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その町を歩く時は左回をしてはいけない。永遠に彷徨い続ける事になる。
薄雲に覆われた空からぼんやりとした太陽が濁った陽光を投げかけていた。まだ午前九時前にも関わらず蒸し暑く気温は急激に上昇を始めていた。
送迎用のリフト付き軽自動車から降り、この地域に多く見られる入母屋造りの家の木戸を潜り玄関へ向かった。木戸から玄関までおよそ十メートルの距離を小走りで進んでいると玄関アプローチ沿いに信楽焼のタヌキが手入れのされていない庭木やアプローチへ溢れ出した雑草の中から愛嬌のある表情を浮かべ八匹ほど並んでいた。自分と似たような体型のタヌキが朝日の中で微笑んでいる。ジャージの下で胸と下腹の肉が踊った。また太ったかなと腹の肉を摘んでみる。軽い溜め息を漏らすと玄関を目指した。
経年劣化の為に歪み建て付けの悪くなった木製の引き戸をガタピシといわせながら慎重に開ける。力任せに開けたりすると外れそうだ。もう何十年も手を入れてない家屋はそこら中が朽ちてかけていた。
「おはようございます。デイサービス大月です。お迎えにあがりました」と外連味たっぷりに元気よく声をかける。薄暗い玄関で仄かに尿臭が鼻に付く。
三波フサ八十九歳。要介護二。息子夫婦と同居。軽度の右下肢麻痺、アルツハイマー型認知症、持参薬はヒルロイド。
「はぁーい。よろしくお願いします」と廊下の奥から沈んだ声が響く。この家の嫁の声だ。薄暗く長い廊下から疲れた表情も隠さず五十代後半の女に手を引かれ杖を突いた老婆が姿を見せる。
「おはようございます。フサさんにお変わり有りませんか?」とお決まりの挨拶をする。フサと呼ばれた老婆は何も言わず暗がりの中から虚ろな瞳でこちらを見ていた。
「特に変わった事はありません。朝から大騒ぎで。さっきやっとアリセプトを飲んでくれたところです。ホント、薬が嫌いで。これ着替えと入浴後の塗り薬です」
長男嫁が溜息を付きながら連絡帳と着替えやリハビリパンツの入った松皮菱模様があしらわれた紺色の手提げ袋を差し出した。手提げ袋を受け取ると持参薬の確認をする。
フサさんの腕を嫁から預かり「行ってきます」と挨拶すると腕を支え送迎車へ向かう。
「玄関の段差に気をつけて下さいね」とこれもお決まりの言葉を掛けるが反応は無い。無表情で腕を引かれるまま歩いている。
送迎車まで慎重に歩行介助しながら助手席へ乗せ込こんだ。乗車介助時に身体を支えるフサさんの腕や腰の関節で軋む骨を感じる。加齢により軟骨がすり減っているのだろう。転倒し骨折でもさせたら大事故になる。この位の歳になると骨折などで入院すると戻ってこられない人が多い。入院しベッドでの生活が長くなると認知症は進行を早めADLは急激に低下し直ぐに寝たきりになってしまう人が多く、そのまま病院で終わる人も少なくない。要介護の老人達が入院すると言うことは死活問題だ。
「今日はもうお一人、お迎えに伺いますね」
フサさんへ話し掛けるが相変わらず返事はないが構わず話し掛ける。
「今日は暑くなりそうですよ。もうかなり暑いですけど」
まだ六月も始まったばかりなのにこの蒸し暑さだ。すでに脇の下では大きな汗染みを作っていた。
お次は垂井源一朗。要介護三。八十六歳。アルツハイマー型認知症と脳血管性認知症の混合型との事だがレビー小体型認知症も交じっているのではないかと思うこともある。脳梗塞の為左半身に軽い麻痺。歩行は室内など掴まる所や杖による支えがあれば移動は可能だが不安定な歩行状態に配慮し移動は車椅子。持参薬はゲーベンとマグミットだったな。
送迎車を十分程走らせると経年の汚れや苔でくすんだオレンジ色のフランス瓦が葺いてある腰折れ屋根が見えてくる。自宅は大正から昭和にかけて流行った洋館付き住宅と呼ばれるもので日本家屋に洋館が付いている。オレンジ色の瓦の腰折れ屋根と黒い瓦の入母屋屋根の組み合わせが奇抜な印象を振りまいていた。それでも完成した当時はこの辺でかなりハイカラな佇まいを誇っていたはずだ。
洋館部分の壁は煤け灰色に変色し今では到る処に蔦が這いずり回り以前は白亜だったと思われる壁は見る影もない。家の裏手からは木々が家を覆い込むように生い茂り煤けた緑の影が家を呑み込んでいた。
近所の子供達はお化け屋敷などと子供達特有の噂話が広がり滅多に近づかなかったが時々やんちゃな子供達が庭に入り込み度胸試しをやっているようだ。
垂井さんは洋館の方に住んでいた。門扉から送迎車をバックで乗り入れリフトを引き出す。この家も玄関まで距離がある。額に滲む汗を拭うと玄関へ向かった。玄関まで続く敷石の脇でここでも信楽焼のタヌキが数体置かれていた。隣には年を経て苔生した石のカエルも並んでいる。
