第14話 酒場に差す影
グレイモアの夜、旧友ガストンと語らうロイとセリナ。
酒場は笑いと温かさに包まれていたが、一人の女性冒険者の来訪がその空気を変える。
そこに見えたのは、冒険者の世界に潜む厳しい現実だった。
夜も更け、グレイモアの街に明かりがぽつぽつと灯る頃。
ロイとセリナは、ガストンの営む大きな酒場の片隅で杯を傾けていた。
「いやぁ、あの頃は本当に必死だったよな」
ガストンが大きな手でジョッキを振りながら笑った。
「お前がまだ商人見習いで、帳簿の字もろくに読めなかった頃だ」
「やめろよ。あれは駆け出しの時期だったんだ」
ロイは苦笑しながら肩をすくめる。
「旦那様にも、そんな時代があったんですね」
セリナがころころと笑った。彼女にとってロイは、常に落ち着き払った頼れる存在だ。そんな彼にも未熟な頃があったというのが、妙に新鮮に思えた。
「あるとも。人は誰だって最初は未熟なもんさ」
ガストンが腹の底から笑うと、酒場の灯りがさらに温かみを増したように感じられた。
◆
三人は昔話に花を咲かせた。
ロイが若かりし頃、商人見習いとして王都を走り回っていた時代。
数を間違えて大損したこと、取引先の名前を覚えられず先輩に叱られたこと。
「それでも、お前は負けなかった」
ガストンはしみじみと語った。
「俺も当時は酒場の下働きで、毎日水くみと掃除に追われてた。でも二人でよく話したもんだ。『いつか大きくなってまた会おう』ってな」
「お互いに、本当にここまで来たんだな」
ロイが静かに呟く。
「ああ、夢は簡単に諦めちゃいけねぇってことだ」
ガストンは満足げに腕を組んだ。その瞳には、若い頃の情熱がまだ燃えているように見えた。
セリナは横で二人の会話を聞きながら、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じていた。
――旦那様にも、夢を追いかけた若い日々があった。
そして今もこうして、仲間に誇らしげに語られる存在になっている。
その姿に、憧れ以上の感情が胸の奥で形を変え始めていた。
◆
やがて夜も更け、店も閉めの時間が近づいてきた。
客足は徐々に減り、笑い声も落ち着きを見せ始める。
そのとき、静かな扉の音が鳴った。
一人の女性冒険者が姿を現した。
背には使い込まれた大剣。
マントの裾は泥にまみれ、破れている。
けれど、その瞳は曇りなく、迷いを知らぬ光を宿していた。
「……らっしゃい」
豪快なガストンの声が、不思議と沈んだ調子に変わった。
女性は黙ってカウンターに腰を下ろし、短く「酒を」とだけ告げる。
ガストンは黙って酒を注ぎ、彼女の前に置いた。
しばしの沈黙の後、低い声が落ちた。
「……行くのか?」
「ああ」
女性はグラスを手にしながら答える。
「危険だぞ。今度の任務は、命を落とすやつが多いと聞いてる」
「わかってる。でも……自分にはこれしかない」
その言葉に、ガストンは口を閉ざした。
普段なら大声で笑い飛ばす彼が、この時ばかりは言葉を失っていた。
◆
ロイとセリナは少し離れた席でそのやり取りを耳にしていた。
セリナは不安げにロイを見上げる。
「旦那様……あの方、何を……」
「……冒険者の世界には、俺たち商人にはわからない生き方があるんだ」
ロイの言葉は静かで、どこか遠い響きを持っていた。
セリナは胸を締め付けられるような感覚を覚えた。
あの女性の強い目。その裏にあるのは、死と隣り合わせの生き方だ。
自分には到底真似できない。けれど、だからこそ強く胸に残る。
女性は一気に酒を飲み干し、立ち上がった。
「ごちそうさま。世話になった」
ガストンは言葉を返さず、ただ深く頷いた。
その横顔には、普段の豪快さとは違う切なげな影が宿っていた。
◆
ロイはその光景を目にし、思わず息をのんだ。
「……また来るよ」
立ち上がり、ガストンに声をかける。
セリナも小さく頭を下げ、二人は酒場を後にした。
夜風が頬を撫で、街の灯りが遠ざかっていく。
しばらく黙って歩いた後、セリナが小さな声で呟いた。
「あの方……強い目をしていましたね」
「そうだな。生き方に迷いがない目だった」
ロイの声はどこか遠く、静かだった。
セリナはそんな彼の横顔を見つめながら、自分の中に生まれつつある感情を確かめようとした。
憧れか、尊敬か、それとも――。
◆
――酒場の賑やかさの裏に潜む、冒険者たちの厳しい現実。
それを目の当たりにした夜は、ロイとセリナにとって忘れられないひとときとなった。
この回は「縁」と「影」を同時に描いた。
ガストンとの温かな再会の裏で、命を賭ける冒険者の姿が二人の心に強い印象を残す。
セリナにとっては、旅が単なる憧れや楽しみではなく、厳しさと隣り合わせであることを知る出来事になった。




