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第9話 焚き火に浮かぶ矢影

夜の野営地に襲い来る影――魔物。

老商人と思われていたロイの意外な一面が明らかになる。

その姿を目にしたセリナの心は、静かに揺れ動いていく。

 夜の帳がすっかり降りた。

 野営地の焚き火がいくつも灯され、ぱちぱちと木がはぜる音が暗闇をやさしく照らし出している。

 護衛の冒険者たちは交代で見張りを始め、焚き火を囲んで腰を下ろす者もいれば、荷車に寄りかかって短い眠りに落ちる者もいた。


「今夜は星がよく見えるな……」

 誰かが呟き、皆が空を仰ぐ。

 雲ひとつない夜空に無数の星々が瞬き、天の川がうっすらと流れていた。長旅の疲れを少しだけ癒してくれる光景だった。



 ロイとセリナも一つの小さなテントに入った。

 外からは焚き火の音、人々のかすかな笑い声や話し声が聞こえてくる。

 その雑音のようでいて規則正しい響きが、不思議と心を落ち着かせてくれる。


 ロイは横になり、天井の布を眺めながら言った。

「セリナ、もう休め」

「……はい。でも、少し緊張してしまって」

 セリナは布団の端に腰を下ろし、両手を膝の上で握りしめている。


 ロイはそんな彼女の手をそっと取り、軽く握った。

「こうしてれば、少しは安心かな」


 セリナは驚いたように目を見開いたが、すぐにふっと表情を和らげた。

「はい……落ち着きます」

 その温もりが胸の奥に広がり、ようやくまぶたが重くなりかけた、その時だった。


――「魔物だ!」


 鋭い叫びが外から響き、テントの幕が震えた。

 見張りの冒険者の声だ。



 一瞬で野営地は騒然となった。

 武器の鞘が外れる音、馬がいななく声、冒険者たちが次々と飛び出していく足音。

 セリナは咄嗟に短剣を手に取り、構えを取った。


「旦那様!」

 彼女の声に、ロイは冷静に頷く。

 手にしたのは――弓。


「弓……? 旦那様は弓を使えるのですか?」

「まあ、見てなさい」

 ロイはわずかに口元をほころばせ、テントを押し開けて外へ歩み出た。



 焚き火に照らされた視界に、複数の魔物が姿を現した。

 狼に似た獣だが、目は赤く光り、牙は異様に長い。唸り声をあげながら、荷馬車を取り囲もうとしていた。


 ロイは即座に馬車の影へと身を潜め、弓を引き絞る。

 ――ヒュッ。

 放たれた矢は一直線に飛び、魔物の首に突き刺さる。そいつは呻き声をあげ、地面に崩れ落ちた。


「命中……!」

 セリナが思わず息を呑む。

「旦那様、すごいです!」


 ロイは答えず、淡々と次の矢をつがえる。

 二の矢、三の矢――放たれるごとに魔物が一体、また一体と倒れていく。


「弓を扱える者が商隊にいると、随分助かるのよ」

 軽口を叩きながらも、ロイの矢は一度も外れることはなかった。



 その姿に周囲の冒険者たちも鼓舞された。

「お前の腕はまだまだ健在だな!」

 豪快に笑ったのは商隊長のダリオだった。


「いやいや、もう若い者には敵わんよ」

 ロイは苦笑しながら矢を放ち続ける。


 矢羽根が夜気を裂き、焚き火の炎が魔物の影を照らす。

 戦場に似つかわしくないほど静かな集中の気配がそこにはあった。



 やがて最後の魔物が矢に貫かれて倒れると、辺りは急速に静寂を取り戻した。

 風が木々を揺らし、焚き火の炎がぱちぱちと音を立てる。

 残されたのは荒い息遣いと、安堵の吐息だけだった。


「……ふぅ。無事に退けられたな」

 ロイが弓を下ろし、深く息を吐く。

「本当に……」

 セリナは胸に手を当て、瞳を潤ませながら答えた。


 彼女の視線の先にいるのは、ただの老商人ではなかった。

 落ち着き、的確に仲間を守る姿。矢を放つたびに揺るがぬ自信を見せる姿。

 セリナの心は強く揺さぶられていた。



 冒険者たちは周囲を警戒しながら再び焚き火の周りに戻り、戦いの余韻に短い会話を交わす。

「怪我人は?」

「なし!」

「さすがだな……」


 その言葉の端々に、ロイへの敬意がにじんでいた。


 セリナはそんな空気を感じ取り、胸の奥に新しい感情が芽生え始めていることを自覚する。

 父のように慕ってきた旦那様。けれど今夜は、それだけではない。

 自分を守ってくれる“男の人”としてのロイが、心に刻まれていた。



「もう大丈夫だ。セリナ、今度こそ少しは眠れるだろう」

 ロイは優しく声をかける。


「……はい」

 セリナは小さく頷き、テントに戻る。


 けれど布団に横たわりながらも、焚き火の影が揺れるたび、彼女はロイの手を確かめるように何度も握りしめていた。

 眠りの合間に浮かぶのは、弓を引く彼の姿。矢羽根が夜空を裂くその瞬間の凛々しさだった。


 その夜、セリナの胸に芽生えた想いは、まだ言葉にならない。

 だが確かに、旅の絆を新たな形に変え始めていた。

大きな戦いではなかった。

けれど、矢を放つロイの姿はセリナにとって鮮烈な印象を残した。

それは「父のように慕う人」から「ひとりの男性」への意識の転換点。

旅は続く――だが彼女の心は、確かに変わり始めていた。

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