第三九話 対応する相手
(とりあえず、これで粗方言われてたものは買えた…よな。多分)
美穂からやり過ぎだとさえ思われるアプローチを受け咄嗟の判断で家を出てきた蓮であったが、元々どこかのタイミングで買い出しに出向こうとは思っていたのでちょうどよくもあった。
今日必要な食材の一覧は彼女の連絡で伝えられてきたメモがあるのでその通りに不足がないよう注意しながら買い込み、一通り終えるとまた家に向かって戻っていく。
その道すがら、何か買い忘れは無いだろうかと若干不安になりながらも確認をした覚えはあるので問題はないかと結論付けた。
「…にしても、鐘月のあの接し方だけはどうにかならないものか…あの調子じゃいつか他のやつに襲われるぞ、ほんと」
帰路に着きながら片手に荷物を下げ、歩いていく中で独り言をこぼす蓮。
彼が溜め息まじりに漏らした言葉は周りにこれといった人の姿も見られない道中だったので誰に聞かれるわけでも無く空気に溶けて消えていく。
されど蓮の胸中に溢れる悩みだけは尽きることなく、何とかできないかと頭を悩ませ続けている。
そんな彼が抱えている悩み事というのは…今蓮が口にした通り。
もう今更に過ぎると言われてしまっても全く反論が出来ないのだが、とはいってもまるで変化する兆しが感じられない美穂の近すぎる接触について。
恥じらいという概念をどこに置いてきたのかと問い詰めたくなるほどに、蓮を相手にした時だけは彼女自身のスタイルを強調するような言動が倍増してくる件に関してだ。
今はまだ蓮の理性によって耐えられているから良いものの…これが他の男子であったならどうなっていたことか。
まぁ美穂がそのような欲望を即座に剥き出しにしてくるような輩に信用を置くとは到底思えないし、彼女の人を見る目もそこまで曇っているわけではない。
蓮を選んだ時点で精度には難があるようだが…最低限の見極めるべきラインはしっかりと彼女も見ているのだから。
…ゆえにこそ、一度信頼をした人物には掛けるべきブレーキが消失する。
身をもって実感しているから分かるが彼女の距離の縮め方は明らかに異常であり、単なるクラスメイトでしかない男子を相手にするそれとは一線を画す押しの強さがある。
いくら何でもあれはやり過ぎだ。
なので対処法は無いものかと暇さえあれば考え続けているのだが、そう都合よく妙案が浮かんでくるわけもなく。
思い切って蓮の方からそういった言動は控えるようにと断言してみるかと考えたこともあったが大した効果を発揮しないのも分かり切っているので実行するだけ無駄。
せいぜいが美穂に『そんなこと言って~…本当は興味あるんでしょ? 我慢なんてしなくていいんだよ?』とでも返されるのがオチだ。
「あいつが自分のやってることに危機感を持ってくれない限りは変わらない、か…どうしてこんなことになったんだか」
蓮の頭でパッと考えつく対処手段としては二つ。
まず一つはどうにかして彼の手で美穂に、自分がしていることがとてつもなく危険なことなのだと理解させること。
彼が相手だから現在も何とか耐えられてはいるが、このままではいつか本当に魔が差して彼女の魔性の魅力にやられてしまいかねない。
そんなのは双方にとってみても良いことではない。
だからここで一つ、彼女の行動にはどんなリスクが伴うのかを思い知らせるということだが…しかしそれはほぼ不可能である。
そもそも思い知らせるとは言ってもそのための手段がない。
…例えば、真正面から危険性について言い聞かせてみるか?
けれどもそうしたところで美穂が蓮の言いたいことを理解してくれるとは到底思えない。前提として、言葉だけで説得ができるというのならとっくに実行している。
では現実感を伴わせてリスクを教え込むため、実際に美穂を押し倒してでもみるか?
