第二五話 甘すぎた誘い
精神的拷問にも等しく、しかしその一方で無意識に浸ってしまいたいと思えるような苦楽を同時に味わわされた蓮。
何とか乗り越えることが出来たから良かったものの、本当にあれ以上続けられていたらどうなっていたことか………。
そもそもの話、蓮は確かに異性への関心が薄いが一般的な高校生らしい欲求だってしっかり持ち合わせてはいるのだ。
日頃はそのような感情を美穂に向けるなどあり得ないと考えているために意識しないよう努めているだけで、それも結局は我慢しているの一言に尽きる。
今はまだ理性が耐えられる範疇であるためどうにかなっているが、このまま似たような状況が継続されてしまえばいずれは決壊してもおかしくない。
それを抜きにしても、美穂は何故だか蓮に対する距離が異様に近いのだ。
家の中だろうと学校だろうと人の目に構うことなくこちらに引っ付いてくるし、当然そうされれば身体だって密着もする。
スタイルの良すぎる彼女からそんな扱いをされたらどうなるか。言うまでもあるまい。
いちいち理性を焼かれそうな距離感で近づかれる度に美穂へと注意を促し、まるで反省する素振りが無い彼女に呆れながら溜め息を吐く。
この頃の彼らの日常はそんな流れがメインとなっていた。
…けれども、今日ばかりはその展開にも少しだけ差異があった。
「相坂くん! 今日の放課後って予定とかあったりする!? 無いよね!」
「……いきなりどうした」
場所は学校。既に時刻は放課後に突入したことで辺りは帰ろうとするクラスメイトや同学年の生徒で溢れている。
そんな中でいつものように京介と他愛無い会話を広げていた蓮の下に、とてつもない勢いと圧を放って声を掛けてきた美穂の呼びかけに素で返答してしまった。
もちろんそんなことをされると彼のみならず、今まで雑談を交わしていた京介であっても意表を突かれたようにポカンとしていた。
ただ美穂一人だけはそんな周囲の反応に構う様子も見せず、用件を手短に伝えてきた。
「実は駅前で行きたい場所があるんだけど…一人じゃ寂しいから付き合ってほしいの! 駄目?」
「いや、駅前って急に言われてもな……」
「…いいじゃねぇか。行って来いよ、蓮!」
「……京介、無責任なことを言わないでくれるか?」
彼女が言うにはこの学校から少し行った先にある駅前らしく、そこに用事があるとのこと。
具体的な中身をまだ明かされていないのと誘いが突然すぎるので、蓮の方も返答に渋っていると…そこに声を挟む者が一人。
美穂がここに来たことで呆然とした様子に一瞬なりつつも、大まかな状況を把握したことで余計なアシストでもしてやろうという腹積もりなのだろう。
「あっ、えぇと…橋本君、だよね? 相坂くんを借りて行っても大丈夫かな?」
「えぇもちろんもちろん。こんなやつで良ければいくらでも連れて行ってやってください」
「ありがとう! じゃあ行こっか! 時間も無いから!」
「まだ本人の意思確認がされてないんだが…って、もう聞いてないし。…分かった分かった、付き添うから服を引っ張るのはやめてくれ」
するとそこでようやく京介の存在に気が付いたらしい美穂は蓮を連れて行っても構わないかと彼に問う。
無論、京介はそこで断るような人間ではない。
あちらはあちらで近頃急激に距離を縮めてきた美穂と蓮の関係を進めてやろうと画策している節があるので、むしろこのような展開は望むところなのだろう。
張本人の意見が微塵も考慮されないという、何とも酷い有様だったがここで口をはさんでも無視されるだけだ。
…毎度のことながら、勢いが強すぎる美穂の姿勢に押し負けるのはいつまで経っても変わらないらしい。
「…んーっ! これ、前からずっと食べてみたかったんだけど…すっごい美味しいよ! 今日来られて良かったぁ…!」
「何かと思えば…クレープの移動販売か。こんなところでやってたんだな」
「そうなの! 期間限定でやってるのは知ってたから行きたいとは思ってたけど今日まで機会が無くって…危うく逃しちゃうところだったから相坂くんが来てくれて大助かりだよ!」
それなりの規模感を誇る近隣の駅前までやってきた蓮であったが、結局あれから何をするために向かうのかを聞いても内容ははぐらかされていた。
美穂が言うには『着くまで内緒!』とのことらしいが何のために赴くのかも分からない寄り道というのはどうにもやる気が削がれるものである。
ただ、それも全ては到着する前の話。
さほど時間もかからず駅前に辿り着けば、そこで美穂は迷いが一切感じられない足取りで進んでいくと…一台の移動販売車の前まで突き進み、その両手に何とも大きなクレープを抱えていた。
どうやらこれこそが美穂の望んでいた目的だったようで、話を信じるのなら限定出店されていたクレープの移動販売に来たかったらしい。
