第五話 最初の旅路、星空の下で
商隊と共に旅を始めて数日。
街道を進む馬車の列、道中で交わす商人や冒険者たちとのやりとり――
ロイとセリナは、ようやく「旅に出た」という実感を得始めていた。
不安と期待が交錯する中、二人の絆も少しずつ形を変えていく。
ロイとセリナを連れたダリオ商会の商隊は、王都を出発してから数日が経っていた。
空は高く、風は澄んでいる。石畳の道からやがて土の街道へと変わり、馬車の車輪がときおり小石を弾く音が響く。だが道中は順調で、車軸が折れることもなく、魔物や盗賊の影も見えなかった。
荷馬車の列は、まるで一匹の大蛇のようにうねりながら東へと進む。各村に立ち寄っては簡単な取引をし、食料や水を補給しながら、ゆったりとした足取りで街道を進んでいた。
「今回も護衛の冒険者はいっぱい居るし、大丈夫だろう」
馬車の揺れに体を任せながら、ロイは穏やかに言った。白髪混じりの髪に風が当たり、その表情には長年の経験からくる余裕が漂っている。
「さすが旦那様、落ち着いていますね。私は……まだ緊張してしまいます」
隣に座るセリナは背筋を伸ばして、周囲の様子をきょろきょろと見回していた。
王都を出て初めて目にする広い草原、遠くに連なる山並み、森の影。その一つ一つが新鮮で、胸を高鳴らせていた。
「初めての旅だもんな。緊張するのも当然だ」
「はい。でも……不思議と怖くはありません」
「それはいいことだ」
ロイはにやりと笑い、空を仰いだ。
◆
行列の先頭を行く商隊長ダリオが振り返り、大声で言う。
「次の目的地はグレイモアだ! ここから三日の道のりだぞ!」
「グレイモア……」セリナは口の中でつぶやき、ロイに尋ねた。
「そこでは何をするんですか?」
「まずはな――旅に出た、という気分を味わうんだ」
ロイの口元にゆったりとした笑みが浮かぶ。
「商売のことは二の次だ。最初くらいは、息抜きと新しい景色を楽しめばいい。商隊と一緒なら危険も少ないしな」
「ふふっ、旦那様らしいです」
セリナは思わず笑みを零した。彼のそんなおおらかさに救われてきたのだと、胸の奥で改めて感じる。
馬車の後方では、若い冒険者たちが世間話をしていた。
「グレイモアは食べ物が美味いって聞いたぞ」
「いやいや、名物は果実酒だろ。女の子がよく飲むらしい」
「じゃあ賭けだ、誰が一番飲めるか!」
そんな話題にセリナの耳がぴくりと動く。
「旦那様、果実酒だそうですよ!」
「おお、それは楽しみだな。……けど、飲みすぎて迷惑かけるなよ」
「そ、そんな子供みたいなことしませんっ!」
顔を真っ赤にして反論するが、口元には笑みが浮かんでいた。
そのやり取りに、後ろの冒険者たちがにやにや笑いながら囁き合う。
「いいねぇ、あの二人」
「夫婦旅か。羨ましいぜ」
セリナはますます赤くなり、ロイの袖を小突いた。
夕暮れ、商隊は草原の中で野営をした。焚き火がいくつも灯され、鍋から香ばしい匂いが漂う。
セリナは旅の一員として手際よく水を汲み、布を干す。孤児だった頃の経験もあり、こうした仕事には慣れている。
「セリナ、もう立派な旅人だな」
ロイの言葉に、彼女の頬はほんのりと赤く染まった。
「そんな……まだまだです。でも、旦那様と一緒なら、どこまででも行ける気がします」
ロイは少しだけ胸が熱くなる。彼女の存在が、ただの旅をどれほど心強いものにしているか――言葉にするには照れくさくて、ただ静かに頷いた。
◆
夜が訪れた。
草原には満天の星が広がり、焚き火の火の粉が小さな星々のように空へ舞い上がっていく。
冒険者たちは酒瓶を回しながら歌を歌い、商人たちは商売話に花を咲かせている。
ロイとセリナも輪の中に座り、温かなスープを啜った。
「旦那様、星が……こんなに近く見えるんですね」
セリナが見上げ、感嘆の息を漏らす。
「王都じゃ、街の灯りで見えなかったからな。旅の特権だ」
ロイも同じ空を見上げ、胸の奥に静かな昂ぶりを覚えた。
「この先、どんなことがあっても……大丈夫ですよね」
セリナが小さく呟く。
「もちろんだ。俺もお前も、もう引き返す気なんてない」
ロイの言葉に、セリナは安心したように目を細めた。
二人の影を照らす焚き火が揺れる。
その温もりと星空の輝きが、彼らの最初の旅の夜を包み込んでいった。
平穏に見える旅路も、常に予想外の出来事をはらんでいる。
それでも、ロイとセリナにとっては一歩一歩が新鮮で、心を躍らせる日々だった。
商隊との交流、そして彼ら自身の覚悟が、やがて訪れる困難を乗り越える力になる。
――新たな出会いと試練は、もうすぐそこまで近づいていた。