大きな親ガエルの背中には子ガエルが五匹乗っている。カエルが六匹で『迎える』か、苔の中に蹲るカエル達を横目に玄関へ急ぐ。
玄関前や庭先でタヌキやカエルの居る風景はこの辺では見慣れた風景だ。この町にあるどの家にも不思議な程のタヌキやカエルの置物が並べられている。それも一体とかで無く数体置いてある。初めてこの町へ来た時にはかなり奇妙に感じられたが今では当たり前の風景となってた。
ドアの脇にインターホンが着いているが故障しており使えない。八角形の小窓に赤や黄、青の幾何学模様のステンドグラスがはめ込まれた洒落た玄関ドアを開けると垂井さんはすでに上がり框で車椅子に乗り待っていた。太い黒縁眼鏡の指紋まみれで曇ったレンズの底から物憂い眼差しで此方を見ると軽く会釈をして来た。ズングリとした体型でどことなくコアラを連想させる容姿で可愛げに見えるのだが、表情は暗く沈んでいた。
「おはようございます」
挨拶をしながら状態観察をしていると左腕に包帯が巻かれている。どうしたのかと声をかけようとするとパタパタと埃に塗れた薄暗い廊下の奥からヘルパーが荷物を持って小走りで現れた。
「おはようございます。今日は紀田村さんがお迎えね」とヘルパーが荷物を差し出す。
「おはようございます。垂井さんの左腕はどうされました」
「それがねぇ、昨日の申し送りだと昼食後に暴れて左腕を本棚にぶつけて表皮剥離したらしいのよ。丁度、訪問看護さんの訪問日が重なっていて運良く手当してくれたの。お風呂上がりにデイの看護さんに処置し直してもらって下さい」
「いつものやつですか?」
「そうよ。カエル。カエルよ」ヘルパーは垂井さんに聞こえないように小声で話した。
「時期ですものね」と此方も声をひそめる。カエル怖症も垂井さんの持っている症状の一つだった。送迎車まで車椅子を引きながら庭先のカエルは平気なのにと垂井さんとカエルを交互に見比べた。
門扉まで続く飛び石や砂利が車椅子の進行を阻む。ガタガタと揺れる車椅子の振動を最小限に留めるよう後ろ向きになり車椅子を引っ張りながら慎重に送迎車へ向かった。
「左腕は痛みませんか」リフトに乗せ込みながら話し掛けた。
「何て事はないよ」と言うと左腕の包帯を撫でながら力なく笑みを浮かべた。車椅子へ固定具をセットしシートベルトをするとリフトが上がることを伝え昇降スイッチを押す。
今日は受け答えが出来ている。もしかするとあの話しの続きを聞けるかもしれない。もうあまり時間が残されていないはずだ。認知症の症状が今以上進行する前に何としても聞き出したい。
「今日は雲が厚いね。嫌な暑さになりそうだ」垂井さんは太い黒縁の眼鏡の奥から目を細め呟くように話し掛けてきた。
「そうですね。またあのお話の続きを聞かせて下さいよ」の問い掛けに暫く間が空き垂井さんは押し黙ってしまった。
数秒後に口を開き「ああ・・・。いいよ。君も物好きだな」と言い終えた垂井さんの体が一瞬揺らめき消え入りそうに見えた。目の周りをマッサージする。この町へ移り住んでから周囲が蜃気楼のように揺らめいて見える時がある。最初は慣れない環境から来る疲労かなと思っていたが今年に入ってからその症状が増えている。今の体調も良いとは言えない。やはり受診を考えてみた方が良いかも知れないと思った後から面倒臭さが湧いてくる。
垂井さんを送迎車へ乗せ込むと一緒に家を出たヘルパーに見送られデイサービスへと向かう。この町の複雑に入り組んだ細く曲がりくねった道を走っていると施設運転手の山本さんが話してくれた事が頭をよぎる。
この町では左回り周りをしてはいけない。とんでもない所へ迷い込むぞと言っていた。嘘か誠か定かではないがこの辺り袋津は昔から沢山の機屋があり女工が逃げ出しても直ぐに捕まるようにわざと曲がりくねった道にしてあると話してくれた。最盛期には数十軒あった機屋も今では二軒を数えるだけになっている。ただ逃げ出そうとする女工の為に町全体を迷路にするとは思えないがこの複雑な道を走っているとそんな気もしてくる。実際、何度か近道しようと左折した所、道を進むにつれそれでなくても狭い道幅がどんどん狭くなり袋小路に入り込んだり、予想外の場所へ行き着いたりした経験が数回ある。土地の人間でさえも迷うことがあるらしい。この道を走っていると逃げ出した女工の話もまんざら嘘とも思えなくなる。
小さな四辻を右へ曲がると前方に移動式の通行止め標識が見える。標識の向こうではグレーやカーキー色の天幕が見えている。三・九の市の日かと思わず声が漏れる。忘れていた。標識越し見える市の光景からは熱気も活気も感じられず色褪せた写真のように見えていた。今日開催されている三・九の市もこの町の最盛期に比べると三分の一程の規模になっていると言う。以前はこの市もメインストリートの本町通りで開かれていたが過疎化が進み市に出店する人々も減り今はこの短い路地に追い遣られている。
