第七話 何でもするということ
京介が登校してきてからホームルームまである程度余裕があったのでその後も雑談を交わし続けていたが、それもある時を境に一瞬会話のラリーが途絶える。
その瞬間というのは、不意に蓮が目を向けた先…教室の扉から唐突に姿を現した人物に起因している。
「……っ!」
「ん、どうした? 急にあっちの方を見たりして…おっ、鐘月さんか。今日もまたかなり見られてるみたいだな…」
「…だな。あんだけジロジロ視線を向けてたら向こうにも失礼だろうに」
流石に態度の変わりようがあからさま過ぎたからか、彼の変化を感じ取った京介も同じ方向に目をやり…そこにいる少女の姿を視界に捉えていた。
そう、蓮がいきなり会話を途絶えさせてしまったのは他でもない美穂が登校してきたから。
興味が無いと考えてはいても、まだ一日と経たないうちにあれだけの出来事を経験したともなれば少なからず意識も引っ張られてしまう。
だがその直後に彼が抱いた感情は決して色恋沙汰に満ちたようなものではなく、むしろそれとは真逆とも言える同情に近い心持ちであった。
「まぁあれだけ目立つスタイルをしてたら男ならどうしようもないことではあるだろうけどな。本人からすればたまったものじゃないだろうが」
「…それにしてはお前は見ないんだな」
「当たり前だ! 俺には愛すべき彼女がいるんだ! 他の女子にうつつを抜かすなど他のやつが認めようと俺自身が許せん!」
「納得した。…しかし、あいつも大変なんだな」
まだ彼女とは少し距離があるので聞こえてはいないと思うが、蓮が美穂に同情なんてしたのは先ほどから彼女へと向けられる数多の視線があったからだ。
教室に入ったその瞬間から美穂の高校生としては豊満に過ぎる胸部。あるいは実りすぎている臀部へと無遠慮に降り注がれる男どもからの視線が傍から眺めるだけでも実感できてしまう。
…確かに、彼女の高校生離れした身体つきは思わず目を引き寄せられてしまう魅力に溢れているのは分かるがそれはそれとしても同級生の身体を一点に見つめるというのは如何なものなのか。
当人の心境を思えば可哀そうなことこの上ないが、こればかりは声高に主張したところで意味なんてまるで発揮もしないだろう。
不幸中の幸いだったのは、今も尚彼の隣にいる友人の京介は彼女持ちとしてのプライドがあったからかさして気にも留めていないところくらいだ。
「ん、何だなんだ? もしや蓮、お前意外と鐘月さんみたいな子がタイプだったりするのか? 結構競争率激しいらしいから厳しいとは思うが…蓮がそう思うなら全力で俺は応援するぞ!」
「……まだ何も言ってないだろうが。そうじゃない。ただあいつも周りに見られてばっかりで大変そうだなって考えてただけだ」
「ちぇっ、なーんだ」
が、そうして美穂のことを視界に収めていたリアクションをどう解釈すればそうなるのか真面目に分からないが京介からは蓮が彼女に好意を抱いていると認識されたらしい。
もちろんそのようなことは微塵もないので即座に否定し、彼女に視線を向けていたのはあちらの境遇を改めて目の当たりにして美穂も美穂で苦労はあるのだという事実を再度確認していただけだ。
(鐘月も言ってたな…普段は男から見られてばかりだって。あの時は適当に流してたけど、こうして見ると苦労の方が多かったんだろうな。……まぁ、もう俺には関係のないことだ。あとは昨日のことを誰にも話さなければそれで終わり───ん?)
