第二三話 お礼は膝枕と
「だけど本当に助かっちゃったよ。まさか私がこんなに問題を解けるようになるなんて…」
「こういうのは結構やり方を一つ覚えるだけでも変わるもんだ。鐘月はその典型だったんだろうさ」
「えへへ…そうかな? だったら嬉しいね」
二人だけで始められた勉強会も時間が進めば区切りを迎え、向かい合う美穂は実に満足げな顔つきとなって自分の成長ぶりについて言及していた。
そう言いたくなる気持ちは分かる。
この短時間だけでも彼女の成長具合は目を見張るものがあるくらいで、蓮が言う事一つ一つを砂が水を吸うかのように凄まじい勢いで吸収していった。
元々頭の出来が悪くはなかったというのも関係はしているのだろう。
美穂に足りていなかったのはどこまでいっても目の前にある問題への正しい取り組み方であって、それさえ得てしまえば後は問題ない。
既に基礎的な土台は確固としたものとなっている彼女には目立つようなケアレスミスも見られず、正直言ってサポートする側に回っていた蓮もそこまで出番は無かったくらいだ。
「だけどそれもこれも全部相坂くんのおかげだよ! 勉強のお礼をしたいんだけど…何がいいかな?」
「いいっていいって。こっちも鐘月に教えて逆に勉強になってたし、無理しなくても気にしてないから」
「えー…でもこのままだと私、貰いっぱなしだよ? それは申し訳ないし…」
なので蓮がしたことと言えば最初も最初、序盤の段階で軽く問題の解き方のコツを教えたくらいのもの。
彼女の方はこの時間を通して得られたものが多かったからこそそれに比例して蓮への感謝する感情が増大してしまったようだが、今回ばかりは本当に大それた貢献をしたわけでもない。
多少の手助けこそしたが逆に言えばその程度で八割ほどは今まで美穂が積み重ねてきた努力の結果である。
蓮はそれをほんの少し後押ししただけに過ぎないので、過剰な礼なんかは気にしなくてもいいし必要だとも思っていない。
…けれども、それで美穂が納得するわけもなく。
それどころか蓮が不要だと言い張るほどに燃え上がってしまうらしく、周辺を見回して何か自分にできるようなことは無いかと探るような動きを見せている。
「う~…ん。どうしよっかなぁ……あっ! それならこれを使って…うん、大丈夫そうだね」
「……ん?」
自分が受けた恩は必ず返さなければならないわけでも無いだろうに、こういう場面では手を抜くつもりが微塵もない美穂の律義さには頭も下がる。
今日まで何度も目にしてきた光景ではあれど、何回見ても慣れそうにない純真な心遣いは紛れもない美穂自身の魅力なのだろう。
…と、そこまで考えて微笑ましい心境になってきたところで不意に蓮は美穂の動向が視界に入る。
さっきから蓮に出来ることは無いかと模索していた彼女はいつしか何かを発見したようにちょこちょこと移動していき、ある物を棚から手に取る。
その小さな掌には、先端に綿のような梵天が付けられさらにその正反対に位置する箇所にはへら状となった細長い棒状の道具がある。
……要するに、この家にあった耳かきを取ってきた美穂は一転して楽し気な笑みを浮かべたかと思うとそのまま座り込んでポンポンと膝を叩くようなジェスチャーをこちらに向けてきたのだ。
「はい、どうぞ! 相坂くんもよかったらこっちに来て?」
「……一応確認しておきたいんだが、そのジェスチャーは何の意味があるんだ?」
「え? 意味も何も、さっきのお礼にせっかくだし耳掃除でもしてあげよっかなって。それなら膝枕の方がやりやすいでしょ」
「ふぅー……あのな、そういう無防備な姿勢はやめろって前にも言っただろ? 他のやつ相手なら勘違いされても文句は言えなくなるって」
もうその動向からほとんど察せられていたが、やはりというべきか何というか美穂の狙いは彼女の手による耳掃除だったらしい。
それも美穂の膝枕付きという魅惑的に過ぎるオプションまでもが追加されてしまっているせいで、一応は一介の男子高校生でもある蓮の理性は危うく削られかけた。
