第六五話 急転直下な変貌
美穂の発言から思わぬ形で羞恥心を刺激されかけた蓮であったものの、そこは意地と根性で結論だけは濁して曖昧に流しておいた。
…しかし、それにしても美穂はどうしてあれだけ蓮の好みにこだわろうとするのか。
確かに好きな相手の趣味嗜好を参考に活用したいと思う心情は分からなくもないが、だとしても彼女の執着心が向かう先は未だに掴み切れない。
唯一判明していることは蓮への好意が溢れんばかりのもので、彼に向けられたアプローチが時折過激さを増したものとなるくらいなものである。
「予定だと…遊びに行くのは一週間後かぁ。えへへ…それまでにたくさん準備しておかないとね」
「準備か…そんなにやることも無いと思うけど。せいぜい荷物をまとめておくくらいじゃないか」
「そんなこと言っちゃって~! 蓮くんも心の中では私がどんな水着を着るか気になってるんじゃないの? …もし蓮くんが着て欲しいってお願いしてくれるなら、少し恥ずかしいけど…ちょっとくらいきわどい物でも私は構わないよ…?」
「…っ! 言わないから、そんなこと…安心しろ」
「む…っ」
そしてその態度は今になっても変わらず継続されている。
京介と琴葉の間で事前に取り決められたのだろうスケジュールとしては今日から約一週間後にプールのあるレジャー施設へと向かうことになっているので、少しずつ用意は進めれば十分間に合う。
…ただそうした最中で、まるで彼のことを揶揄うように──それでいてこちらの理性を溶かすかのように。
耳元で密かに囁かれながらも、辺りの静けさと相まって確実に響いてきた彼女の言葉は不思議と蠱惑的な色を持っているように思えてならない。
内容からして蓮を誘惑してきていることが丸わかりであり、それを聞かせてどうしたいのかは…あまり考えたくはない。
深掘りをしたが最後、予想だにしていないダメージを負う可能性も残っているため安易なことは口にしない方が無難なのだ。
「蓮くんは真面目だなぁ…こういう時くらい男の子の欲を丸裸にしても良いと思うのに。むしろそうするのが健全な男子高校生なのでは?」
「…少なくとも健全な男子は親しい女子相手に水着の所望なんてしないと思うぞ。きわどい類の物とか、以ての外だろ」
「お堅いねぇ…こーんな近くにおっぱいもお尻も大きな女の子がいてそれを見ようともしないなんて……まっ、当日は楽しみにしててよ! こうなったらうんとセクシーな物を用意して蓮くんをビックリさせて───……?」
「……どうした、美穂。いきなり固まったりして」
しかしそれをものともせずに美穂はむしろ調子を上げていくかのように自らの武器を強調していく。
その様子はまさに今度の外出を楽しみにしている風貌といった様子で、パッと見た言動は小悪魔的な悪戯心が見え透いているように思えるがその実期待値が高まっているだけなのだろう。
ならばここは蓮もあまり真面目に取り合いすぎず、理性だけは強く保つように意識してしばらくは美穂の好きなようにさせてやろうと思った。
──が、そう考えた直後に何故か唐突に動きをピタリと止めて今しがた自分が口にしたことを反芻し始めた彼女の動向が気にかかってしまった。
「……あれ? 今度私はプールに行く……ということは当然水着になる。それはいい。だけど、そうなると肌も晒すことになるよね………前に…おも……でも…たい………う、うん。大丈夫なはず。絶対大丈夫だとは思うけど……ね、念のために確認しておこうかな…?」
「…? 美穂、本当急にどうしたって言う──…」
「れ、蓮くん! ちょ、ちょっとだけここで待っててもらってもいい!? すぐに戻ってくるから!」
「え? あ、あぁ。それは構わないけど」
「…それとね、絶対に………ぜっったいに私が戻るまでこっちに来たら駄目だからね!? 約束して!!」
「……わ、分かったよ」
「…じゃあ、ちょっと行ってくるから」
さっきまでの楽しみな出来事への期待感に胸を膨らませていた様子からは一転。
ふとした拍子に何か重大な事実に気が付いてしまったようにぶつぶつと何やら小さな声で独り言をこぼし、声量が落とされていたので聞き取ることこそできなかったが余程のことでもあったのか。