規模は縮小されたとはいえ狭い路地にはそこそこの人混みでごった返している。目に映る市の情景の中でギョッとするものを見付け思わず身を乗り出し、高倉さんと我知らず叫びそうになった。彼女は二ヶ月ほど前に亡くなったデイサービスの利用者だ。その死んだはずの高倉さんは豆絞りの手拭いを姉さん被りに灰色の割烹着姿で野菜を籐で編んだ買い物籠へ入れていた。
何故、どうして亡くなった人間がと思う間もなく彼女は人混みへ埋もれて行った。他人の空似か見間違いのはずだが。それにしてもそっくりだった。右膝が悪く身体を傾げ、足を引き摺る歩き方や立ち振る舞いも彼女そのものだ。
またか・・・。何だろう最近、亡くなった人をよく見掛ける。今月に入って何人目だろう・・・。何れも勤務先のデイサービスの利用者だった。
目の前で交通整理のおじさんが盛んに手を振っていた。右か左かどちらかへ進めと手振りで示していた。反射的に右折する迂回ルートを選び本町通りへ向かった。すでに先程の市で目に留まった出来事への関心は失せていた。自分でも不思議なほどに。
本町通り。そこは昭和で溢れていた。時代に取り残され昭和という時代が染み付いているような町並みが続いていた。本町通りの両脇には雪国らしく雁木造りの商店街が一キロ程続き商店のディスプレイや看板のデザインや書体が古き良き昭和を置き去りにしていた。店の奥ではあきらかに自分が生まれる前の古い色褪せたポスターが薄暗い店内で何十年も貼られっぱなしになっている。本町通りは朝の九時過ぎにも係わらず人影も殆ど見られず活気が微塵も感じられない。開くことのないシャッターが半数近くに達した商店街は力無く朝日に照らし出されていた。ここはもう人の集まる場としての力が無くなっているのではないだろうか。朝日まで弱々しく感じられる。新潟のベットタウン化し人口が増えているが町の中心部は過疎化が進み人気が無い。
時の澱に沈んだような町の中で空き店舗を利用したコミュニティカフェ「ぽかぽか縁側」の窓に貼り出されている昭和初期のこの町を写したモノクロ写真だけが皮肉にも活気に溢れていた。モノクロ写真を横目に本町通りを進んで行くと商店街の所々にぽっかりと空き地が口を開けている。こんな所に空き地なんてあったかな。何が建っていたんだっけ。記憶を辿るが思い出せない。町中に虫喰いのように空き地が増え目立ち始めているが元は何があったのか思い出せない事が殆どだ。
この町へ来て四年近くが過ぎようとしていた。この町の変化は空き地や空き家が増えていく事だけだ。まるで昭和の幻のような町。自分にとっては言葉通り本当に幻の町だ。また町が陽炎のように揺らめいて見える。ふと自分はこの町から出ることは出来るのだろうかと脈絡のない思いが頭を過ぎる。
ゆきよし交差点で赤信号に捕まる。ルームミラーを見ると三波さんが後で目を瞑り合掌していた。右脇を見ると六地蔵が安置されている延命庵が見える。水上輸送で栄えたこの町らしく船旅をする人々や船頭の旅の安全の願いと水難事故者の冥福を祈り祀ってある。三波さんは送迎時此処を通る度に必ず六地蔵へ手を合わせ、お参りを欠かさない。
交差点で信号待ちをしていると妙に目立つ男女の三人組を見かけた。一人は大男で身長が二メートル近くありそうだ。顔の大きさも身長に劣らず大きかった。もう一人の男は腕を耳に当て難しい顔をして大男へ向かい何か喚いていた。女は狐を思わせる容貌で険しい表情で何故か此方を睨んでいる。
目立つと言うのは陽炎のように儚く揺らめく風景の中、その三人組だけがピントが合っているようにハッキリと色鮮やかに見えているのだ。疲れ目かなと目を擦ったその時、いきなり狐顔の女が怒った表情を浮かべこちらを指さした。
「タヌキ・・・」と後部座席で垂井さんが呟く声が聞こえた。
「えっ。何か言いましたか?」
後方でクラクションが鳴る。信号が変わっていた。慌てて送迎車を発進させる。何故狐顔の女に怒り顔で指を差されたのか腑に落ちなかった。交通違反でもしているのかと思い返してみるが心当たりが無い。不安交じりの疑問を抱いたままデイサービスへと向かう。虫喰い状態の過疎化の進む町の中とは違い今時の洒落た住宅が目立つ新興住宅地へと送迎車を進める。外壁も白やベージュなどの明るい色を使った家が多く周りの景色を賑やかに見せていた。茶色か鼠色などの暗い色の外壁しか見当たらない本町通りの古い町並みと対照的な色合いだ。向かうデイサービス大月は新興住宅地の外れに位置していた。