第四〇話 不要な謝罪
「あ、あの…ちょっとだけ待ってください。…本当にあなたが、鐘月……美穂の母親なんですか?」
「はい、そうですよ~? 美穂の母親の、鐘月小春と申します。うちの子がお世話になっているみたいなので…今日は少しご挨拶に伺いました」
「そ、それはまぁいいですけども。…なぁ」
やってきた人物が美穂の母であったという衝撃的な事実を聞かされた直後。
驚きで満たされていた美穂と、蓮もまた動揺することは避けられなかったが何とか平静を取り戻すと質問を重ねる。
当然内容は本当にこの人が美穂の母なのかという確認だったが…その答えは淀みもない肯定。
ここに来た目的についても、自分の娘が他所の家に入り浸っているので諸々の話も含めた挨拶をしに来たという常識的なものだ。
…ただ、一点だけどうしても納得できていない部分が残っているので横にいた美穂にそれとなく視線を送ればこっちが言いたいことは伝わったらしい。
「わ、私何も聞いてないよ!? お母さんが来るなんて連絡も貰ってなかったし、ここに来る前だって何も言われてなかったのに…」
「それはそうよ? だって誰にも言わずにここに来たんだし、二人には驚いてもらいたかったから内緒で来たんだもの!」
「…あ、そうですか」
そう、蓮が気になっていたのは内容云々よりもどうして今ここに美穂の母、小春がいるのかという点。
事前にそれらしい報告も聞いていなかったので情報の行き違いでもあったのかと思われたが…聞いてみればもっと単純に、こちらを驚かせようという意図から突然の来訪をしてきたとのことだ。
…そしてその言葉を聞いて、このふとした思いつきから突っ走ってくる行動力は間違いなく美穂の母だという確信を得てしまったのは何とも悲しい悟りだった。
「えっと、じゃあ…とりあえず家に上がって行かれますか? ここだと人の目もありますし、そっちの方が落ち着いて話せると思うので」
「えぇ、案内してもらってもいいかしら?」
「はい。…ほら鐘月も、驚くのは分かるけど部屋に行くぞ」
「……うん」
どちらにせよそういう事なら突き返すことは出来ず、向こうも今の彼らの現状…高校生の男女が同じ家で過ごしているという状態に言いたいことでもあったのかもしれない。
前に貰った手紙経由で美穂の両親がこの状況を許容しているのは分かっていたが、それでも思うところがあっても不思議ではない。
だったら今回の訪問はそこについて踏み込まれることもあるかと思い至り、蓮は母の行動力に圧倒されたらしい美穂に声を掛けながら部屋に入っていった。
「どうぞ。とはいってもただの麦茶ですけど」
「ありがたく頂かせてもらうわ。うん、美味しいわね!」
「それなら良かったです。…あの、それと今まで本当にすみませんでした」
「……相坂くん? どうして急に謝るの?」
小春をリビングへと案内してから簡単ではあるが茶を提供し、場が落ち着いたところで蓮は…先手必勝と言わんばかりに軽く頭を下げて謝罪を行った。
そんな彼の行動を見て意図が掴めなかったらしい美穂からは疑問が投げかけられ、正面に向き合っていた小春もまたわずかに目を見開いていたがこればかりは適当に済ませるわけにもいかない。
「…いや、今まで俺は鐘月に家事なんかの労働を押し付けてたんだ。それが認められたことだったとしても、その事実は変わらない。向こうからしたら、自分の子供がそんなことをさせられてるなんて歓迎することじゃないだろ。だから…これはその謝罪だよ」
「……うぅん、相変わらず真面目というか。こういうところは相坂くんも頑固だよねぇ…でもそんなのいらないと思うよ? ね、お母さん?」
「そうねぇ…先に相坂さんに言っておくと、別に私は美穂がここにいることを怒るつもりはないわ」
「え…そうなんですか?」
「えぇ。もちろん美穂からきちんと話を聞いて、相坂さんが信用できる相手だっていうことを理解した上で認めたことではあるけれどね?」
だがそうして頭を下げた蓮の予想に反し、向こうのリアクションは何とも拍子抜けしてしまうほどにあっさりとしている。
それどころか推測とは裏腹に、小春からの返答は美穂の滞在自体を責めるつもりはないというものですらあった。
