第八話 美穂なりのお礼
「散々な目に遭った……京介の野郎、もう少し加減しろっての…」
──まさかの美穂の方から蓮に対して直接話しかけてくるという事態が発生してから、数時間が経った。
今日ほど長く思えた一日は後にも先にもないだろうと蓮は直感で理解したが、それ以上に身体へと蓄積した疲労が凄まじすぎて現在の彼はほとんど満身創痍である。
こうなったのはひとえにあんな出来事があったから。そしてそこから波及して美穂との仲に関して余計な邪推をしてきた京介の手によって嬉々としながら追及を受けたからだ。
どうして美穂があれだけ親し気に蓮と会話をしていたのか。
彼女の言っていた昨夜のことというのは何なのか。
主にそういった内容について誤魔化しは許さないと言わんばかりの姿勢を維持しながら半ば誘導尋問にも等しかった時間を味わわされ続けた。
放課後となったこの時間になれば流石にその追及も途切れたが、そうなるまでは本当に延々と探りを入れられたので疲労感が半端なものではない。
最終的に何とか重要な点。主に美穂の家庭事情云々といったポイントだけは曖昧に濁すことに成功して有耶無耶にしてきたわけだが、そうやって対処できるのにも限界はいずれ訪れる。
あとは…強いてあげれば周囲の目が疲弊の要因か。
今更だが美穂はクラスだけに留まらず、一部の男子からは根強い人気を誇る少女。
そうなれば当然、注目度が高い同級生からいきなり親し気に語り掛けられた相手として周囲から蓮も意識を集められるということ。
まだ京介が隣にいたから何とかなったが、仮にあそこで蓮が一人でいたとしたら向けられた視線の数はさらに増大していたに違いない。
「とにかく今日は早いところ帰ろう…いくら何でも疲れたし、適当に寝て休んで──え?」
されどそれは全て過去の話。
根本的な問題が解決したわけではないがひとまずは針の筵とも言える学校から離れて帰路に着くことが出来たため、少しでも早く安心できる家に帰って休息を取りたい。
幸いにも自宅までの距離はさほど遠いものではなく、歩いて十分と少しもすれば辿り着ける距離。
なので少しずつ視界にも入ってきた家を確認すると進める足のスピードを速め、待ち遠しくすら思えた自宅にとっとと入ってしまおうと思い……そうする前に飛び込んできた視界を見て彼は驚きを露わにした。
「相坂くん! 待ってたよ~! かなり待っちゃった! でもこうやって会えたから結果オーライかな?」
「……待て、どうして鐘月がここにいるんだ」
突然彼の目に飛び込んできた景色は、本来ありえないはずのもの。
しかし現実はそのはつらつとした声とぴょんぴょんと飛び跳ねている彼女の姿が幻の類ではないと無情に伝えてくる。
端的に言ってしまえば、自宅の前にいるわけもない美穂の姿があったのだ。
ある意味今日の蓮が疲れる原因を作り出した相手でもあり、関わってから平穏な日々が崩れ始めたとも言える元凶。
学校ではあれから目立った接触も無かったので騒ぎは鳴りを潜めたのかとも思っていたが、そのような淡い期待を持たせてくれるほど甘い相手ではなかったらしい。
「え? だって私言ったでしょ? 相坂くんにちゃんと昨日のお礼をするって! そのために色々考えてたのに…学校だと話すタイミングが無かったんだもん。だったらこうやって会いに行くしかないよ!」
「…あのな、言ってやりたいことは山ほどあるがそもそも俺は昨日の礼なんていらないんだよ。あれは別に貸し借り目的でやったことでも無いし、鐘月が気にすることでも無い」
「…うん、それは前にも聞いたよ。つまるところ相坂くん自身はお礼が欲しいわけでも無いってことだよね」
「分かってるならその通りだ。だからお前が気を負うことは──」
「だからね、私も考えたの。相坂くんが必要ないって言ったとしても…私がお礼をしたいって思ってる。それなら相坂くんが気にする必要はないよね?」
「……えぇ」
…まるでその様子は、蓮のことを言いくるめられたことに喜びでも感じているかのよう。
背丈の低さとも相まって、無邪気な子供が悪戯に成功でもしたかのように彼の言葉を真正面から説き伏せてみせた。
要するに、先日の晩のことについて蓮が礼を望んでいないのなら自分が勝手にやるだけだということ。
強引にも程がある力技な解決法としか思えないが、発揮される効果は抜群だ。
何しろ蓮にとっても、あくまで自分が礼を受け取る立場だったからこそあのように言っておいたというのに彼女の側が自分からそうすることを望んでいるなどと告げられてしまえば拒否するための材料が消えてしまう。
「何でそこまで俺にこだわるんだか…そこまで執着される理由も無いだろうに」
「うーん……それは本当に説明が難しいんだけどね。もちろん昨日のことがあったからお礼がしたいっていうのはあるよ。でもそれだけじゃないというか…相坂くんのことは信用してるから、かな? だからこうやって気軽に話せるのかも!」
「…っ! …そんなことを軽々しく言うのは止めとけ。他の男子だったら勘違いされても知らないぞ」
「平気だよ。これでも男の人とはあんまり話さないし、こんなこと言うのは相坂くんくらいだもん」
「いや、だから……はぁ。言っても無駄か…」
…本当に、どうしてここまで懐かれたのかは謎だが美穂曰く彼女の認識下で蓮は信用に値する人物になったとのこと。
そう評価されたこと自体は素直に光栄であるがそれ以上にこうも付き纏われることになるなど思ってもみなかったため、嬉しさよりも疲労感が勝る。
「まぁそんなわけで、私が考えたお礼をするためにここまで来させてもらったってわけだね」
「あまりそれで納得はしたくないんだがな…で? とりあえず内容くらいは聞いておくが何をしてくれるつもりなんだよ」
「うん、それなんだけど最初は相坂くんのお願いに任せようかなって思って何でもいいって言ったんだけどね………あっ、あんまりえ、えっちなお願いは駄目だからね!? そ、それはいくら何でも恥ずかしいというか…」
「…そんな最低なこと言うつもりは毛頭ないから安心しろ。いいから話を進めてくれ」
「う、うん。それで何が一番いいかなって考えてて…こうするのが喜んでもらえるかなって思ったんだ」
「その内容っていうのは?」
話を聞く限り朝の爆弾発言から彼女も己の言葉の危険性には思い至ったらしく、自分が彼にどんなことを宣言していたのか理解したようで顔を赤らめながら禁止事項を語っていた。
が、そもそも蓮はそんな相手の弱みに付け込んで欲望の赴くままに要求するような真似などするつもりもないので彼女の考えは完全な杞憂である。
出来ることならもう少し早くその考えに辿り着いてほしかったというのが本音にはなるが、そこを論じても後の祭りなので今は隅に置いておく。
それよりも気になるのは肝心の礼の中身とやらの方。
……しかし、それもまた彼の想定を超えてくるものではあったが。
「結構迷ったけど、せっかくだし私は相坂くんのお家のお掃除をしてあげることに決めました!」
「──んん?」
至極あっさりとした口調で放たれてきた美穂の言うお礼の中身。
しかし何というか、その内情は…蓮であっても思わず首を捻ってしまうようなものとなっていた。




