第10話 選ぶという行為
その日、賢者エドガーは、私を研究室ではなく庭に呼んだ。
それだけで、少しだけ緊張した。
研究室は「過去」を語る場所だ。
庭は――今を生きる場所。
そんな気がしてしまったから。
*
冬に近い風が、木々を揺らす。
庭の中央で、エドガーは立ち止まった。
「……ここで、いい」
振り返った彼の表情は、いつもよりはっきりしていた。
目を逸らさない。
沈黙で逃げない。
(……覚悟、してる)
そんな空気だった。
*
「……君を」
彼は、ゆっくり言葉を選ぶように口を開いた。
「……屋敷から、離すこともできる」
胸が、ひくりと鳴った。
「……王に、進言すれば」
「……別の仕事も、身分も」
つまり。
――自由。
私は、息を呑んだ。
(それを、提示するんだ)
*
「……触れないなら」
彼は続ける。
「……関わらない方が、安全だ」
理屈としては、正しい。
呪いのことを知ってしまった今なら、なおさら。
でも。
「……それでも」
彼は、言葉を切った。
そして、私を見た。
「……選ぶ」
その一言が、すべてを変えた。
*
「……君が、ここにいることを」
声は低いが、揺れていない。
「……命令じゃない」
「……強制でもない」
はっきりと。
「……俺の、意思だ」
初めて聞く、一人称。
(……俺)
それだけで、胸が詰まる。
*
私は、すぐに答えられなかった。
彼は、待った。
待つという行為自体が、
今までのエドガーにはなかったものだ。
「……理由は」
彼は言った。
「……まだ、言えない」
正直な告白。
「……でも」
一拍。
「……失いたくない」
それは、ほとんど、告白だった。
*
私は、視線を落とした。
(……また、選ばれる側になる)
王子の時と、違うのは。
この人は、
私を「守るために」突き放すことも、
「自分のために」引き留めることも、
どちらも選べる立場にいるということ。
そして、今。
――引き留める方を、選んだ。
*
「……ただし」
エドガーは、続けた。
「……触れない」
「……境界は、守る」
それは、条件。
呪いを越えないための、線。
「……それでも」
彼は、少しだけ言葉を柔らかくした。
「……傍に、いてほしい」
命令ではない。
懇願でもない。
選択の提示。
*
私は、深く息を吸った。
「……私も」
声が、少し震える。
「……選びます」
彼の目が、わずかに見開かれた。
「……ここに、残ります」
理由は、まだ言えない。
でも。
逃げない、と決めた。
*
エドガーは、何も言わなかった。
ただ、短く頷いた。
それだけで、十分だった。
*
夜。
私は、自室で一人、手を見つめていた。
もう、握られることはない。
でも。
(……選ばれた)
命令でも、習慣でもなく。
私は今日、
触れられなくても、離れずにいられる関係が始まったことを知った。
そして、エドガーは今日、
初めて誰かを“守るために選ぶ側”になった。




