第一話 老商人、夢を忘れず
王都の店に根を下ろしてきたロイ。
だが心の奥では、旅立ちたいという思いが燻り続けていた。
息子アランに「商隊でなければ駄目だ」と言われ、葛藤するロイ。
そんな彼に、看板娘セリナが意外な提案をする。
そして、旧友ダリオとの再会が、運命を大きく動かしていく――。
王都グランディール。
華やかな街並みの中央に、大きな商館が一つ構えていた。看板には「ロイ商会」と書かれている。
ロイは今年で四十を越える中年の商人だ。
かつては妻と共にこの商会を切り盛りしてきたが、数年前に病で妻を失ってから、胸のどこかにぽっかり穴があいたままだった。
「父上、帳簿はこちらにまとめておきました。確認をお願いします」
「……ああ、助かる」
声をかけてきたのは息子のアラン。二十代半ばにして立派に成長し、今では商会を取り仕切る柱になっている。
――正直、もう自分の出番は少ないのではないか。
ロイはそんな思いを抱く日が増えていた。
取引は順調、店も拡大している。だが心は晴れない。
「お前がいればもう大丈夫だろう」
そう言いかけるたびに、アランは真剣な目で返す。
「何を言ってるんです。父上がいるからこそ、皆もついてきてるんです」
……そう言われると、余計に居心地が悪い。
夜、自室でロイはため息をついた。
机の上には亡き妻の小さな肖像画。
「なあ、もし生きてたら……俺は、まだ笑えてただろうか」
ふと胸に浮かんだのは、若いころの夢だった。
――世界を見てみたい。知らない街を歩き、知らない人と話し、知らない物を手に取ってみたい。
けれど現実は商会の主、王都に縛られた日々。
その夢は心の奥に封じ込めたまま、年月だけが過ぎた。
翌日、ロイは意を決して息子に話した。
「アラン。俺は……旅に出たいと思っている」
「……父上、何を言っているんです」
「世界を見たいんだ。若いころの夢だった」
アランの顔が険しくなった。
「そんな無茶を! 旅は遊びじゃない。山賊や魔物も出ます。父上が倒れたら……どうするんですか」
必死の反対に、ロイは言葉を失った。
分かっている。自分はもう若くない。
だがこのまま死ぬまで王都の中だけで過ごすのかと思うと、どうしても胸が苦しかった。
その夜もまた、ロイは一人、窓辺に腰を下ろして遠い空を見上げる。
――せめて、一度だけでもいい。
あの夢を叶えてみたい。
◇
「私を、連れて行ってください!」
突然の言葉にロイは目を丸くした。
声の主はセリナ。二十歳になったばかりの看板娘だ。
幼いころ孤児だった彼女を拾い、読み書きから商売の基礎まで教えたのはロイ自身だった。
今ではすっかり美しい娘に成長し、店の顔として客の人気を集めている。
「セリナ……お前、何を言ってるんだ」
「私は恩返しがしたいんです。今まで育ててくれた父様に。だから、私も一緒に旅をしたい」
真剣な瞳に、ロイは言葉をなくす。
「危ないんだぞ」
「分かってます。それでも……守ります。今度は私が」
強い声。
かつて小さな少女だったセリナが、こんなにも頼もしい女性になっていたことにロイは胸を打たれた。
だが――。
「父上、まさか本気で……!」
アランが横から声を荒げた。
「セリナまで巻き込む気ですか。二人とも死んでしまったら……」
「不吉なこと言うなよ」
「……アラン」
ロイは静かに息子の肩を叩いた。
「お前がいるから、この商会は大丈夫だ。俺は、お前を信じている」
その言葉に、アランは言葉を失う。
しばし沈黙したあと、諦めたようにため息をついた。
「……分かりました。ただし条件があります。必ず商隊に加わってください。独り歩きなど絶対に許しません」
ロイは苦笑した。
「分かってる。昔のような無茶はしないさ」
こうして決まった。
ロイとセリナ、二人の旅。
――それは「商人」としての新たな日々の始まりだった。
ロイとセリナの旅は、もはや夢物語ではなく現実のものとなった。
商隊への同行という確かな足場を得て、二人の心は期待と不安で高鳴る。
王都を出れば、未知の世界が広がっている。
果たして彼らを待つのは、新たな出会いか、それとも試練か。
次回、ついに「旅立ちの朝」を迎える。どうぞお楽しみに!