第一話 夜間の鉢合わせ
──辺りは夜の暗闇に満ち、道端に設置されている電灯の頼りない明かりだけがそこいらを照らしている。
既に時刻は二十一時を回っており、当然ながら通りがかる人影はほぼ皆無と断言してもいい状態だ。
…しかしそんな陰鬱とした空気すら感じられる中にあって、微かに足音を響かせながら夜道を歩いていく者の姿が一つだけあった。
周りの暗さなど欠片も気にする様子もなく、片手にビニール袋を抱えながらスタスタと迷いなど無い面持ちで歩き進んでいく少年の姿。
ラフなシャツとパンツを履きながら、大して目立った容姿でもなく特別注目されるような雰囲気を持ったわけでも無い。
言ってしまえばありふれた地味な印象を持った彼の名は──相坂蓮。
今年の春に高校一年となったばかりの蓮は六月も上旬に差し掛かろうとしているこのタイミングにて、彼は自身でも中々に平々凡々な高校生活を送っていると考えている。
客観的に見てもパッとしない見た目であるために人気者というわけでもないが、逆に言えば悪目立ちもしていないので虐められるようなことも無い。
友人関係に関しても、正直後先も考えずに特定のグループに突っ込んでいけるほど空気が読めないわけでも勇気があるわけでも無いのでただ一人の親友を除けばこれといって絡む相手もいない。
…いや、強いて言うならもう一人だけ友人がいないでもないがあれに関しては少しラインが微妙な所でもあるのでやはり蓮の人間関係が希薄寄りなものであることには変わりない。
だがそれは別にどうでもいい。
言いたいのはそんなことよりも彼が特別変わったような日常を過ごしているわけでもないということであって、奇妙なトラブルだったりアクシデントとは無縁な日々を過ごしてきたということ。
蓮自身、日々の暮らしが平穏なものであればそれでよいと考えている上に波乱の展開を望んでいるわけでも無いのでこんな生活サイクルはむしろ望むところだった。
……が、この時ばかりはそんな平和的に続いていくだろうと無根拠に信じていた時間も永遠ではなかったらしい。
「──なんだ、ありゃ?」
止めることなく進めていたはずの歩み。
しかしある時を境にそれはピタッと止まってしまい、蓮も思わず独り言を呟いてしまうほど。
もちろん彼とて理由もなくこんなことはしない。
こんな言葉をこぼした原因は端的に述べてしまえば今現在の蓮の視界に入ってきた光景。
自宅までの帰路に着くために通らなければならない道の片隅に存在している、ちょっとした敷地面積を誇る公園。…そこで目にしてしまった景色が全てを物語っている。
「…どうしてこんな時間に、鐘月がこんな場所にいるんだよ……偶然にも程があるだろ」
──蓮が視界に収めたところで見てしまった先にいるのは、一人の少し小柄な少女。
遠目から眺めているだけでもはっきりと判別できてしまう端正な顔立ちと丁寧に切り揃えられた色素の濃い茶髪によるナチュラルボブのヘアスタイルは一目で美少女と断言できるオーラを放っている。
付け加えるなら、顔だけでなくその背丈やスタイルまでもが男を惹き付けてやまないものである。
身長は一般的な女子と比較しても低めというのにも関わらず、その胸部はまさしくはちきれんばかりに身に纏う服の布地が悲鳴を上げるほどに高い攻撃力を有している。
いわゆるトランジスタグラマー的な魅力を併せ持った少女を見てしまえば、女子に対する興味が薄めにある蓮であっても相当にモテるのだろうと確信させられるレベルだ。
…というか、蓮は彼女が実際にモテることを知っているし把握もしている。
何故そんなことを分かっているのか。
その理由は込み入った事情があるとか彼が情報通だからとか、そんな複雑なものではなく単に彼女と蓮が同じ高校に通うクラスメイトだからだ。
そんな彼女の名前は鐘月美穂。一応は知った顔である。
とはいっても深く会話を重ねたことも無いので本当にただの同級生という間柄でしかないのだが、それはそれとしても美穂の人気さはよく噂で聞こえてくる。
身長の差もあって小動物的な面影を感じるというのもあるのだろうが、それに反比例するかのように豊満なスタイルを誇る彼女は男子からすれば思わず目を引き付けられてしまうらしい。
…蓮からしたらいくら彼女が魅力的な容姿を持っているとはいえ、不躾にそんな目線を女子にぶつけるのは如何なものかと考えてしまうのだがそう主張しても意味はないのだろう。
どちらにせよ、そのような人気者がこのような人気のない場所にいること自体が異常そのものなことは疑いようもない。
ただ、それだけだというのであればまだ良かった。
どんな時間に美穂がどこに居ようとそれは向こうの勝手で、如何なる事情があるのかも知らない蓮が首を突っ込んだところで軽蔑の視線に晒されるだけなのだから。
……が、しかし。
今ばかりはその思考も揺らぎかねない光景が展開されてしまっており、何かというと…彼女は公園の片隅にあるベンチにて膝を抱きかかえながら涙を零しているのである。
見間違いということはない。
辺りに人がいないこともあって微かに耳に届いてくる鼻をすするような音がその証拠であり、どう考えても面倒ごとが転がっているとしか考えられない状況。
本音を語れば今すぐにでも無視を決め込んで立ち去ってしまいたいのだが…一度こんなところを見てしまったら蓮が見捨てたように思えてならないのでそれも嫌なのだ。
(…一体俺にどうしろって言うんだ。出来ることなんて無いぞ?)
未だこちらの存在に気が付いた気配もない美穂は相も変わらず小さな身体を震わせながら泣き続けているようで、流石の蓮もこんなシチュエーションとなると判断に困る。
仮に正義感の強い人物だったらここで迷わずに彼女へと声を掛けに行けるのだろうが、あいにく彼はそんな清く正しい人間ではない。
人並みの良心はあるが他人の面倒な事情に巻き込まれるのは御免といった性格で、それが何の関係もない他人であればなおさらのこと。
可哀そうだとは思うがしてやれることが無いのも事実なため、早いところ帰ってしまいたいと思いつつもそれすら出来ない状態。
…無いとは思いたいが、この現場を他の誰かが見ていて後から学校で『美穂のことを見捨てていた』なんて噂を流されても面倒なのだ。
(はぁ……仕方ない。声を掛けてもあれだが、こんなとこで女子が一人いるのも危険すぎだ。とりあえず適当に見ておいて、帰りそうも無かったら俺も離れよう)
具体的な経緯なんて微塵も分からないし、予想だって出来ない。
しかし少なくともこんな時間帯になってまでか弱い女子がたった一人で外にいるなど色々とリスクが高すぎるので、何か妙なことにならないか少し見守っておくこととする。
それでしばらくしても動くことが無いのなら今度こそ蓮も家に帰る。
一応はこれで義理は果たしたと言えなくもないし、幸いなことに先ほどコンビニに立ち寄って購入してきた缶コーヒーがあるのでそれでも飲んで時間を潰しておこう。
新しい物語が始まりました。
色々と盛り込んでみましたが結果的には可愛くなったはずなので、蓮と美穂のお話を是非ともご賞味あれ。