第一〇話 浮かび上がる疑問
「さっ、やっと着替えも終わったしこれで相坂くんのお家の掃除も始められるね!」
「うん、それは別にいいんだが…鐘月。お前よくそんな着替え持ってたな。準備が良すぎないか?」
「あぁこれ? 私ってこういう事もあるかと思って一着は着替えを鞄に入れてあるんだよ。いざって時に便利だから」
「…さいですか。それで? 掃除って言ってもこれを前に俺たちはどう動けば良いと?」
六月にも突入してきたという時期もあって外の気温は少しずつ湿っぽい暑さが蔓延されてくる頃合いになってきたが、この場にいる二人には大して関係もない。
多少の蒸し暑さこそあっても室温を調整すればそれなりに快適な温度を維持することは可能で、そのおかげもあり掃除自体は問題なく行える。
まぁ、あえて言うならまだ蓮は美穂が自宅の掃除を手伝うという言葉を信じ切れていないのだがそこを突いたところで無意味に違いない。
今も尚横に立っている彼女の姿を見れば、先ほどの宣言通り掃除をしやすい服装に着替えてきたのか何ともラフな様相に変わっている。
薄い無地の白シャツとズボンに履き替え、学校で見慣れていた制服とは打って変わって身軽な恰好だ。
ただ、そんなシンプルな見た目だからと言って彼女の魅力が衰えているかと聞かれればそのようなことは断じてない。
逆にシンプルゆえにこそ素材の良さが引き立てられるというか、元々可愛らしい顔立ちをしている美穂の愛嬌というものが振りまかれている。
そして強いて言及するのなら……彼女の体の一部によってパツパツになってしまっているシャツの布地の主張が激しすぎるくらいだが、それに目を向けるのは失礼極まりないので蓮は頭を振って無理やり意識から追い出しておいた。
「最初はやっぱり物の整理かな。私の勘だけど、多分相坂くんのお家ってゴミが溜まってるっていうより物が集まりすぎてるだけだから、意外と整理整頓だけでも綺麗になると思うんだ」
「…確かに。一理あるな」
「なので私たちがやるべきこととしては、八割は散らかってる物の分別! そこから少し掃除機とかをかければオッケー! だから、これをこうしてー……っと」
「それは?」
それよりも彼が念頭に置いておくべきは今から取り組む掃除とやらの概要。その手順。
あいにく家事のやり方など全く知らずに育ってきてしまった蓮では考えもつかない事柄なため、頼りになるのは情けないが美穂一人。
しかし、そこから語られたのは…かなり意外にも予想以上にしっかりとした清掃プラン。
何から着手するにしても、ここまで物が散らかっていてはどうにもできないのでそれから始末しようというのは彼であっても納得できる意見である。
そしてそう伝えられるのと同時に彼女は近くから何やら大きな袋を持ち出し、三つほどまとめて広げていく。
一体何をしているのか見当もつかない光景だったので蓮の方からどうしたのかと質問をしてみたが、その答えもまた分かりやすい。
「これは床に落ちてる物を一回まとめておくための袋だよ。片付けるのはもちろんだけど一回全部一か所にしちゃった方が作業もしやすいからこれに集めるってわけ!」
「なるほど。…鐘月って、本当に掃除とか出来たんだな」
「あ、そう言うってことはまだ疑ってたんでしょ! 酷いなぁ…でもこれで信じてくれた? 私が家事を得意だってこと!」
「信じた、というより信じざるを得なくなったな。俺一人じゃそんな手際よく進められるわけもないし」
「まぁこれだけの部屋を作った張本人ならそうだろうねぇ…相坂くんって必要に駆られないとこういうのやらなさそうだもん」
「…反省はしてるから」
取り出された袋の用途は散乱した物をひとまとめにするため。
聞けば聞くほどに納得の意見しか出てこない案の数々に、これまで若干美穂の発言を疑ってかかっていた蓮も首を縦に振らざるを得ない。
その内心を彼女に見透かされてしまい、ほんの少し不機嫌にさせてしまったのは少し誤算であったが。
