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甕に帰る狸  作者: futan
第一部 傾聴
4/25

3

「片岡さん。これから髪を洗いますね」

ストレッチャーに横たわる利用者に声掛けをする。返事は返ってこない。彼女は澄んだ目差しで宙を見つめていた。話すことを止めてどれ位経つのだろうか。

 拘縮が進み胎児のように身体を丸め、膝を抱えるような姿勢で固まっている。仰臥位で固定するため安全ベルトと身体の間に出来た隙間に特浴用パッドを入れるが収まりが悪く身体が安全に固定出来ない。右へ、左へと身体が揺れる。これだけ拘縮が進行するとストレッチャーの安全ベルトも大して役に立たない。更にタオルを身体とベルトの隙間に挟み込み体位を安定させ、シャワーで静かに髪を濡らした。

 去年まで杖で歩いていたのに。認知症症状も軽い方だった。口数の多い人では無かったが畑の話題になるとはにかんだような笑顔を浮かべる。性格も話し方もかわいいちっちゃなおばあちゃんだった。若い頃に夫を亡くし苦労して二人の男の子を育て上げた。その長男から酷い虐待を受け、見かねた次男に引き取られこのデイサービスへやって来た。良くある事例だ。長男による虐待ケースは身内から受ける虐待の四割近くを占めるらしい。

 次男の家でやっと穏やかな生活を送り始めた矢先に誤嚥性肺炎で入院。デイサービスへ戻って来た時には車椅子になっていた。寝たきりの入院生活によるADLの低下と共に急激に認知症症状が進行した。程無く発語をしなくなり言葉を失った。かろうじて目の動きで何を訴えているのか分かるような気がする。多分そんな気がするだけなのだと思う。

 次男は居宅で看取るつもりです。と寂しそうな表情を浮かべ話していた。居宅での介護の為に介護教室へ通うなどして意欲的だし妻も協力的で彼女にとって良い関係性が築かれている。このような良好な関係が築かれている事は自分が経験してきた事例では少ない。

 はにかんだような笑顔を浮かべ畑仕事の苦労話をする片岡さんの姿が思い起こされる。もう彼女にはその頃の記憶は残ってはいないだろうか。

 この仕事に就き今までに認知症の終末期に近い人を幾人も見てきた。世間との繋がり失い、記憶を失い、言葉を失い、身体機能を失い、認知症の人々は色々な物を失い続ける。得る物が有るとすれば病による症状の進行だけ。

 彼等とある程度普通に言葉を交わせていた初期症状の頃を知っているだけに切ない思いが湧いてくる。

 コミュニケーションがそれなりにとれていた時分の彼等の言葉には重みがある。あの人達が「あの頃は・・・」と言うのと自分が「あの頃は・・・」と言うのではまるで言葉の重みも厚みも違う。何十年もの思いが言葉に乗ってくる。何十年も生き抜いてきた経験が言葉に滲み出る。

 性格や相性の良い人ばかりではなかったけど苦手な人や時間を掛けて意思疎通を試み、やっと心を開き話し始めてくれた彼等が話してくれる苦労話や昔話から彼等の送ってきた人生を想像する事はこの仕事する上での楽しみの一つでもあった。彼等がどんな人生を送って来たにせよだ。

 認知症の進行には個人差があり進む人は一気に進行してしまう。それこそ急降下するジェットコースターのように。

 片岡さんの洗髪しながら思う。拘縮が進み胎児のような姿になった彼女。言葉や記憶、体の自由を失いながら人はこうまでして生きなければならないのだろうか。『大きなお世話よ。好き好んでこんな身体になった訳じゃないわよ』と自分の中で片岡さんが答える。そうですよね。誰もなりたくてなっている訳じゃないですものね。それに次男さんも片岡さんが出来るだけ長生きされることを望まれていますものねと自問自答する。

 記憶や言葉を徐々に、時には急激に失い続け残ったモノは空っぽになった身体だけ。生体活動のある容れ物。

 記憶を失い続けると言うことはどういう事なのだろうか。何時も考え込まずにはいられない。まず短期記憶から失われ始める。昨日食べた夕食の献立、今し方話した内容や行動。見当識も低下し自分が何処にいるのかも認識出来なくなってくる。季節や月日、家族や他人との関係性が理解出来なくなるし、意欲低下も起きてくるだろう。そのうち一分前の記憶さえ保持出来なくなる。やがて長期記憶も冒される。若い頃の夢や希望に溢れた記憶。子供の頃の楽しかった思い出、叱られた思い出、苦労した事など様々な思い出が揮発していく。思いや意志を表現する為の言葉も徐々に無くなっていく。空っぽになるのだ。

 空っぽになりながら身体は死ぬまで生き続ける。記憶の無い状態とは、身体だけ生き続けるとはどんな状態なのだろう。最後の時には何か残っているのだろうか。結末は死なのだが、自分の想像力では思い付く事さえ出来ない。

 記憶とは積み重ねてきた経験とそれに関連する思い出だ。その人をその人たらしめる物はその人の持っている記憶だ。

 唐突に脈絡も無くある考えが閃く。もしかして記憶とは魂の事なのではないだろうか。そう思うと認知症の人達は魂を削りながらじわじわと死へ向かっている。魂は永遠不滅だと聞くが死ねば記憶が戻るのだろか。大切な思い出が戻ってくるのだろうか。死後のことなんて死んでみなければ解らない。

「背中を洗いますね」

声掛けし枯れ木の根っこみたいになった身体を右側臥位に体位交換する。高齢者の体は脆い。人によっては皮膚も骨も繊細なガラス細工のように感じることがある。ちょっとした力加減一つで表皮剥離や骨折で壊れてしまう。

 筋肉は殆ど落ち、骨に萎びた皮膚が張り付いたような身体を左側臥位に体位交換し皮膚状態観察をする。僅かな発赤は見られるが褥瘡にはなっていない。大転子部も色が大分変色しているがまだ褥瘡の心配は無さそうだ。正しいポジショニングときちんとした体位交換がされている成果だ。次男やその家族の献身的な介護おかげだろう。身体的虐待や暴言、ネグレクトなどのケースを数多く見て来た中で、こんなにもきちんと面倒を看てもらい彼女は幸せだな。それでも壊れた身体の檻に閉じこめられ、魂を削られて行く。その日が来るまで。

 洗身が終わり身体を仰臥位に安全ベルトで固定し、身体とベルトの間に出来た隙間にタオルを詰め込む。昇降ボタンを押しストレッチャーを浴槽に沈めた。バブルと表示されたボタンを押しマイクロバブルを発生させる。泡風呂の中で彼女は相変わらず宙をじっと見つめていた。

「お湯加減は如何ですか?気持ち良いですか?」

とても澄んだ瞳が少し動いたような気がした。喜んでくれているのかな。足の指先から足の甲、土踏まずへと指を数回滑らすと垢がポロポロとこぼれ落ちる。この身体は代謝を行っている。間違いなく生きている。生命活動をしていると実感する。では心はと問い掛けずにはいられなかった。

 浴槽で穏やかな表情を浮かべる彼女を見ていると鈍い胸の痛みと共に記憶の奥底から蓮の花と共に祖母の柔らかな笑顔が浮かび上がって来た。


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