偽善者の失恋物語
1.
栃光大学の英語会(ESS)は、学内でも有数の巨大サークルである。
部員は200人を超え、1・2年は、通学路線ごとに五つのホームミーティングに分かれて活動している。
山内浩司はそのうち、中古線沿線の学生で構成される「三島ホームミーティング」に所属していた。
中古線沿線の学生は、地下鉄東南線に乗るのが普通である。
東南線は三島まではJR、その先は営団地下鉄の直通電車である。
3月に長野県で行われた春合宿が終わった。
浩司らは重い荷物を抱え、ようやく古宿駅に戻ってきた。
部員の多くは仲見より西に住んでいた。
古宿から仲見まではJRの区間、仲見から西が定期券の範囲である。
古宿から中古線か総丸線に乗れば、古宿から仲見まではキセルになる。
古宿から東南線の定期をそのまま使って帰るのが、慣習になっていた。
通常、ホームミーティングの合宿には1・2年の他に、そのホームミーティング出身の3・4年のOBも同行する。
帰りになって4年生が定期券を持ってきてないと言い出した。
杉下が4年に言うのを忘れたのである。
杉下は自分の定期で仲見の改札を出て、仲見発の切符を買って、それからまた定期で改札を抜け、また切符を買い、それで何枚もの仲見発の切符を持って、古宿まで戻ってきた。
浩司らは古宿駅構内の便所臭い広場で1時間も待たされた。
2.
杉下は我々が2年になるとき、辞めると言い出した女子5人を引き止めたことがあった。
残ったのは岡本沙代という美人学生ただ一人だった。
岡本には、他のホームミーティングにも狙っている男がいた。
そのあとに回された色紙に、杉下は「おれは残る理由ができたから残る」と書いていた。
岡本が辞めたら、自分も辞めるつもりだったのである。
4月に我々のホームミーティングに入ってきた新入生女子には、どういうわけか美人が一人もいなかった。
偶然と言えば偶然だが、ホームミーティングで分かれている以上、こうした偏りは起こり得る。
ESSから分裂したESAにはホームミーティング制がなく、1年はどっちに入部するか迷った末に、ESSを選んだのである。
1年の男子が頭にきて、露骨に文句を言う者もいた。
「三島は思いっきりドツボだ!」
三島ホームミーティングの2年女子には岡本と下山ルリ子という二人がいた。
下山は最初から辞めると言ってないので、引き止める必要はなかった。
その二人は美人だったため、1年男子の視線が自然と集中した。
杉下は2年会で強く言った。
「1年の男は2年の女子を先輩と思っていない!」
浩司には、なぜそこまで目くじらを立てるのか、そのときは理解できなかったが、後になって分かった。
杉下の目線の先には、常に岡本があったのだ。
邪魔者が目障りだったのだろう。
彼は2年のとき、3年になったら「辞める」と言っていたのに、岡本が残ると聞くや、あっさり残った。
杉下の偽装は、迷惑千万なことだった。
3.
岡本沙代は、三島ホームミーティングの男子が仲が悪いのに嫌気が差していた。
2年になるときに、辞めると言いだしたのもそのためである。
チェアマンの神田が「沙代ちゃんが好きだ」と公言し、総務の杉下も巧みにアプローチしてくる。
それに英語会では恋愛がご法度であり、嫌われているカップルが二組ある事もよくわかっていた。
そのようにならないために、古宿ホームミーティングの山村という1年上の男を格好いいと言って恋愛騒動に巻き込まれないようにしていた。
彼女は4年までESSに残った。
彼女には姉がいて、同じように小錦大学のESSに所属して、すでに卒業していた。
姉は目刺ホームミーティングの男子と結婚していた。
彼女は姉に尋ねた。
「お姉ちゃんはなぜ他のホームミーティングの人と結婚したの?」
「彼の方から告白してきたんだけど」
「それだけ?」
「そう」
「お姉ちゃんは、仲間割れが多い小錦大学のESSが嫌じゃなかった?」
「それは嫌だったけど、3年のときはそうでもなかったわね。3年はホームミーティング制じゃなくてセクション制になるでしょ。それで3年のときに告白してきた旦那とひっそり付き合っていたの」
「そう。3年のときがチャンスかもしれないわね」
4.
3年になると、岡本沙代はドラマセクションに籍を置いて、コスチュームの責任者となった。
小錦大学はドラマでも全ての賞を逃した。
ディベートも予選敗退。
ディベートセクションは意気消沈していた。
ある男が近づいてきて、手紙をそっと渡した。
開けて見るとそれはラブレターであった。
それはディベートセクション所属の目刺ホームミーティング出身の男で野村和夫という。
大した風貌ではないが、山村に似ている。
彼女はその男と付き合い始めた。
「私の姉も目刺ホームミーティング出身の旦那と結婚したんですよ」
「なんか運命的ですね」
野村が大日本鋼管に就職が内定したとき、彼女の心は決まった。
二人は結婚することになった。
それはすぐに元三島ホームミーティングの連中にも伝わった。
杉下のエゴはただのスタンドプレーの茶番に終わった。




