第7話 橋の上の約束
橋を渡る一行に漂う緊張感。
馬車ごと落ちれば命はない、そんな場所でセリナの心は揺れる。
だがロイの言葉が、彼女に勇気を与えるのだった。
朝霧が薄く立ち込める街道を、商隊の列がゆっくりと進んでいた。
空は薄曇りで、雲の切れ間から差す光が荷馬車の金具に反射し、きらりと閃く。馬の蹄が規則的に石を打ち、荷車の車輪が軋む音が大地に響く。
ロイとセリナは最後尾の馬車に乗っていた。荷物を背負った冒険者たちが周囲に散開し、鋭い視線で森や谷の方角を見張っている。
旅に慣れていないセリナはその張り詰めた雰囲気に圧倒されつつも、真剣な表情を崩さなかった。
◆
やがて、視界の先に谷を跨ぐ橋が見えてきた。
石の土台に太い丸太を渡し、板を張っただけの簡素な造り。しかし長さはかなりのもので、下を覗けば濁流が轟々と流れている。
茶色に濁った水は渦を巻き、時折岩にぶつかって白い飛沫を散らしていた。見下ろすだけで足がすくむような迫力だ。
「ここは降りて歩こう」
ロイが小声で告げた。
「……なぜです?」
セリナは馬車の揺れから降りながら問いかける。
「もし馬が暴れたり、盗賊に襲われたりしたら……馬車ごと川に落ちる。そうなったら助からない」
「……なるほど。やっぱり危険な場所なんですね」
「そういうことだ。だからこそ、気を抜かずに歩くんだ」
セリナは不安げに橋を見やる。だが、次の瞬間には唇を引き結び、しっかりと頷いた。
◆
一行は順番に馬車を降り、列を組んで橋へと足を踏み入れた。
ぎしぎしと木の板が鳴り、下から濁流の轟音が響き上がってくる。
セリナは思わず肩をすくめた。
「お嬢さん、怖いのか?」
傍らを歩く中年の冒険者が笑いながら声をかける。
「い、いえ……大丈夫です」
セリナはそう答えるが、握った手はわずかに震えていた。
それに気づいたロイが、静かな声で言った。
「大丈夫だ。俺が隣にいる」
セリナは驚いたように見上げ、すぐに目を伏せる。
「旦那様は……どうしてそんなに落ち着いていられるんですか?」
「年の功ってやつかな」ロイは軽く肩をすくめた。「それに、恐がっても橋は短くならない。だったら胸を張って歩いた方が気が楽だろう」
その冗談に、セリナはふっと笑みを漏らした。
◆
冷たい川風が吹き抜け、マントの裾を揺らす。
前方で偵察していた冒険者が片手を上げて合図を送った。
「異常なし、進め!」
しかし警戒は解けなかった。橋は狭く、退路も限られている。もし敵が待ち伏せていたら絶好の狩場になるだろう。冒険者たちも息を詰め、慎重に進んでいた。
セリナは不意にロイの袖をぎゅっと握った。
「……もし、もし何かあったら……」
ロイは振り返り、短く言った。
「その時は俺が守る。約束だ」
セリナの胸が熱くなった。
尊敬か、それとも別の何かか。自分でもまだ答えは出せない。
けれどロイが隣にいるだけで、不思議と足取りが軽くなるのを感じていた。
◆
ようやく橋を渡り切った瞬間、あちこちから大きな吐息が漏れた。
「ふぅ……」
「何もなくてよかったな」
護衛の一人が汗を拭いながら呟き、緊張した空気が少し緩む。
セリナも胸に手を当て、ほっと息をついた。
ロイは周囲を見渡し、心の中で小さく呟く。
――旅はまだ始まったばかり。試練はこの先に待っているだろう。
それでも、隣にセリナがいる。
その事実だけで十分だった。
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大きな戦いもなく橋を渡り切った一行。
けれどその短い時間の中で、セリナの心には確かな変化が芽生え始めていた。
――旅は続く。小さな出来事の一つひとつが、二人の絆を強くしていく。




