第六三話 想い合う仲とは
「そんじゃ京介、布団はこっちに適当に敷いておくからこれ使ってくれ。俺は自分の部屋で寝るから」
「おう、サンキュー! …それにしてもこうやって蓮と二人になると、途端に静かになるよなぁ…」
「仕方ないだろ。あっちはあっちで楽しんでるんだからこっちが邪魔するのは無粋ってものだ。…今頃二人で盛り上がってるんじゃないのか?」
「分かってはいるんだけどな…」
美穂と琴葉の間で突発的な予定が組み上げられた後。
あれからというものの、一度やるべきことが定まってしまえば行動に移すのは早い美穂の動きもあって素早く状況は進んでいった。
小耳に挟んだ情報によると無事に琴葉の親からも美穂の自宅に宿泊する許可が貰えたらしく、また美穂の両親──小春からも『お友達なら是非連れてきなさい!』と返答を貰えたようだ。
お互いの親という壁さえ突破してしまえば残すところは楽しむだけなので、早々に美穂の自宅へと向かった彼女たちを見送って…蓮と京介は男二人の時間に移行したわけだ。
今は夕食も済ませたのでそれぞれ風呂で入浴を終え、ラフな格好となってから来客用の寝具一式を京介のために取り出してリビングに広げていた。
これがあれば夜も寝苦しくなることは無いだろう。…多分。
少なくとも今、琴葉たちが去ってしまったことで妙な静けさで満たされているこの空間に文句を垂れている友人の言葉は…まともに取り合う必要もない。
「あぁそれと、お前の家にもさっき連絡は入れておいたからな。流石に無断で泊まりはマズいだろ」
「げっ!? …親はなんて?」
「『今日一日は申し訳ないけどよろしくお願いします。明日には帰るようにしっかり言っておきます』…だとさ。だから明日まで居座るのは無理ってことだ。残念だったな」
「はぁ…しゃあないな。ならせめて今日くらいは蓮の家で束の間の極楽を満喫しておくとしよう!」
そしてこれは余談でもあったが、先ほどの美穂たちのやり取りを眺めていてすっかり忘れかけていたが京介の家にも彼がここに泊まることは通達済みだ。
これを言っておかなければ下手をしたらあちらの家では子供が帰ってこないということで大騒ぎにもなりかねないので、こちらから報告しておこうと思い行動した結果である。
なお、そのことを話すために電話をした際…自分たちの息子が迷惑をかけてしまうことを延々と謝罪されてしまったのは蓮もひどく居心地が悪かった。
向こうも京介の自由奔放さに振り回されて大変だろうに、それでも巻き込まれた側である蓮への心配と気遣いまでしてくれるきちんとした大人だ。
…本当に、あんなしっかりとした人たちからどうすれば京介のような性格が育つのだろうかと心底疑問に思う。
ある種の反骨精神だと言われてしまえばそれまでだが彼も一応は少なからず交流を持っている身であるため、京介の両親は目立った非もない誠実な相手であることはよく知っている。
まぁこの辺りの判断基準は身内かそうでないかの差があるのだろう。
いくら周りから立派に見えていようとも、気を緩めれば一人の人間に過ぎない。
プライベートな時間を多く過ごす身内だからこそ見えてくる姿というのも当然あるわけで、それらを加味していけば不思議なことでも納得のできる事情があったりするのだ。
「まっ、その辺りのことは京介に任せるさ。俺は関係ないし…そろそろ寝るとするかな──」
「……おぉっと。ちょっと待ってくださいな蓮君や」
「…何だよ、いきなり気色悪い口調になりやがって」
しかしそういったことは部外者でしかない蓮には関係なき事。
後々叱られるとしても説教を食らうとしても、全ては京介が招いた事柄でありまた自業自得としか思えないので余計に干渉するつもりも無かった。
なのでここも早々に、面倒ごとに巻き込まれるのは御免だとさりげなく立ち去ろうとしたところで…肩を思いきり掴まれたことで止められた歩みと鳥肌が立ちそうな口調となった京介の呼びかけに返事をした。
口調からしてろくでもないことを企んでいるのはほとんど確定しているものの、露骨に無視をすると追々面倒なことになりかねないので一応ここは大人しく話を聞いてみよう。
「何だよじゃないだろ? 男二人で泊まりをしてるんだ…こうなったら夜通し話し込むしかないに決まってる!」
「そんな決まりを俺は知らないんだが…それに夜通しなんて勘弁だ。お前相手じゃいくら時間があっても足りたもんじゃない」
「はっはっは! まぁそれでも少しくらいは話そうぜ。せっかくここまで来てあとは寝るだけなんて寂しいし、それに一つ伝えておきたいこともあったしな」
「ん…? …そんなら、少しだけな」
「よっしゃ!」
