第一七話 美穂の印象
「ふへ…えへへぇ…」
──周囲は暗闇に包まれた部屋の中。
けれど前の公園とは違って、見慣れた自分の部屋にあるベッドに転がった私…鐘月美穂は少し。
…ううん。自分でも大分気持ち悪いと思える笑い声をこぼしながらつい数十分前の出来事を記憶の中で振り返っていた。
あの後、相坂くんの家で明日から向こうの家を訪ねても良いと許可を貰ってから。
とりあえず大まかなルールというか、最低限共同生活を送るのであればお互いのためにも決め事は必要なので少し話し合ったりもした。
だけど時間がもう遅かったこともあってそんな長くは話し合えず、これ以上帰りが遅くなるとお父さんとお母さんにも心配されてしまうので続きは後日として私は一旦帰ることにした。
……けれど、そこでも私はまた相坂くんの優しさを痛感させられた。
「んふふ…相坂くんったら、わざわざ私を家まで送ってくれるなんて…優しすぎだよ、もう!」
──そう、何と彼は一人で帰ろうとしていた私を呼び止めて見送りまでしてくれたのだ。
相坂くん曰く、『こんな夜遅くに一人で帰ったら何があるか分かったもんじゃない。家の場所を知られたくないなら近所で戻るから、途中までは送っていく』とのことらしい。
…ほんと、優しいよねぇ。口ではこう言ってたとしても、その実私のことを心配してくれているのは丸わかりなんだから。
その時のことを思い出すと自然と口元も緩んでしまい、おそらく他の誰かからこんな姿を見られたら油断しすぎだと怒られるだろう。
実際、家に帰ってきてからお母さんと少しだけ話したけどそこでも『もう少しちゃんとした方がいい』と言われてしまった。
「…でも、無理だよね。こんなに優しくされちゃったら抑えるなんて絶対できないもん…」
抑えつけることなんて出来やしない感情の振れ幅を自覚してしまうと、どうにも落ち着かなくなる。
こうなったのはひとえに彼のせいだ。責任を押し付けてるのは分かってるけどそう思わないとやっていられない。
──最初は、ただのクラスメイトだとしか思っていなかった。
相坂蓮くん。同じクラスにいたから名前は知っていたけど、正直今まで話す機会は無かったのでどんな人なのかっていうのは全く知らなかった。
時々お友達らしい橋本君と喋っている姿は見かけるけど印象はそれくらいで、彼自身の人となりを把握する時なんて訪れることすらないと思っていた。
ただ…それも全ては昨日の夜の出来事が起こる前の話。
あの晩、両親が喧嘩をしていると思い込んでしまって塞ぎ込んでいた私に声を掛けてくれた相坂くん。
見えた顔からして嫌々だったんだろうけど、それでも私が助けられたという事実は変わらない。
…でもあの時って、実はちょっとだけ警戒もしちゃってたんだよね。
泣いてたとは言ってもある程度周囲の状況は把握していたし、そこで近づいてくる相手が何か疚しいことを考えているんじゃないかとさえ思っていた。
何しろ私は自分で言うのもどうかと思うけど、かなり目立つスタイルをしている。
身長は一向に大きくなる兆候がないっていうのに、胸やお尻はこれでもかってくらい実ってしまって男子から視線の的になることなんて日常茶飯事だ。
少し身じろぎをするだけで大きく揺れてしまうこの身体は否応にも人目を惹き付けてしまうし、私自身どうしようもないのでほとんど諦めてもいた。
だけど…相坂くんだけは、違った。
近くまでやってきても身体を注視するどころか早くその場を離れたいという意思すら明け透けに感じ取れてしまうくらいの杜撰な対応で、私になんて微塵も興味を抱いていないことはすぐに分かる。
それまで粘ついた視線を向けられることが当たり前だった身としてはその点だけでも驚嘆に値することで、彼のことを他とは違う人なのだと意識の片隅に置いておくくらいには興味も持った。
彼のおかげで問題が解決した後も、何かしらの形でお礼をしたいという目的もあったが同じくらいに相坂くんのことをもう少しよく知ってみたいという思いが残っていた。
