第四九話 完璧な笑みと不機嫌さ
「──わっ、蓮くん! 待たせちゃってごめんね? 少し手を洗う場所が混んでて…時間がかかっちゃったよ」
「…! み、美穂?」
「うふふ…席に戻ってきたら蓮くんがいないんだもん。それで探してたらこんなところにいるし…そっちの人たちはどちら様かな? もしかしてお知り合い?」
「へ、へ…?」
逆ナンというある意味で貴重な経験の真っただ中にあった蓮。
しかしこのままのペースに飲み込まれてしまえばあまり歓迎は出来ない状況になるだろうことは明白。
なのでどうにかこうにか言い方を工夫して断ろうとしていたわけだが…そんな折。
突如として蓮の真横から響いてきた聞き慣れた声と、彼の腕を挟み込むようにして伝わってきた柔らかな感触と共に場の空気は一変する。
今まで蓮に向けて語り掛けていた女性らの方をにこやかに見つめながら、しかしその瞳の奥には…一切の笑みを消し去っているようにも思える美穂。
浮かべられた表情は朗らかなもののはずで、発せられる声色とて明るいものだというのに。
何故だか背筋が凍りそうな寒気を放っているように思えてならない彼女の存在は目の前の女性たちをもってしても耐えられるものではなかったらしい。
「だったらごめんなさい。蓮くんは今日、私と一緒に遊ぶ予定なので…他の人と回るつもりは無いんです。…それでいいですよね?」
「は、はいっ!? だ、大丈夫です…」
「う、うん……こちらこそ、呼び止めたりしてごめんね…?」
「そうですか。じゃあ蓮くん、行こっ!」
「あ、あぁ…」
言葉の節々から逆らうことなど出来るはずもない圧を掛けていた美穂の態度。
その中でも『私と』という単語を強く強調しており、さらに自分の所有権をこれでもかとアピールするかのように彼の腕を胸に沈めながら否を言わせずその場を収めてしまった。
…気が付いた時には場の雰囲気が美穂の手によって支配され、突然現れてきたにも関わらず向こうも反論する意思は削がれてしまった様子。
決してあちらの見た目や容姿も劣っていたわけではない。むしろ客観的に見れば美人な女性に蓮は声を掛けられていたのだろう。
だが、それを考慮したとしても…彼の隣に立つ少女はまた別格なのだ。
幼さを感じさせながらも確かな魅力を秘めた美少女と言って差し支えない美穂の立ち振る舞い。
小さな背丈に反して暴力的な魅惑さを体現し、それでいて端正な容姿を誇るとなれば誰であろうと対峙した暁には萎縮してしまう。
それはあの女性らも例外ではなく、有無を言わせない圧力を全開にした彼女を前にしてしまえば断ることなど出来るはずも無し。
グイグイと腕を引っ張られながら半ば連行でもされるかのような様相になりながらも…二人はこの場を後にするのであった。
「……美穂? ど、どこまで行くんだ?」
「………」
ズンズンと迷う素振りさえ無く突き進んできた蓮と美穂であったがその道中に目立った会話はなく。
何度か蓮の方から声を掛けるもそれすら返事が返ってくることはゼロで、心なしか不機嫌さを表に出す今の彼女に何を言って良いのかも分からぬところ。
今の美穂は彼の腕を抱きしめるような体勢で移動してきているため、その胸が思い切り当たってもいるのだが…それを指摘できるような雰囲気でもない。
先ほどからずっとこのような調子だ。どのようにしたらよいのかも謎なまま。
ただ、しばらくして進んできた場所にやってきたところでピタリと彼らの歩みは止まる。
「……蓮くん、一つ聞きたいことがあります」
「な、何だ?」
どことなく居心地の悪い時間からようやっと解放されたかと思えば、まるでそのようなことはなく投げかけられる言葉は問いかけの類。
未だ維持されている美穂の仏頂面を前にしてしまえば断ることなんてできるはずもないのでここは素直に応じておくのが吉か。
「今日、蓮くんは誰とここに来てたのかな?」
「それは…美穂と、だけど」
「そうだよね? でもさっき蓮くんがお話してた人は……誰なの?」
…が、そう判断した直後に蓮も自分の安易な考えを軽く後悔するくらいには美穂から発せられる圧が凄まじい。
見るからに不機嫌だというのが伝わってくる表情と膨らませられた頬からは、今の彼女が抱える感情がありありと分かってしまったから。
しかし蓮としてもあの女性らに関しては完全に想定外のものであったことは明言しておかなければと思った。
「い、いや…あの人らは俺もよく知らないんだよ。なんかいきなり話しかけられて無碍にも出来ないから対応はしてたけども…というか。俺としては美穂があそこで来てくれた方が驚きだったぞ?」
「……私は、手を洗い終わって戻ってきたら席にいなかったから探してたの! それでやっと見つけられたと思ったら…蓮くんが女の人に言い寄られてるんだもん! 焦ったよ!」
「………言い寄られてた?」
しかしこちらの言い分を口にしたところであちらの態度が変わるようなことは無く、ついでに聞き出せた彼女の経緯としても…そこまで大それたことは無い。
美穂曰く、彼女が手洗いをするために立ち去ってから戻ってくるまでさほどの時間はかからなかったらしい。
なので早々に蓮が待っているだろう席に意気揚々と戻って行けば…そこに彼の姿は微塵もあらず。