するとあちらから語られたのはさして重要性の高い事項でもなく、ただ単にこの貴重な機会を惰性で終わらせてしまうのがもったいないという理由から雑談でもしようとの誘いだ。
もちろん蓮の本音を語ればそんなものさっさと断ってしまって就寝にありつきたいところではあったが…そんな中で一言、京介の伝えたいこととやらが引っ掛かる。
雑談はどうでもよいがそれだけ気になってしまったため、適当にその点を聞き出せたら眠ればよいかと軽く考えて彼も話をする姿勢に移行した。
「さてさて…じゃあいきなりだが、お前と鐘月さんの近況について聞かせてもらおうか!」
「…お前も諦めが悪いことで。まだその話続いてたのか」
「当然! つーか今日の光景を見てたら聞かないわけにもいかないだろ! …何しろ久しぶりに会ったと思ったらそっちの距離がどう見ても縮まってるんだぜ? 気にならない方が嘘ってもんだ」
「そんな縮まってる…というか距離感なんて見ただけで判別できるものとも思えないんだが。何を見て判断してるんだよ」
が、そう身構えたところで投げかけられる話題などほとんど察していた。
蓮の予想に違わず、今日この友が来ると聞いていた時点で尋ねられるとは思っていた…美穂との間柄に関しての問いを投げかけられたのだった。
しかし京介の言葉から考えるとまるで彼らの変化などお見通しといった感じであるが、そこまで明確に他人の距離感の差異など感じ取れるものだろうか。
彼がそのような疑問を抱えかけたところで、しかしそんな疑念は京介に一切通用しないらしい。
「おいおい…まさか本当に自覚してなかったのかよ。んなもん言わなくても、鐘月さんの態度を見てたら明らかだっての!」
「……美穂の?」
「そうだよ。いつ見ても、どこから見ても常に視線は蓮の方に向いてるし…それにあの嬉しそうな表情! …ぶっちゃけ前々からそうじゃないかとは思ってたが、あれは完全に好意的な目だろ」
「…っ!」
「あんなに分かりやすいとわざわざ言及するのも無粋だと思ったがな。蓮も何となくは分かってただろうに」
「……まぁ、な。そりゃ少しくらいは…察してるところもあったけども」
──そうして京介から次々に暴かれてきたのは、美穂と蓮を取り巻く環境。
その核心にほとんど近づいた内容とほぼ同義であった。
どうやら彼は先ほどまで見ていた光景から美穂が抱いている好意の感情を見抜いたようで、それがはっきりと蓮に向けられていることも現時点で認識していた様子。
強いて言えば既に彼女の好意は彼に明かされたものであって、その上でアプローチを仕掛けられている状況については流石にまだ思い至っていないようだがそれを抜きにしてもこの観察力は見事と言う他ない。
一体どれだけこちらの動向を観察していたのだと思いそうになるが、もしかすれば京介の言う通り美穂の態度が分かりやすかっただけの可能性もある。
事実、蓮への想いを明確にしてから彼女は自身の思いの丈をあえて隠そうとはしていないので分かる者には分かるのだろう。
当然ながら、意図的に吹聴して回ろうとしているつもりでも無いとは思うが。
「おぉそうか! それでそれで…蓮の方はどうなんだよ! あそこまで分かりやすく好意を示してくれる女子がいるんだからそっちも意識に変化はあったのか?」
「……いや、多分まだそれはない。分からないって言った方が正しいかもだけど」
「分からない…? また随分と曖昧な回答だな」
そしてそうなれば次に問われるのは蓮の方の心情であることは容易に想像できること。
感情の矛先である蓮本人としては実感も薄いが京介が言うには美穂から溢れ出る感情の大きさは相当なものらしい。
ゆえにこそ、その想いを一身に与えられて、以前はそれほど彼女のことを意識していないと答えた頃から変化はあったのかと。
おそらく質問の意図としてはそんなことを尋ねられていると考え、少し自分の意識を振り返ってもみたが…その答えは『まだ分からない』の一言に尽きる。
というよりも、そうとしか答えられないのだ。
答え方が少々杜撰になってしまったからか京介は怪訝な面持ちとなっていたものの、それ以外に上手い切り返しは思いつかない。
「これ以外に無いんだよ。…実際、京介が言うように美穂が俺のことを…まぁ好意的に見てくれてるってのは流石に理解してる。だけどこっちとしては、まだ明確にあっちのことを好きと言えるかどうかは曖昧なところなんだ」
「ふむ…つまり蓮も鐘月さんを嫌ってるわけではないってことでいいよな?」
「それはない。…とはいっても、しっかり答えを出せてない時点で最低なことに変わりはないけどさ」
これまで様々な過程を経て今に至っている美穂との共同生活。
その中で彼の心象にも多くの変化はあったが、それでも依然として美穂に異性としての好意的感情を抱いたかと問われればまた違うように感じられる。