だが崩れかけた理性を気合いで総動員し直し、何とか言葉を絞り出すと前々から再三口にしているがそういうことをされると要らぬ勘違いをしそうになるので勘弁してほしい。
あちらは純粋に勉強の指導に対する礼としてこう提案してくれているのだろうが、そもそも膝枕というのは位置関係上どうしても肌が密着せざるを得ない。
そんな事実をまるで許容するかのような申し出をされてしまえば…ありえないと理解はしていても彼女に好意を抱かれているのではと思い込んでしまいそうになる。
異性への関心が薄めの蓮でさえこれなのだ。
仮にこの場にいるのが彼以外の誰かであったのなら、美穂は即座によからぬ目に遭っていたに違いない。
「だからそういうことは軽々しく言うもんじゃない。お前にも何があるか分からないんだから──…」
「もう、相坂くんこそごちゃごちゃ言ってないで早くこっち来る! とりゃ!」
「ぬお……っ!?」
がしかし、そんな細々とした注意を述べているといよいよ美穂の我慢も限界に達したのか。
突如として蓮の腕を引っ張ると彼を自分の身体に収めるように頭を受け止め…その柔らかな感触を持つ膝上へと気が付けば招かれていた。
「ふっふん、こうなったらもう逃げられないもんねぇ? 私の膝の寝心地はどんな感じかな~?」
「お前なぁ…強引にも程があるぞ。……はぁ、こんなこと言ったら引かれそうだけど悪くは無いよ。むしろいい感じではある」
「えっへへ、そっかそっか。まぁ私って太ももにも肉がついてるからその分触り心地も良いんだよね。よかったら触ってみる?」
「…触りません」
あまりにも突発に過ぎる彼女の行動に不意を突かれ、抵抗する間もなく乗せられていた彼女の膝枕。
…こんなことを言ったらドン引きされかねないので口にしたくは無かったのだが、向こうから感想を求められてしまったので素直に寝心地は悪くないと明かした。
実際、無理やりだったとはいえこうして寝かされたことで分かったが彼女の肌の質感は驚くほどに滑らかだ。
頭を乗せているだけで伝わってくる適度な柔らかさと心地よい感触。
状況次第ではこのまま寝入ってしまうことも難しくはないと思えるほどに素晴らしいものだというのが正直な感想だ。
……それと、これも言及するべきかどうかは非常に迷ったが言わないわけにもいくまい。
現在の蓮は美穂から膝枕をされていて、なおかつ下から彼女を見上げるような体勢になっている。
そうして見えるのは当然美穂の顔……の、はずだったのだが。
──そこから覗けるのは、圧倒的質量を誇る彼女の山である。
何がとはあえて言わない。何せ一度そうだと意識してしまえばどうしても視界に入ってきてしまうそれを蓮も視線で追ってしまうだろうから。
今だって必死に視野の大半を占めてくる美穂の魅力を秘めすぎた山脈を思考から全力で追い出しているのだから、余計なことを考えてなどいられないのだ。
時折隙間から覗き込んでくる美穂の顔だけが唯一の救いといったところか。
「あれ? 相坂くん、顔赤いけど…どうかしたの? 熱でもある?」
「……何でもない。今自分の愚かさを痛感してるとこだから、気にしないでくれ」
「愚かさって、何が……あ。…ふふふ、そういうことね。ごめんね? 私のおっぱい大きいからどうしてもこうなっちゃうんだよ」
「…それはいいから、やるなら早くやってくれ。あと可能な限りすぐに終わるように」
「はーい。じゃっ、今からやっていきまーす!」
しかしそんな妙な対応を続けてしまえば彼女にもその意図は悟られるに決まっている。
己の浅ましさを憂いていた蓮の面持ちを確認した美穂も彼の異変には気が付いたらしく、さらにはその原因にも即座に辿り着いていた。
けれどそれを恥じるような素振りは一切なく、それどころかこのシチュエーションを満喫でもするかのような雰囲気に変わっていったかと思えばようやく耳掃除は開始されていく。
…既にこの時点で大分お腹はいっぱいなのだが、逃れようとしても無意味なことは流石の蓮も分かり切っている事実である。