…論外である。そんなことをすれば説得云々の前に彼女を傷つけてしまう可能性が高い。
本末転倒もいいところだ。
なのでもう一つの案。
いっそのこと、蓮ではなく美穂のことをしっかりと叱れるような人物にでも頼んで今までの振る舞いを考え直してもらう。
現状、彼が忠告するだけでは美穂も冗談と思っているのか軽く受け流すか艶やかな笑みを浮かべるだけで大した効果が見込めない。
だったらもう、たとえ彼女を相手にしても怯むことなく叱れるような人物にこの接し方に付随している問題点を指摘してもらえばいい。
それなら美穂も言う事を聞かざるを得ないだろうし、考え直してくれる可能性も…無くはない。
案としてはまだこちらの方が希望もある。
…強いて問題点を挙げるとするなら、蓮にそういった相手へ頼み込むための伝手が皆無であるということくらいか。
また、蓮はそんな相手に心当たりさえない。
結局この作戦も実現することは叶わず、所詮は机上の空論に過ぎないということだ。
「やっぱり少しずつ言い聞かせていくしかないのか…それまで持ってくれるのかね。俺の理性は───ん、何だ。あの人…?」
どうしようもない現実だけが目の前にはあると否応にも理解させられ、取れる手段も最終的には地道な説得しか残されていないと悟らされる。
蓮が美穂の過剰な距離感に耐えられなくなるのが先か。彼の理性が耐え抜いて彼女が常識的な接し方というのを学んでくれるのが先か。
よく分からないチキンレースが開催されようとしている現状に呆れながら帰路に着いていき、やっと自宅の影が見えてきた時。
──彼の家の玄関先にて立ち尽くしている、一人の女性の姿を見て蓮は進めていた足を止めることとなった。
「…家を見てる、んだよな…多分。何やってるんだ…?」
その女性は見た目を一言で語ってしまえば美人であり、綺麗よりの美しさを兼ね備えた女性といった風貌だ。
均整の取れたプロポーションや全身から滲み出ている上品な雰囲気とも相まって一度出会ったら忘れないだろうことは容易に想像できる相手だが…あいにく蓮の記憶の限りだとこれまでに見かけたような覚えはない。
初対面であることはほぼ間違いなく、当たり前だがあの女性と関わる予定など今日は入れた記憶もゼロだ。
ただ、眼前に立ち尽くしている彼女が片手に持っているメモらしき紙とにらめっこをしながら見つめているのがどう考えても蓮の自宅であるため、向こうはこの家に用件があるらしい。
…あまり関わり合いにはなりたくないと思いつつも、進行方向的にはどう進んでも回避が不可能なので話しかける他ない。
ゆえに念のためなるべく刺激はしないようにと意識しながら蓮は、落ち着いた態度を心がけて声を掛ける。
「……あのー、すみません。何かありましたかね?」
「…あっ、申し訳ありません。怪しかったですよね。ただ不審なことをしていたわけじゃなくて、こちらに住んでる方に少し用事がありまして…」
(住んでる人…それって、俺のことだよな。やっぱり何か用件があったのか。でも何の用でこんな美人な人が…?)
後ろに結われた腰まで届きそうなふわふわとした黒髪を揺らしながら、正体も分からない女性に恐る恐る声を掛ければその不審さとは裏腹に透き通った声で丁寧な返しをされる。
そんな所作の一つ一つにも気品が感じられる佇まいでありながら、蓮はどことなくこの人の面影に見覚えのある既視感を感じ取りつつも…その違和感は今気にするようなものではないと頭の隅に追いやった。
「あぁいえ、別に怪しんでたわけじゃないんです。ただジッと自分の家を見ていたようだったので何か用でもあるのかと──…」
「…あら、あらあら! ご自分の家ということは…もしかしてあなたが噂の相坂さんかしら!?」
「えっ? は、はい。そうですけど」
「へぇ…あの子から話には聞いていたけれど、思っていたより可愛い顔をしていたのね…」
…が、その会話の中で謎の女性に対しここが彼の自宅であることをサラッと明かすと、次の瞬間。
気のせいか眼前の相手の目が輝いたように見え、同時にその態度も落ち着いたものから獲物を見定めた鋭さを宿したものに変わったような感じがした。
心なしか口調も抑えきれていない興奮が表出でもしているのか、滲み出る興味が見え隠れしてしまっている。
あまりにも突然の変化に蓮も呆気に取られそうになるも…ふんふんと頷く彼女の言葉が止まる様子はない。
「見た感じかなり誠実そうな子だし、あの子もかなり良い相手を捕まえて来たんじゃないかしら…!」
「あ、あの! 色々とお聞きしたいことはあるんですが、そもそもあなたはどちら様──…」
訳の分からないことをぶつぶつと呟かれるばかりで相手の正体は一切掴めず目的も不明なのでそこを尋ねようとするが…その瞬間。
ふと、傍にあった玄関ドアの奥から扉の鍵が開けられるような音が聞こえ、そのまま開け放たれたかと思うと…どういうわけか、彼女もまた姿を現した。
「──相坂くん? 何だか玄関が騒がしいけど、もしかして帰ってきて………えっ?」
「あら?」
「…鐘月? いや、すまん。今少し取り込み中で……」
扉を開けて出てきたのはもちろん家の中にいた美穂であり、おそらくは蓮が玄関で問答を繰り返していた騒ぎを聞きつけて出てきてくれたのだろう。
しかしその瞬間、蓮と話していた女性の存在を視界に収めるや否や驚愕を露わにしたリアクションを取る。
一体どうしたというのか。
蓮が一応の弁明をしていてもまるで反応は返されず、それどころかこの目の前にいる女性だけをただひたすらに見つめている。
すると、次に放たれてきた言葉。
美穂が内心の驚きを溢れさせて飛び出された発言には…さしもの彼であっても驚きを隠しきれなくなる。
「お、お母さん!? 何でここにいるの!?」
「……え、お母さん?」
「ふふふ~…ちょっと内緒で来ちゃった!」
──美穂の一言によって明らかとなった女性の正体。
まさかこの人が彼女の母親であるという事実を目の当たりにして、目を見開く二人とは対照的にどこか茶目っ気のある彼女の言葉だけが辺りには響いていた。