慌てて辺りを探し始めたところ、見たことも無い女性二人に蓮が囲まれている状況を目撃して瞬時に現状を把握。
彼がナンパをされているのだということを理解して半ば無理やり割り込んできた…というわけだ。
経緯は理解した。何故あのタイミングで彼女がやってきてくれたのかも分かった。
ただ美穂の口にしていた一点だけ。
何気なく放たれてきた一言だけは、さしもの蓮も首を傾げざるを得ない。
「それはないだろ。あの人たちだって単に適当な遊び相手を探してただけだろうし、俺を目当てにしてきたなんてことはないはずだ」
「……はぁ~…! 本人に自覚がないのが一番厄介だね。…それに、私がいない間を狙って蓮くんに近づく相手にも見せつけておかないと……」
「何だよ、そんなデカい溜め息吐いたりして」
「…主に蓮くんのせいだからね? こんなに私が苦悩してるのは…」
が、彼がそう口にすれば彼女が取るリアクションは心底呆れたような特大の溜め息。
痛む頭を押さえるかのように掌を額に添え、眼前の彼を見つめる美穂が告げてくる言葉は…その意味も分からないものばかり。
蓮の認識ではこんな地味な自分に言い寄ってくる相手などいるわけもないのだから、それは単なる勘違いであると説明をしたかったのだが、そもそもこの考えが間違っているなんてことには思い至れなかったのだ。
「いい? 多分気が付いてないみたいだけど今の蓮くんは目元まで見えて爽やかな雰囲気が増してるから余計格好良く見えてるの! もちろんいつも格好いいのは百も承知だけど…それが周りの人にも伝わりやすくなってるってこと!」
「俺が格好いいって評価受けるとか世も末だぞ」
「静かに! そんなだから、あの人たちも蓮くん目当てに話しかけてきたんだよ。…でもね、今日蓮くんと遊びに来てるのは誰?」
「…美穂です」
「そうでしょ? なのにいきなり話しかけてきた女の人にばっかりデレデレしてたら…私も胸がモヤモヤしちゃうんだよ」
「言っていることが分かるような、分からないような…」
ムスッとした面持ちは崩さず彼に言い聞かせるように言葉を重ねてくる美穂。
しかしその内容は大半が蓮からしてみれば納得が出来ないもので、心から理解することも難しいものばかり。
大前提として蓮があの女性らからナンパをされていたのだとしても、彼が世間から容姿が整っているなどという評価を与えられるのが間違いだと考えているくらいだ。
…まぁ、この辺りは彼の私生活の過ごし方も関係してきているが。
今でこそ目元を晒してその端正と言って差し支えない素顔を周囲に見せている伝であるが、日頃は少し長めの前髪によって隠されているために地味なイメージが先行してしまう。
自然と彼が自身に抱く印象もそれに似通ったものとなってしまい、今となっては揺るがぬ自己評価として定着している。
いくら美穂から言われたことであってもこの価値観をすぐにアップデートするのは容易なことではない。
しかしそうだとしても、彼の言い分を彼女が悠長に聞き入るかと問われればそれはまた別の話だ。
「とにかく! …今の蓮くんはそっちが思ってる以上に他の人からみられてるってこと! けどこのままじゃまた同じようなことになりかねないから…こうします!」
「ん…? こうするって、一体何をどうするつもり──ッ!?」
蓮が思っていた以上にこの状況を重く捉えていたらしい美穂から告げられたのはまたもや要領を得ない答えではあったものの、それと同時に対処策らしきものを実行すると宣言された。
一体どんなことをしてくるのかと若干気を抜きながら様子を見守っていれば…突如として、彼の手をその小さな掌で握りしめてきた彼女の言動に意表を突かれてしまう。
「私を不安にさせたお仕置きとして、次の場所に行くまで蓮くんは私と手を繋ぐことを命じます! 拒否権は無いからね!」
「だ、だとしてもこれは流石にやり過ぎじゃ…」
「ううん、むしろこのくらいしておかないと駄目。…じゃないと、他の泥棒猫にいつ蓮くんを狙われるか分かったものじゃないんだから。全く…人の物を奪おうとする子にはしっかり見せつけて付け入る隙なんて無いって理解してもらわないとね……」
「…何か言ったか?」
「何でもないよ? さっ、それじゃあもうそろそろイルカのショーも始まるだろうから移動しよ!」
彼の片手から伝わってくる彼女の小さな手。
そこで嫌でも実感できてしまう美穂の掌の柔らかさと…普段の頼もしさとは裏腹に、少しでも力を込めてしまえば折れてしまいそうな細さが保たれた腕。
動揺が表に出てきたのか一瞬蓮の声を震えかけたが、向こうも引くつもりは一切無いようだ。
…それと、やり取りの最中で何やらぶつぶつといった独り言と共にどこか恐ろしい冷気さえ漂わせたような美穂の様子が垣間見えた気がするが、詳しい内容に関しては恐ろしい空気を察知したので聞かなかったこととした。
見え透いた地雷を踏みぬく阿保はいないということだ。
過程はどうあれ、しっかりと握りしめられた彼らの手。
美穂に引かれる形で得た繋がりから感じられる温もりと、その柔らかな感触は…どことなく、蓮の心臓の鼓動を早めていたような気がした。