あとは今考えると少し強引過ぎたけど一度家まで案内してもらっていたので、そこで見た光景から掃除を手伝うという名目で押し切り彼と話す機会を得た。
──そしてそこで、どうして相坂くんが全く私の身体を見ようとしないのか。
その理由を聞くことができて、私は…素直に驚かされた。
彼は、人の身体を不躾に眺めるだなんて失礼なことはしたくないと言っていた。それは見られる側にある者を不快にさせるだけなのだから、本人が許容していたとしてもやっていいことにはならないと。
…そんなこと、考えたことも無かった。
もちろん相坂くんが単純に、私への興味が薄いからそういった部位に目が向かないだけだというのもあるとは思う。
だけど決してそれだけじゃなく、相坂くんはどこまでもきちんと私自身のことも考えてずっと動いてくれていたのだ。
多分、その時からだろう。
その言葉を聞いた瞬間、私の中で彼は少し変わったクラスメイトから絶対に信用できる相手へと一気に変化した。
「…私って、もしかしてチョロいのかな? こんな風になるなんて初めてだからよく分かんないんだけど…」
この感情の変化は、きっと彼に助けられた際の印象強さによる影響も少しは混ざっているんだと思う。
人によっては吊り橋効果で記憶の中に残ったイメージが強烈になっているだけで、ただの勘違いに過ぎないと指摘されるかもしれない。
だけど私には断言できる。
あの夜のことは確かに強いインパクトを残していったけど、あれは単なるキッカケでしかない。
もっと大事なのはその先。相坂くんの性格とその奥底にある優しさを知れて、それを経たことで私は確実に彼へと惹かれ始めているのだ。
「まだ話し始めて二日だっていうのに…でもまぁしょうがないか。あれだけ優しくされたら気になってもおかしくないもんね」
ただ、同時に私もこの感情が芽生えてきた経緯が急すぎたこともあって胸中にある温かな情感が果たして恋愛感情によるものなのか。それとも単なる友人に抱く親愛に近いものなのかは判別がついていない。
一つ断言できるのは相坂くんになら素の自分でも曝け出せるということであって、結論を出すのはもう少し先でもいいだろうとしておいた。
「時間はたくさんあるし、焦る必要もないよね。それより明日は相坂くんに何を作ってあげようかな~!」
今の私が考え込んだところで、この感情に名前なんて付けられるとは思えない。
きっとそれはもう少し相坂くんと関わった後で判明するものだろうから…今すぐに答えは出てくるものじゃない。
そんなことよりも、明日はどんな料理を作ってあげれば彼に喜んでもらえるかと考えるだけでこの胸はワクワクとした高鳴りが止まらなくなり、近くにあった枕を強く抱きかかえることで溢れそうな思いの強さを疑似的に発散させておいた。
…一見ぶっきらぼうにも思えるけど、実際は誰よりも他人への思いやりに溢れた男の子。
他の誰でもない。相坂くんだからこそ私はここまで信頼できると思えたし、ちょっとやり過ぎかとも思えるスキンシップだって恥ずかしげもなく実行できる。
それによって動揺したように顔を赤らめる相坂くんを見るのは、少し……いや、実際のところかなり楽しかったりする。
…他の男の子にこんなことしようなんて思いもしないんだけど、こういうところも含めて私の心境に変化があったってことなのかな?
まぁ何はともあれ、こっちの取るスタンスは最初から同じ。
せっかく相坂くんのお家に行く許可も貰えた今、それをフル活用しない手はない。
「…明日が楽しみだなぁ。お家だけじゃなくて、学校でも話せたらいいけど…それはまた朝になったら考えようっと。…ふわぁ。もう眠いし、おやすみなさーい……」
そうしてそのまま、時間帯もあって自然と出てきてしまった欠伸を自覚しながら次第に私の意識は微睡みに沈み込んでいく。
──一日が終わるその瞬間も、脳裏のどこかにはいつだって思い出せる男の子の姿を思い浮かべながら。