注文に関しても全く悩む素振りなど見せず、とっくに決め切っていたような様子でメニュー名を口にしていた彼女の手元にはすぐに二つの甘味が手渡された。
一つはシンプルなチョコバナナに生クリームが山盛りに添えられたもの。もう一つは抹茶の風味がベースとなった中々に渋いチョイスだ。
そしてそれを食べた美穂の表情は…心底幸せといった面持ちでモグモグと噛み締めるように味わいを満喫している。
「でもこれ、俺が付き添う必要あったのか? 鐘月一人でも良かったと思うんだけど」
「むぐ? …まぁそうだね。確かに私だけでも来れただろうけど…せっかくだし相坂くんと放課後デートしてみたいなって思ったからね。あと、単純に一人だと寂しいから!」
「デート、ねぇ…ま、デートとも言えなくもないか…」
しかしそうなるとこの状況は中々に謎だ。
単にクレープを食することが目当てだったのなら蓮が付き添わなければならない理由は見当たらず、彼女一人でも問題は無かったはず。
そう思って問うてみると、何とも軽い様子で口いっぱいに放り込んでいたクリームを飲み込んでから彼とデートをしてみたかったからなどとほざいてくる。
…まぁ、デートの定義を考えると広義では男女の二人が特定の場所に赴くことなのだろうから間違ってもいない。
特に彼らの間には交際関係も恋愛感情もあったものではないので一般に認識されるそれとは異なるのだろうが、別にそれならそれでもいい。
「しっかしよく食べるな。…そんな量、身体のどこに入っていくんだよ」
「ふっふっふ…相坂くん。女の子にはね、甘いもの専用の別腹っていうものが存在してるんだよ? だからスイーツなんかはいくらでも食べられるの!」
「理論が謎すぎる。あとこんなことあまり言うもんじゃないだろうが…それだけ食べて太ったりしないのか?」
「え、しないよ? 私って昔からどれだけ食べても太らない体質だから…そのせいで身長が全く伸びないんだけど。…もう少し身体に変換されても良くないかな?」
「…………」
が、あまりにもその食べっぷりの勢いが良すぎるので蓮としては別の懸念事項が浮かんできてしまう。
おそらくは女子に対して言う事ではないし、指摘するのはデリカシーにも欠けているのだろう。
それでも思い至ってしまったのはどうしようもないのでそんな物量を一気に食べたら体重に影響が及ぶのでは、とも思う。
ただ彼が抱いたその程度の疑問など、美穂からすれば大した問題としても数えられていないようだ。
曰く、美穂が言う限り彼女はいくら食べようともそれが体重に変化されることはないという、世の女性陣からしたら垂涎物間違いなしの体質を有しているので気にする必要はないということ。
その一方で、その影響が及んだからか一向に伸びる気配がない自身の低身長をコンプレックスに思うような発言も出てきたが…そこに関しては少し違うのではと蓮は思った。
というのも、彼女はきっと本来なら自分の身長に向かうべきはずだった栄養分も特定の部位に吸い取られただけなのではないか、と。
…間違っても口にはしないしこれからも意見を出すつもりは無いが、そうとしか考えられない。
「まっ、そんなことはいいよ! それよりも…相坂くんは食べないの? ここまで来たのに…」
「俺はいいよ。まずここに連れてこられると思ってなかったし、鐘月が美味そうに食べてるのを見てればそれで十分だから。気にせず食べててくれ」
内心、そのようなことを考えてしまっていたがそうこうしていると美穂から語り掛けられたので思考はおくびにも出さず、彼女一人で食べている状況に申し訳なく思ったのか。
気遣うように呼び掛けてくれたことには素直に感謝するが、特にこちらとしては気にもしていないのでそのまま食べてもらって全く構わない。
「ふぅむ……あっ、そうだ。ねえねえ、ちょっとこっち向いてもらってもいい?」
「ん、どうし───…もごっ!?」
「えいっ!! …どう、美味しい?」
なのでそのままクレープを頬張ることを再開させただろう彼女が食べ終わるまで待っていようと考えたところで…彼の口に、突然甘さの塊が放り込まれてきた。
突っ込んできたのは当然美穂であり、その手に抱えられていた食べかけのクレープを無理やり味わわせてきたのである。
…手段があまりにも強引であり、せめて確認を取ってからやってほしかった。
向こうからは感想を求められたがこっちとしてはそんな場合ではなく、しかし今答えられる最大限の回答としては───。
「…ちょっと、甘すぎると思う」
「えー…この甘さが美味しいんだけどなぁ…」
──そんなものが精一杯である。
口の中に広がった甘みの強さ。
しかし、その味わいは気のせいか普段味わっている感覚よりも…少しだけ、増しているような気がした。




