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第8話 焚き火の灯りに守られて

橋を渡り切った商隊は、野営の準備を始める。

森の闇に潜む見えない不安。

その中でロイの言葉は、セリナにかけがえのない安心を与えるのだった。

夕暮れが近づく頃、一行は無事に橋を渡り切っていた。

 川の轟音が遠ざかり、道は再び穏やかさを取り戻す。谷を抜けた街道は広く開け、両脇には低い丘陵が続いている。そこに生える木々の影からは、時折、珍しい獣や鮮やかな羽を持つ鳥が姿を現した。


 小さな狐が草むらを横切り、青い羽根の鳥が群れを成して空を渡る。見慣れぬ光景に、商人たちは荷馬車の手綱を引きながら歓声を上げ、護衛の冒険者たちも肩の力を抜いたように表情を和ませた。

 緊張から解放された空気は柔らかく、どこか旅情を誘う。



 ロイもまた、荷車の側に寄りかかり、大きく深呼吸をした。

「ふぅ……順調に進めているな。今日は良い日だ」

 心の中でつぶやきながら空を仰ぐと、夕日が西の空を赤く染めていた。


 その横でセリナが小さな声で言った。

「旦那様が楽しそうにしていると、私も安心します」


 ロイは頬に笑みを浮かべる。

「そりゃあ、世界を見てみたいと思って飛び出したんだ。珍しいものを見られるだけで楽しいさ」


 セリナの頬がほんのり赤く染まった。

「……はい」

 その短い返事に含まれる温度を、ロイは深く追及せず、ただ穏やかな空気を受け止めた。



 やがて空は朱色から群青へと移ろい始め、一行は野営の準備に取りかかることになった。

 護衛のリーダーが声を張り上げる。

「ここで一晩過ごすぞ! 各自、火を起こし、食事の用意にかかれ!」


 号令と同時に冒険者たちは周囲から枝を拾い集め、商人たちは荷車から鍋や食材を下ろし始める。

 肉の塊、乾燥させた豆、香草の束――どれも旅の定番ではあるが、これらが火にかかれば温かなご馳走となる。


 セリナは慣れない手つきながらも皿を並べ、水を運び、笑顔を絶やさず動いていた。孤児院で培った経験が自然と役立っているのだろう。



 ロイは焚き火のそばに腰を下ろし、森の闇をじっと見つめた。

 陽が完全に沈むと、木々の間に濃い影が落ち、風が吹くたびに不気味なざわめきを響かせる。

「……今晩は注意かな」

 つい独り言のように漏れた言葉を、セリナは聞き逃さなかった。


「旦那様、何か危険が……?」

 顔色を変えたセリナに、ロイは苦笑して首を振る。

「いや、大げさに考えるな。ただ、森の近くで野営する時は用心した方がいいだけだ」


「……でも、盗賊や魔物が出るかもしれないんですよね?」

「確かに、出るかもしれないな」

 ロイの穏やかな声とは裏腹に、セリナの緊張は増していく。布巾を握る指先が白くなるほど力がこもっていた。


 その姿を見たロイは、少し真剣な表情で口を開いた。

「セリナ」

「……はい?」

「怖がるのは当然だ。だが、俺の隣にいれば大丈夫だよ」


 セリナは言葉を失った。

 焚き火に照らされたロイの横顔は、落ち着きと頼もしさに満ちていて、その一言が胸の奥深くに届いた。

 説明のつかない安心感。心臓が高鳴り、喉が乾く。



 やがて焚き火がいくつも灯り、闇を押し返すように赤い光を広げた。

 鍋からは肉と香草の匂いが立ちのぼり、冒険者たちが賑やかに笑い声を交わす。

 商人たちは果実酒を小さな杯に分け合った。


 セリナはその輪の中で、少しずつ緊張を解いていく。

 けれど森の闇に目を向けるたび、胸の奥で小さなざわめきが再び生まれる。

「……旦那様、本当に、大丈夫なんですよね?」

 ほとんど囁きのような声で、もう一度尋ねる。


 ロイは焚き火を見つめたまま、ゆっくりと答えた。

「もちろんさ。俺だってまだまだ旅の素人だけど、商売でいろんな場所を歩いてきた経験はある。危険な匂いには敏感だ。何かあればすぐに気づく」


 そう言って、彼はセリナの肩にそっと手を置いた。

 温かな重みが伝わり、セリナは小さく息を呑む。

 やがてその瞳を閉じ、心の奥に芽生え始めた信頼を確かめるように微笑んだ。


 火花が弾ける音が夜空に散り、ふたりを包む。

 闇は深い。だが、焚き火と隣に座る人の存在が、それ以上に心を照らしていた。

この夜、大きな事件は起こらなかった。

だが、セリナの心の中で「守られている」という確信が静かに芽を出した。

旅は続く――小さな夜の出来事も、二人の絆を少しずつ強めていく。

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