第11話 呪いが縛っていたもの
その話は、研究室で始まった。
けれど、以前のような重苦しさはなかった。
扉は開かれ、光が差し込んでいる。
――逃げないと決めた後の場所は、同じでも違って見える。
*
エドガーは、机の前に立っていた。
書物を広げているが、視線は文字を追っていない。
「……賢者の呪いは」
彼は、静かに言った。
「……ずっと、一つだと思っていた」
私は、何も言わずに聞く。
「……子を成すこと」
それが、彼の理解してきた“呪い”。
「……血を残せば、破滅する」
「……だから、避けてきた」
淡々とした言葉。
三百年分の選択。
*
「……だが」
彼は、書物に指を置いた。
「……違った」
その一言に、空気が変わる。
「……これは」
ページをめくる。
「……二つ、重なっている」
二重構造。
「……一つは、血」
「……もう一つは……」
言葉が、止まった。
*
「……心だ」
低く、しかしはっきりと。
私の胸が、強く鳴った。
「……心から、誰かと結ばれること」
「……それが、本質だった」
部屋が、静まり返る。
*
「……子を成すことは」
彼は続ける。
「……分かりやすい“結果”だ」
「……だが、原因は」
視線が、私に向く。
「……結びつき、だ」
逃げられないほど、まっすぐな視線。
*
「……賢者は」
彼は、少しだけ声を落とした。
「……心を持つと、呪いに触れる」
「……だから」
短い沈黙。
「……俺は、理解できなかった」
一人称が、自然に使われている。
「……人を、好きになるということを」
*
私は、息を吸った。
「……では」
問いかける。
「触れなければ、問題はないのですか」
彼は、首を振った。
「……触れるかどうかは、関係ない」
「……問題は、選ぶことだ」
選ぶ。
「……心を、預けること」
「……共に在ると、決めること」
それが、呪いに触れる瞬間。
*
「……だから」
彼は、少しだけ苦く笑った。
「……俺は、ずっと安全だった」
「……誰も、選ばなかったから」
胸が、締めつけられる。
「……触れていたのは」
視線が、逸れる。
「……ただの、代替行為だ」
落ち着くための。
壊れないための。
「……理解していなかった」
「……欲していたのが、何かを」
*
私は、静かに言った。
「……今は」
彼は、答えた。
「……分かっている」
即答。
「……だから、怖い」
その言葉に、嘘はなかった。
*
「……呪いは」
彼は、最後にそう言った。
「……愛を禁じるものだ」
断言。
「……そして」
一拍。
「……愛を、知った者だけを、罰する」
部屋に、沈黙が落ちた。
*
私は、ゆっくりと問いを重ねた。
「……それでも」
「それでも、選ぶのですか」
彼は、私を見た。
逃げない目で。
「……だからこそ、だ」
短く、しかし強い言葉。
「……選ぶかどうかは」
「……呪いじゃなく、俺が決める」
*
研究室を出るとき、私は立ち止まった。
(……これが)
(彼が三百年、避け続けたもの)
そして。
(……私が、今、向き合っているもの)
私は今日、
呪いの正体が「血」ではなく「心」であったことを知った。
そして同時に、
それでもなお、選ぶという行為が始まっていることも。
もう、後戻りはできない。