友人としてならもちろん美穂のことは好ましいと断言できる。
以前に彼女が蓮の過去を聞き、その上で彼の価値を認めてくれたことから蓮の中でも美穂は信頼を置ける相手として認識されたのだから。
だがそれが友人知人という範疇を飛び越え、異性というフィルターを通して見るのならその境界線はひどく曖昧になってしまう。
果たして自分が彼女のことを好きだと自信をもって言えるのか。これが単なる目先の欲に振り回されただけの感情ではないのかという思考が真っ先に浮かんでしまう。
…既に彼への想いを明確に告げ、それを十全以上に振りまいてくれている美穂と向き合うにはあまりにも不誠実な態度であることも同時に強く自覚しながら。
そうした事情もあって京介には若干項垂れたテンションで返事をしたが…そこへのリアクションは思っていたよりも静かなものだった。
「いんや、別にそうでもないんじゃないか?」
「え?」
「あくまで俺も蓮の言い分を聞いただけだから何とも言えんが、それってつまるところはお前も鐘月さんとのことに関しては真剣に悩んでるからこそ出る意見だろ?」
「……そう、言えなくもないか」
「だったら今の段階はそれでもいいと思うぞ。もちろん向こうの態度に甘えすぎるのは問題だろうけど、だからと言って何も考えずに勢いだけで突っ走るのは蓮らしくもないし。そうやって考えられるのは真面目に鐘月さんと向き合おうとしてることの裏返しってことだ」
「…っ」
…正直な話、いつまでもこんな対応が続けられるとは蓮自身も思っていない。
今の時点で美穂が彼への好意を明らかとした以上はこちらもいつの日かは何らかの結論を出さなければいけないし、先延ばしにするのも彼女に失礼でしかない。
だから自分は美穂のことをどう思っているのかを結論付けようとするあまり、内心で対処のしようもない焦りが蓄積してしまっていた。
──それでも京介が告げてきた、客観的で冷静な意見は今の彼に深く突き刺さった気がした。
何もかもが焦れば良いというわけではない。無論、手間暇をかけすぎることも良いとは言えないが要は自分たちにとって納得のできる時期を見つけるのが最も重要なのだと。
思いがけないところから広い視野を打ち込んできた京介の発言に、蓮も無意識に目を丸くして呆気に取られてしまった。
「まぁ要するに、蓮も考えすぎんなってことさ! 悩むことが悪いとは言わないけど深読みしすぎたせいで鐘月さんのことを見落としてたら意味ないぞ!」
「……お前、偶にいいこと言うよな」
「なんだ、今更気が付いたのか? これでも俺は普段から思考をフル回転させているからな──…え、ちょっと待って。今偶にとか言ったよな?」
まさかこの友人からこれほど深い意見が貰えるとは夢にも思っていなかったので心底驚かされるも、言われてみればその通りとしか思えない。
結果を焦るばかりで過程を軽視していれば碌な結末にはならない。
かつての冷静な蓮であれば意識せずともそのように考えられたはずなのに、いつの間にかその考え方すら欠けてしまうほどに彼の視界は狭まっていた。
…よもや京介の言葉に気づかされる日が来るとは思ってもいなかったが、こうして改めて話していると意外にも細かいところまで見ている男だと思わされる。
「……ま、それはいいや。それよりんなことなら尚更これを提案しないわけにはいかなくなったな!」
「何の話だ?」
「さっきもちょろっと話したことではあるぞ。ほれ、蓮にも一つだけ伝えておきたいことがあるって言ったろ?」
「言ってたな。その中身を教えてくれるとでも言うつもりか?」
「そんなところだ。どっちかと言うと報告より誘いって感じだが」
──と、そんな様々な思いが入り混じった談笑が一区切りを迎えたところで突然京介から新たな話題が降られてくる。
それは先ほども少しだけ触れられていた事項の一つ。
この雑談とはまた別に、伝えたいことがあると内容は不明瞭なまま流されていた話題である。
どうやらここまで来てその全容を教えられるらしく、向こうが言うには正確な言い回しだと何かしらの誘いとのことだが…それが何かと問う前に話は続けられる。
「ぶっちゃけこっちのことはいつ切り出そうか迷ってたんだけどさ。今俺たちって夏休み真っ最中じゃんか」
「その通りだな。…もうすぐで八月も上旬が終わりか」
「そう、そうなんだよ! 俺が言いたいのはまさにそこなんだが…結論から言うと今度どこかに遊びに行かないかって話になる!」
「遊びに? …それは別にいいけど、何するんだよ」
ただこの仰々しい前振りとは対照的にその中身は大したものがあるわけでもない。
