだ。
敬称も、畏れもない。
ただの名前。
子どもたちは、俺の外見が変わらないことを不思議がったが、
やがてそれも「そういうもの」として受け入れた。
俺は、そこに居場所があると思っていた。
守れている、と。
自分は、役に立っている、と。
――その思い込みが、すべての始まりだった。
*
ある日、隣国へ出向いた。
薬草を求めて。
村の老人のためだった。
数日で戻るつもりだった。
何も問題は起きないと、疑いもしなかった。
帰った時、村は――なかった。
家は焼け落ち、
道は崩れ、
人の気配は、完全に消えていた。
土だけが、黒く残っていた。
声を出して呼んだ。
返事はなかった。
*
何が起きたのか、考える前に、
怒りが、すべてを塗り潰した。
――守れなかった。
その一言だけが、頭の中で繰り返される。
俺は探した。
襲った者を。
命令した者を。
そして、辿り着いた。
その国に。
*
その後のことは、断片的にしか覚えていない。
魔法は、制御を失った。
理性は、どこかへ消えた。
街が崩れ、
城が砕け、
国という単位が、地図から消えた。
止める理由を、
その時の俺は、見つけられなかった。
*
滅びた国の王妃が、俺の前に現れた。
焼け残った城の中で。
彼女は、魔女だった。
王妃は泣いていなかった。
叫びもしなかった。
ただ、静かに言った。
「あなたは、愛したものを失った」
「だから、同じ苦しみを知るべきだ」
その声は、怒りよりも冷たかった。
そして、呪いをかけた。
「愛することを、罰とする呪いを」
――エドガーは、そこで語るのを止めた。
リリアーナは、何も言えなかった。
その沈黙が、
責めではないことを、彼は理解していた。