「それに聞いたけれど、前に美穂が家を出て行ってしまった時にアドバイスをしてくれたんでしょう? それだけじゃなくてこのお家で休ませてくれたとも聞いたわよ?」
「大したことはしていませんよ。あの時は自分も無我夢中だっただけなので…」
「だから私も相坂さんを信じる気になったのよ。この人なら美穂を任せても大丈夫だ…ってね!」
「はぁ…そんなものですかね?」
話を聞いた限りでは想像以上に蓮は向こうの身内から信頼を勝ち取っていたらしい。
一度も会ったことさえない人間に対してそのような対応で大丈夫なのかと思わなくもないが、張本人にとっては問題もないのだろう。
「じゃ、じゃあ…今日はどうしてここに? てっきり鐘月さんが……」
「鐘月、だと私か美穂の事なのか分からないわよ? 小春でいいから、そう呼んでちょうだい!」
「いえ、流石にそれは失礼では……」
「名前で呼んでくれていいのよ?」
「だからそれは……」
「こ・は・る! …はい、リピートアフターミー?」
「………小春さんで」
「はい、よろしい!」
……しかしその会話の途中、いきなり蓮へと自分の名前を呼ぶことを要求してきた小春。
けれどいくら何でも初めて会ったばかりの、それも友人の母を名前で呼ぶというのは馴れ馴れしすぎるので遠慮しようとする。
が、それは許されず有無を言わせない雰囲気でこちらが折れる他なくなった。
このごり押しで蓮の意見をねじ伏せてくる戦法。
どこかでやられた覚えがあるとも思ったが…言うまでもなく、過去に今も彼の隣にいる美穂が仕掛けてきた手法だ。
…親子だからと言ってそんなところまで似る必要はないと思うが、思っていた以上に子供っぽさと無邪気さを兼ね備えた女性らしい。
「……それで、てっきり自分は小春さんに叱られるものだと思っていたんですが違ったんですかね」
「違うわよ? 最初にも言ったと思うけど今日は美穂がよく話してくれてた相坂さんがどんな人か見てみたかったのと、迷惑をかけていないかの確認をしておきたかったの。急な訪問になったのはごめんなさいね?」
「な、なるほど……」
次々と意外な面を見せつけてくる小春の性格には圧倒されていくものの、順序立てて聞いていけば大体の流れは理解出来てきた。
つまり小春は今日、特段娘である美穂のことを生意気にも独占している愚かな男子高校生への制裁を加えに来たわけでも無い。
訪れた目的は本当に言葉通り蓮に挨拶をするためだということで、もっと強く非難されることも覚悟していたが無駄な決意で終わったようだ。
ただそれならそれで構わない。
向こうにも蓮が一応は信頼に値する人物であると判断されていたようだし、いずれにしろどこかのタイミングで美穂の両親には話を通しておきたいと思っていたのだ。
このような形で叶うとは夢にも思っていなかったが美穂に散々世話になっていることの礼も伝えておきたかったことは本心であるため、小春の来訪は歓迎できるものでもある。
「………………」
「……え、なんだ?」
「…………別に、何でもないもん」
……だがその直後。
小春と何気ないやり取りを重ねていた蓮は不意に隣から微かな圧力を感じ取ったので己の感覚に従って振り返ってみれば、そこには変わらず美穂の姿がある。
しかしながら…その視線は非常に冷たいものとなっており、柔らかそうな頬は空気が詰まった風船のように膨らんでいるので明らかに不機嫌になっていることが分かりながらも彼の服の裾をツンツンと引っ張ってきていた。
もしやこの短い時間で何かしでかしてしまったのかと思い問いかけてみるも、返されてきた言葉は素っ気ない否定だったので彼女がこうなってしまった原因さえ全く分からない。
唯一分かりそうなことと言えば美穂の急な変化に蓮が関わっているのだろうことだけ。
「あらっ…うふふ! 美穂ったら、そんなんじゃ相坂さんには伝わらないわよ?」
ただその中にあって一人だけ、急変した美穂の態度から何かを察したらしい小春のみが楽しそうな感情を全開にして彼らの問答の一部始終をニヨニヨと見つめていた。
…幸か不幸か、美穂への対処に手間取っていた蓮はその視線に気をやる余裕も残っていなかったので流されることとなった。