昨晩、会話の流れでサラッと語られていた彼女の言葉を思い返してその真意をようやく蓮も理解した。
これまでの美穂に対する印象としてはただ密かに人気を集めているクラスメイトであって、住む世界も何もかもが違う人間なんだと思っていた。
……けれど、この光景を見てしまうとその認識にも揺らぎが生まれる。
確かに美穂は男子から人気があるのだろう。
ただそれはアイドル的な注目度やマスコット的な愛らしさで視線を集めているというよりも、もっと生々しい…欲望の的として想いを寄せられているということだ。
全員がそうとは言わないが近づいてくる者の多くが見るのは彼女の中身よりもその外見であって、浅ましい欲を剥き出しにされながらも生活していく。
…そんなものは、心も休まらないしひたすらに窮屈なだけだ。
そう悟ったからこそ蓮も彼女の境遇に同情した。
しかしそれを理解しても彼に出来ることなど無く、そもそも学校では関わりなど見せていない美穂に大して目立ちもしない蓮が近づいていけば懐疑の目を集めるだけだ。
ゆえにこの場で彼が取る行動は何かをするでもなく京介との雑談を続けることのみ。
──されど、そんな淡い展望は長く続かなかった。
何故なら、ふと彼が視線を向けた先。
教室と廊下を隔てる扉の傍に立っていた美穂と蓮の視界が偶然か必然か、どういうわけかきょろきょろと何かを探すように視線を漂わせていた彼女とばっちりと合ってしまった。
すると美穂はこれまたどうしてか、ひどく嬉しそうに表情をパッと明るいものへと変貌させたかと思えば…非常に大きな声で語り掛けてくる。
「あっ、相坂くん! 昨日は本当にありがとうね! おかげさまであの後は上手くいったよ~!」
「ぶ…っ!?」
片手に鞄を抱きかかえながら、もう片方の手で興奮したように存在感をアピールしながらブンブンと腕を振って蓮に話しかけてきた美穂。
その声量は教室のそこらに響き渡るほど大きく、しかも名指しであるために人違いだととぼけることも出来ない。
そうしてそのままの勢いを維持して歩み寄ってきた彼女は瞳をキラキラと輝かせながら彼への感謝を伝えていく。
昨日とは態度がまるで異なり、多少なりとも落ち込んだ雰囲気を見せていたテンションからは別人とも思えてしまうがおそらくこちらの天真爛漫な面持ちこそが本来の彼女の姿なのだろう。
「もう本当に感謝しかないよ! この恩は絶対に絶対に返させてもらうから、楽しみにしててね!」
「お、おい鐘月…! ちょっとは声のボリュームを落とせ!」
「こんなに嬉しかったのは生まれてきて初めてだもん! あ、でもでも……」
ツカツカと近づいてきた後も興奮冷めやらぬ佇まいで矢継ぎ早にマシンガンの如く言葉を紡いでいき、あまりにも想定外な光景を前にさしもの京介でさえも呆然とした表情を露わにしている。
…しかし、このままではマズいことになってしまうのは想像に難くない。
ただでさえ美穂と蓮に関わりがあったことを知られれば面倒な事態になりかねないというのに、彼女の方からここまで親密な態度で近寄られてしまえば浅くない事情でもあったのかと邪推をされかねない。
ゆえに蓮もほとんど手遅れなことは理解していても何とか抵抗をしようとして…次の美穂の言葉によって、その思惑は全て無意味となる。
「昨日は夜遅くまで付き合ってもらっちゃったから…はふわぁ。ちょっと眠いんだぁ…ごめんね? こんな状態で」
「……馬鹿野郎」
──その瞬間、比喩も誇張も抜きに教室はどよめきに包まれた。
大した繋がりも接点も無かったはずの美穂と蓮の間で交わされたやり取りで、夜分遅くまでなんて発言が飛び出してしまえば…多感な高校生の想像力は掻き立てられること間違いなし。
事実、一体彼女と昨夜何をしていたのかと好奇心と注目が込められた視線が先ほどから蓮には突き刺さっている。
「あ、そうそう! 相坂くんのこと私はもうお友達だと思ってるから、恩返しの内容も遠慮しなくていいよ? お願いすることなら何でもしてあげるつもりだから!」
「…鐘月、もうほんと黙ってくれ…頼むから」
が、残念なことに教室内に爆弾を落とし続ける美穂の言動はまだ止まらない。
蓮が望むのであればお礼は何でもするという、リスクの高すぎる発言をしている自覚があるのか…いや、この分だとないのだろう。
余程昨晩のことを感謝してくれているのか、暴走気味にすら思えてきた彼女の言葉はようやくこれを以て一旦の収束を見せた。
「あ、もうこんな時間なんだね。それじゃあ相坂くん、また後でね! お礼の内容は私の方でも考えておくから!」
そう言うと、美穂は汚れなど何一つない清廉な笑顔を浮かべて彼の傍を離れていく。
美少女と言って差し支えないクラスメイトからそんな対応をされたことは素直に嬉しい。嬉しいのだが…あいにくそれを喜べるような状況ではない。
「……よし、俺は少し用事を思い出したからちょっと離れて…」
「まあまあ待てや、蓮。…詳しいこと、存分に聞かせてくれるよな?」
理解が追い付かない状況を前に呆然としていた同級生から好奇の目を向けられ続ける中、確実に面倒なことになると直感した蓮は早いところここから離脱すべきだと判断。
自身の意思に従って机を立とうとしたところで…それよりも早く京介からガシッと腕を掴まれたことでそれは叶わなくなった。
──その後、とてもいい笑顔を浮かべた友から徹底的に追及されたことは言及するまでもない。