「じゃあそういうわけで、早速やっていこっか。あんまり時間を無駄にするわけにもいかないから。あっ、私に見られたくない物とかあったら今のうちに隠しておいてね? まぁこっちとしては男の子の家なんだしそういう物があっても驚かないよ~?」
「いや、そんなもの無いから。…あとお前も一応は女子なんだから恥じらいを持てよ」
「そんなの今更今更。とにかくそれなら始めちゃおっか! 相坂くんはいる物といらない物の分別をお願いね!」
「はいはい…どうしてこうなったんだか」
何となくこの一日二日で格段に増えてきたように思える溜め息を自覚しながらも、何故だか張り切った様子で手伝いを申し出てくれている美穂の存在がある以上はやらないわけにもいかない。
せっかくの機会なのだ。たまには本腰を入れて家を片付けるのも悪くないと思うしかあるまい。
(──こうやって改めて見ると思うけど、結構雑誌とかが溜まってるんだな。ほとんど読まないものだって言うのによく捨てずに置いてたもんだ)
美穂の合図によって自宅の掃除を始めてからというもの、案外蓮は途中で放り出すことなく集中して取り組むことが出来ていた。
現在も黙々と床に散らばっていた物をまとめて用意された袋に詰め込んでいき、再度自分が積み重ねてきた部屋の惨状に呆れている最中であった。
自分でやったことなのは重々承知だが、それでも客観的にこの状態を見ると異常な場所で暮らしていたのだということを痛感させられてしまうのだ。
今まではそれが当たり前だったので疑問に思う事すらなかったが見直すとおかしな所だらけで、自らの生活環境の異様さを目の当たりにさせられていく。
不幸中の幸いだったのは部屋に落ちているのは時折読んでいた雑誌だったり脱ぎ捨てられた服だったりといったものがメインで、他に分かりやすいゴミなどはきちんと捨てられていたのがせめてもの救いだ。
もちろん褒められたようなことではないのは嫌というほど分かっているものの、流石に蓮の理性もそこでは機能してくれていたようだ。
「これはもう要らないな。後でゴミに出しておこう…っと」
積み上げられた雑誌の束を持ち上げて運んでいき、不必要だと判断した類のものはそれに該当する袋へと突っ込む。
後ほどまとめて処分するので今はこうして置いておけば良いだろう。
「あれ、相坂くんもうそっちの方は終わったの? 随分早かったね」
「こっちはほとんど要らないものだったからな。運んできたらそれで終わりだし、早くも終わるさ。…って、鐘月まさか服を一つずつ畳んでくれてたのか?」
「え? うん。だってこうしないと洋服ってすぐにぐちゃぐちゃになっちゃうから綺麗にしておかないと」
「俺の服くらい適当に置いてくれれば良かったんだが…」
「駄目駄目。こういうのを適当にしちゃうと皺になっちゃうんだから、ちゃんとしないと気が済まないよ」
そうして不要物をある程度運び終えた蓮に話しかけてくるのはどうやら彼とは違って衣服を片付けてくれていたらしい美穂だ。
彼女の横には何とも丁寧に折り畳まれた洋服が積み上げられていて、几帳面な一面が垣間見える。
「お洋服はしっかり使えば長く着れるんだから、そういうところを疎かにしちゃうともったいないでしょ? それに服が綺麗に畳まれてるのを見ると気持ちよく感じない?」
「…それはまぁ、否定はしないけども」
「でしょ? だからこれも必要な工程の一環なのです!」
たとえ少しの違いであっても、それが良いことであるのなら労力は惜しまない。
そう言わんばかりに彼の服もきっちりとした様子で片付けてくれていた美穂は彼に満面の笑みを向けてくるが…そこで蓮の頭の中では、この一日と少しで抱え続けていた疑問が改めて浮上してきた。
(──何で、鐘月のやつはここまで俺に良くしてくれるんだ? ただのクラスメイト相手にそこまでする理由も無いだろうに…)
彼の脳内で巡ってきた疑問。
今も尚眼前で楽しそうに作業を続ける美穂が、どうしてこんなにもパッとしない相手にこうも構ってくれているのか。
何度考えても答えの出ない問いを前に、彼の口は意識せずとも──頭よりも先に身体の方が動いていた。