簡潔にまとめてしまえば高校生活の夏休みという貴重な時間だというのに、今日に至るまで全く計画が立てられていなかったのでどこかに行かないかという誘いであった。
誘う段階からして勢い任せな雰囲気が感じられるのは実に京介らしいとも言える。
しかしさらに話を深掘りしていくと、話の中身はそこまで無計画というわけでも無いらしく………。
「それについてはもう決めてある! この夏という時期なんだ…ここは盛大にプールにでも行こうじゃねぇか!」
「プール…それってあれか? あの駅近くにある場所」
「この近くで行ける場所はあそこくらいしかないからな。それで間違いない!」
「なるほど。そりゃいいけども…」
「ん、どうした。不満でもあったら聞くぞ?」
…高らかに宣言された声が全てを物語っているが、彼の言う目的地とやら。
プールという夏らしさが全開に溢れた単語から大体の内容は理解も出来た。
今蓮たちのいる地点からいくつか駅を乗り継いでいく必要はあるが、比較的近場にそれなりの規模を誇る夏場にうってつけのレジャー施設があるのだ。
毎年この時期になると人混みで溢れかえることは蓮も知っていたため、おそらくその場所のことを言っているのだろうと確認してみれば予想的中。
そういうことなら文句もない。プールに赴くというのなら蓮も賛成だ。
けれどもそれ以外に懸念してしまう事柄が彼にはあり、というのも………。
「不満というか…男二人でプールっていうのも何だかあれだと思ってな。別に構わないし文句も無いけど、少しむさ苦しく思えてきそうって感じがしてくるんだよ」
「……ふっ、何だそんなことか。…蓮、俺がその程度のことを考えてないとでも思ったのか?」
「……どういうことだよ」
…蓮と京介。男だけで夏場のプールに向かうのもどうかと思っただけだ。
もちろんそれはそれで満喫できるとも思うが、絵面的に考えると男子のみで水場に行くのはどことなく暑苦しい。
ただでさえ蒸し暑いこの季節にそれは如何なものかと一瞬考えてしまったが故の反応である。
──しかし、それを受けた京介は怯むどころか得意げに意味深な笑い声を上げるばかり。
とうとう気でも狂ったかと不気味にさえ思えてきた蓮であったが、そう思うよりも早く放たれてきた事実は…彼を驚かせるのに十分すぎた。
「これは蓮を驚かせようとまだ言ってなかったことだがな。…実は、その日は琴葉とも一緒に行こうと思って向こうも誘ってあるんだ」
「…? それのどこが驚く話なんだよ。天宮が来るくらいなら俺も気にしないっての。好きにしろよ」
「違う! 本題はそこじゃなくって…これは琴葉にも既に頼んだことだけど、その日は鐘月さんも来てもらえるように誘ってもらった!」
「……っ!?」
…そこで伝えられてきた、新たな真実。
京介が恋人である琴葉をプールへと付き添いとして誘うのは何もおかしくないのでそれのどこが驚くに値することなのかと構えていれば…本題はそれに付随した話の方。
曰く…何と京介は蓮も与り知らぬ場所で琴葉を介し、プールへの誘い相手の一人として美穂を先んじて選んでいたらしい。
「ふふふ…どうだ? 好きな相手が水着姿になってくれる上にプールという開放的な場所で遊ぶことが出来る…これでむさ苦しいなんてもう言えないだろ!」
「……お前って野郎は。そんな大切なことは前もって言っておけよ…」
「はっはっはっは!! 照れなくてもいいんだぜ? まぁ鐘月さんが来るかどうかは返答次第だから何とも言えんが…今から期待しててもいいぞ? なんたってあの人の水着姿だ。少しくらい想像しても罰は当たらんだろうさ!」
「…マジで黙れ。それ以上喋るな」
「急に酷っ!?」
そこからは、調子の乗り始めた京介の独壇場だ。
自分が成し遂げた功績の莫大さを誇るかのように声を張り上げ、肩に手を回してこれでもかとドヤ顔をかましながら伝えてくる彼の言葉には…どうしてか無性に腹が立ってくる。
確かに、美穂がやってくるとなれば蓮の期待値もまるで変わってくることは認めるしかない。
何せ、ただでさえ抜群のプロポーションを有し日常生活でもそれを惜しげもなくアピールしてくる彼女がさらに肌面積を広く晒すことになる水着など着てしまえば、それだけでとてつもない魅力と周囲の視線を独占することは間違いないのだから。
ただそれでも、そのことを他人の口から…たとえ相手が京介だったとしても触れられるのはあまり面白くない。
さっきまではあれだけ頼りになる意見を提供してくれていたというのに、少し時間が経ってしまえばこれなのだ。
結局、どこまでいっても京介は京介なのだという事実をこんな形で再確認させられながら──呆れた心境となった蓮はにべもなく友人と軽口を叩き合う。
そうしてそのまま…夜は更けていった。