これでもかと深刻そうな表情を浮かべ始めた美穂の顔つきは俯いてしまっているのでそれも判別が難しい。
もしや悩みごとの類でも浮かんできたのかと若干心配にもなったのでそれとなく声を掛けてみれば…これまた勢いよくソファを立ち上がった美穂の圧に押し負ける。
その小さな体躯のどこからそれほどまでの威圧感が出せるのかという疑問も多少湧き上がってきてしまったが、この時の蓮にはそんな些事を気にかける余裕もなくどういうわけか焦りさえ滲ませたように見える彼女の頼みを受け入れるので精いっぱい。
蓮の返答を聞くのとほぼ同時にリビングを出て行ってしまった美穂は足音の方角からして洗面所に向かったようだが、その意図は最後まで分からぬまま彼一人だけが取り残される。
…そこから美穂が戻ってきたのは数分後のこと。
「……戻ってきた」
訳も分からないままに蓮が一人で部屋に置いていかれた後。
美穂から絶対に自分の後ろをついてこないようにとのお達しを受けてしまったので律儀にその指令を守っているとそう時間も経たぬうちに彼女の足音が再びこちらに近づいてくる。
あの態度の変貌っぷりを見てしまえば否応にも気になってしまうのでこの数分間は他のことに集中することさえ出来なかったが、まぁ全ては美穂に尋ねれば解決すること。
それに彼女の深刻そうな雰囲気に呑まれて怖気づいてしまったが、こうして帰ってきたという事は抱えていた問題か何かも解決したと見て良いはず。
ならばあまりこちらから距離を置いて気遣うような反応をするのではなく、いつも通りの姿勢を心がけるのが無難であろう。
──直後にそのような考えなど木っ端微塵に消え去るのだが。
「おぉ、美穂。急に出て行ったりしてどうしたんだよ。なんか用事でもあった──…!?」
「………あ、うん。蓮くん……いきなり訳分からないことしたりしてごめんね? ……心配させちゃったよね」
「ちょ…っ! ど、どうしたんだよ美穂!」
「え…? …どうしたって、何が? あはは……私はいつも通りだよ?」
…扉を開け、数分ぶりに現れた美穂の姿。
蓮は可能な限りいつも通りの態度を心がけて話しかけようと思っていたものの。
しかしながら直接目の当たりにした彼女の、あまりにも変貌してしまっている雰囲気を見てしまえばそんなことも考えられなくなる。
何せ口調こそ何てことも無いように振る舞っているが、再び目にした美穂の笑みはどう見ても空元気なものだ。
発せられる言葉からも感情は枯れ切っており、普段は天真爛漫な輝きを放つ瞳も今は全く笑っていない。
纏う空気は悲壮感さえ漂っているように思える始末。
そんなところを見せられればいかに蓮と言えど心配になってしまうのは必然。
「いつも通りって…そんなわけないだろ。どこか体調不良にでもなったのか? なら少し休んで…」
「ううん、そうじゃないの。そうじゃなくて………これに関しては、蓮くんが心配するようなことでもないから…気にしなくていいよ。ありがとうね」
「だからってそんな状態は……」
「…じゃあ私、そろそろご飯の支度しちゃうから。そこで待ってて…」
「あ……美穂。本当に無理はするなよ!」
どこか焦燥しきっているようにも見える彼女の表情。
ただそれを気にかけて蓮が話しかけたところで美穂は聞く耳を持ってくれなかった。
まさしく柳に風といった状態で、会話は交わしてくれるが意見を聞き入れる気配はない。
そのまま料理の支度をすると彼女は言ってキッチンに向かってしまったが…足取りもふらふらとおぼつかないので何もなかったなんてことはありえないはずなのに。
だがそう言い聞かせたところで今の美穂をどうこう出来るとも思えない。
少なくとも蓮がああ言っても効果が無かったということは何を聞かせたとて無意味なのだろう。
…であれば、今の彼に出来ることは現在の美穂がうっかりとしたミスで怪我でも負わないように見守るくらいのものだ。
万が一の場合に備えて色々と対策を練っておくべきだろうが…それにしても、彼女の原因不明な変化に対して力になってやれない我が身を不甲斐なく思う。




